【答え】

3 外国の税法を口授した。

【解説】

明治初期の日本は、近代化に向けて御雇外国人から様々な技術や考え方を学びました。御雇外国人とは、明治初期の文明開化の時代に、中央・地方の官庁や学校などに、主として欧米諸国から来日し、日本政府に雇用された外国人のことです。
 シーボルトの父は、江戸時代に来日して長崎のオランダ商館医官に任ぜられ、「Nippon」などの著書により日本を世界中に紹介したことで有名なフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトです。
 シーボルトは幕末の安政6(1859)年に父親に伴われて初めて来日しました。イギリス公使館での勤務や幕府遣欧使節徳川昭武(第15代将軍徳川慶喜の弟)一行の渡仏に随行するなど、幕末から明治にかけて様々な仕事をしました。大蔵省での翻訳、通訳などもその一つでした。
 当時、大蔵省では税制の一層の近代化のため、ドイツ、イギリス、フランスなど欧米諸国の税法を参考にしました。そこで大蔵省は、税法規等の諸制度や外国事情の調査などのため、シーボルトを明治8年5月に「大蔵省翻訳御用専務」として雇用し、同年9月に「官版 巴華釐亜(筆者注:ババリア)国税法」上・中・下の3巻を刊行しました。
 ババリアとは、ドイツのバイエルン王国(当時ドイツは連邦制でババリアは南ドイツの王国でした。)の英語名です。シーボルトはおよそ1か月かけて「ババリア国税法」の内容を口頭で伝え、それを大蔵省の官吏が口述筆記し、和訳しました。シーボルトはこのほかにも書類の翻訳や欧州に出張した大蔵大輔松方正義の随行などの仕事をして、約3年間大蔵省に勤務しました。このほか、民部省や外務省にも勤務しました。
 明治期の近代日本の建設には、御雇外国人が政治・法制・軍事・財政及び教育等の各分野で活躍し、歴史的な貢献をしましたが、税務行政においてもその一端を見ることができます。

(研究調査員 菅沼明弘)