答え

 昭和25年7月31日

解説

 地租は明治6年公布の地租改正法によって導入されると、我が国の財政を安定的に支える重要な税目となりました。明治17年3月には地租条例が公布され、地租に関する法規が全面的に整備されました。明治22年3月には土地台帳規則が制定され、地租改正で発行された地券及び地券台帳は廃止となり、代わって土地台帳に基づいて地租が課税されるようになりました。
 大正時代になると、地方の財政需要の増大を背景に、帝国議会で地租を地方へ委譲することが議論されるようになりました。そして、昭和15年の税制改正で、地方分与税制度が創設されました。これにより、還付税となった地租は、国税として徴収されたあと、徴収地である道府県へ全額還付されました。この際に徴収権を国に留めたのは、全国的な課税の均衡に配慮したためでした。
 戦後になると日本国憲法の中で、地方自治の理念が掲げられました。そのため、地方財政の自主性確立が目指され、昭和22年3月に地租は国税から都道府県税へ移りました。ただし、課税の均衡を図る必要から、土地台帳は国の機関である税務署が管理しました。
 シャウプ勧告に基づいた昭和25年の税制改正では、地方自治拡充のため、市町村財政の収入強化が図られました。これにより、昭和25年7月31日付で地租は廃止され、市町村税の固定資産税となりました。また、同時に土地台帳が税務署から登記所に移管されました。
 以上のように、明治6年に国税として導入された地租は、国の財政を長く支えた後、還付税を経て都道府県税へ移り、最終的には市町村税の固定資産税の創設とともに廃止されました。

(研究調査員 栗原祐斗)