答え

 2 戦時利得税

解説

 第一次世界大戦により、日本は大戦景気となりました。開戦により欧米諸国からの輸入がほぼ途絶したため、国内では重化学工業を中心に企業の勃興が相次ぎました。また、海外需要の急増によって輸出が増加し、海運業・造船業を中心に大きな利益が生まれました。このような好景気の下、巨額の富を手に入れた成金が現れたのです。その代表的な人物である内田信也は、三井物産の社員でしたが、汽船会社や造船会社を設立して莫大な利益を得たことで、「船成金」として一躍有名となりました。彼のような成金の振る舞いは世間の注目を集め、新聞もこれを報じました。風刺画に「(玄関が)暗くてお靴が分からないわ」「(百円札に火を灯して)どうだ明るくなったろう」というやりとりが描かれています。
 国内が好景気に沸く中、政府は国防計画の充実を打ち出し、その財源として所得税や酒税などの増徴を図りました。しかし、それでもなお、後年度に必要な経費が不足するとして、戦時利得税が創設されたのです。この時新聞は、戦時利得税を「いわゆる成金税」と表現したり、あるいは「素晴らしい成金税」、「成金征伐」等と報じ、戦時利得税導入に賛成の立場をとりました。成金を羨む一方、反感を抱く人も少なくなかったのです。
 戦時利得税は、法人及び個人の利得に課税されました。利得とは、法人の場合は平時事業年度の平均所得金額に対して20%以上の超過分、個人の場合は大正2年以前2年間の平均所得金額に対して20%以上の超過分を指しました。この超過分に対し、法人は20%、個人は15%が課税されました。戦時利得税の導入後における租税収入全体に占める割合は、大正7年度は所得税・酒税に次ぎ3位、大正8年度は酒税を抜いて2位でした。
 好景気と成金の登場を社会背景として創設された戦時利得税ですが、大正8年6月にドイツと連合国の間で講和条約が結ばれ、終戦を迎えると廃止されました。
 終戦後の成金は、没落する者も少なくなかったようですが、冒頭で紹介した内田信也はその後政界へ進み、鉄道大臣や農商務大臣、戦後の吉田内閣で農林大臣に任命されるなど、時勢を読んで上手く転身できた者もいました。

(研究調査員 栗原祐斗)