【答え】

1・2・3・4

【解説】

「御拳場」(鷹を拳に据えたことに由来)で鷹場御用がある際は、「領」(村々を支配するための地域的まとまり)にいる触次役(ふれつぎやく)を通じて村々へ物資の調達等の指示が出されました。指示を受けた村々は、鷹の餌(螻等)や人足役を期日までに調達しなければなりませんでした。また、平時より鳥類の狩猟を禁止される等の制限も受けておりました。これらは鷹狩りを行うために必要な措置でしたが、村々にとっては負担となりました。

「御拳場」の村々は、江戸城で使用する物資の上納を命じられることがありました。選択肢のうち鈴虫は観賞用、野菜の種は栽培用、たんぽぽは食用とされたようです。したがって、鷹場は狩猟場であり、かつ江戸城で使用する物資の供給地にもなっていました。

鷹場の村々は、これら以外に通常の年貢も上納していました。このように、江戸時代の村々に課せられた負担は一様ではなく、地域的な偏りがありました。一見華やかそうな江戸の近郷に住むことも、それほど楽ではなかったようです。

(研究調査員 栗原祐斗)