【答え】

 2.馬券税

【解説】

 馬券税法は、昭和16年(1941年)12月24日から開かれた第79回帝国議会を経て、昭和17年(1942年)3月1日より施行されました。
 馬券税を納めていたのは、競馬法に基づいて開催される競馬の開催者、あるいは軍馬資源保護法に基づいて開催される鍛練馬競走の開催者でした。
 競馬は人気があったようで、大阪毎日新聞は、昭和11年(1936年)12月13日付の記事で、「今年の競馬シーズンは13日からの宮崎競馬を最後にいよいよ幕を閉じるが、馬券売上総額は今日までにすでに121,814,860円(現在の価値にすると約1.8兆円)という未曽有の巨額に達した。日本にもいよいよ待望の“1億円競馬時代”がやって来たのである」と報じています。また、同新聞によると、この年の競馬場の入場者数は延べ166万2514人と、前年比で20万人も増加しており、競馬人気の奔騰ぶりを伝えています。
 馬券税法が施行された昭和17年(1942年)も競馬の人気は健在だったようです。「主税局統計年報書」によれば、競馬は全国12か所で開催され、昭和17年(1942年)の売上が約1.7億円、翌18年(1943年)には約2億円と徐々に増えていった様子がうかがえます。
 一方、鍛錬馬競走は、競馬に比べると規模が小さかったようで、全国35か所で開催されたものの、昭和17年(1942年)の売上は約1,700万円にとどまっていました。
 競馬等の開催者は、馬券税法が施行される前は、売上の11.5%を政府納付金として国に納付し、その残りから馬券の購入者に払い戻し(払戻金)を行っていました。馬券税法が施行されると、この政府納付金のほかに、馬券税として売上の7%と、払戻金のうち20%を国に納付することとなりました。現在では、日本中央競馬会(JRA)が日本中央競馬会法に基づき、売上の10%と、利益の1/2を国庫へ納付しています。
 その後、戦争の影響で競馬場施設が接収となり、昭和18年(1943年)12月19日の宮崎競馬を最後に競馬は開催されなくなりました。馬券税は昭和20年(1945年)8月1日に課税を停止、翌21年(1946年)9月1日から再開したものの、昭和23年(1948年)7月19日に施行された新競馬法により廃止となりました。
 なお、牛馬税と乗馬税は国税ではなく、地方税として存在していました。内務省地方局編『地方税総攬』(帝国地方行政学会、昭和13年)で施行していた府県が確認できます。
※馬券税の例規や『主税局統計年報書』、『地方税総攬』は租税史料室で閲覧できます。ぜひご利用下さい。