問い

 明治から昭和戦前にかけて、東北地方では、農民と酒造家の間で、米と酒を交換する物々交換(「米酒(こめさけ)交換」)の慣行があり、税務署もこれを奨励していました。それでは、なぜこのような「米酒(こめさけ)交換」が行われたのでしょうか。その理由を次の3つの中からお選びください。

  • 1 農民が余剰米を有効利用するため
  • 2 酒造家が毎年の酒造米を確実に確保するため
  • 3 税務署が密造防止の手立てとしたため

答え

 3

解説

 自分が造った酒を自分で飲むことは、日本に古くからあった慣習ですが、寒気が強くて長い東北地方では、特に濁酒の自造自飲が盛んでした。しかし、明治31年(1898)に、造石量・納税・免許など一定の条件内で、濁酒・白酒・焼酎に限り自造自飲を許す自家用酒税法が、過大な酒税検査事務を削減する行政事務合理化の観点から廃止されると、自造自飲は密造という税法違反となりました。そこで、自家用酒税法廃止後も自造自飲の慣習が絶えず、結果的に密造の多い東北地方では、密造防止と自造自飲の矯正を目的に、「米酒交換」という手法が奨励されました。
 「米酒交換」とは、農民が自家生産米を酒造家に提供し、酒造家の造る酒と交換するものですが、両者の間には必ず町村役場が介在し、町村役場で交換米の授受、契約者・数量・期日などを記す米酒交換の契約書を取り交わしました。交換米の酒造家への受け渡しは、酒造りが本格的となる12月が期限で、12月以降の交換申し込みは厳禁としました。
 交換酒は玄米1石につき生酒1石の交付を受けるもので、農民は米の払い渡し後、いつでも酒造家の店舗で生酒を得ることができることとし、5月以降に交付を受ける契約の火入れ酒(雑菌による腐敗を防止するため生酒に湯通しする酒)に対しては、一定額の割増金を支払い、交換酒は9月末日までに全部受領する原則としました。9月末日は、10月から9月を1酒造年度とする酒類行政事務の期限末期に相当します。したがって、10月から11月の間に引き渡しを受ける契約では、交換酒は1酒造年度を超えた酒、古酒に限ることとし、これも一定の割増金が必要としました。
 交換酒に対する酒税は交換米を提供した農民が負担し、酒の交換を受けるとき、交換酒の石数に応じた酒税を酒造家に払い渡します。酒税の納税者はもちろん、酒造家ですから、酒造家はこれを税務署に納税することになります。
 「米酒交換」には、応分の酒税を負担するだけで、農民が自家生産米を提供することにより、自分の欲する酒が容易に入手できる魅力があるところから、「酒米交換」は、明治から大正、昭和戦前にかけて、東北地方に広く行われるようになりました。税務署も、農民の自造自飲の慣習を矯正し、密造行為を防止する手段にもなるところから、「米酒交換」を奨励したのです。
 昭和12年(1937)の日中戦争から、日本は戦時統制経済に突入します。米も国家管理に移行し、当然、酒造米にも生産統制が布かれ、酒の配給という流通統制、酒の公定価格という消費統制が、酒税との関係で税務署を中心に行われるようになります。そのため、農民も酒造家も自由に交換できる米と酒を失うことになり、昭和15年を最後に、「米酒交換」は廃止となりました。(研究調査員 鈴木芳行)