問い

 鎌倉幕府は、日本で最初の武家政権と言われていますが、有力寺社の所持地があったり、御恩と奉公の関係から忠勤を誓った御家人の本領の支配を保証したりしたため、将軍が直接全国を支配し税を徴収することはできませんでした。将軍の知行国(ちぎょうこく(領主が支配する国))は関東御分国(かんとうごぶんこく)と呼ばれ、時期により場所が推移しました。それでは、源頼朝が将軍だった時代、関東御分国は次のうちどの国だったでしょうか。
 丸1駿河国(するがのくに(現在の静岡県))、丸2山城国(やましろのくに(現在の京都府))、丸3和泉国(いずみのくに(現在の大阪府))

答え

丸1 駿河国

解説

 頼朝時代の関東御分国は、元暦元年(1184)に始まります。この時は、駿河国のほか三河国(愛知県)、武蔵国(東京および神奈川県、埼玉県の一部)の3カ国でした。この関東御分国は、翌年には上記3カ国のほか、相模国(さがみのくに(現在の神奈川県))、伊豆国(いずのくに(現在の静岡県))、上総国(かずさのくに(現在の千葉県))、下総国(しもうさのくに(現在の千葉県))、信濃国(しなののくに(現在の長野県))、越後国(えちごのくに(現在の新潟県))、豊後国(ぶんごのくに(現在の大分県))の6カ国が加わりました。以後、鎌倉幕府が滅ぶまで数は増減しますが、基本的に駿河、相模、武蔵、越後の4カ国が中心となっていました。
 関東御分国のほかに鎌倉幕府が直接に税を徴収できた直轄地は、関東御領(かんとうごりょう)で、これは平家から没収した土地などから構成されていました。このほかの鎌倉幕府の主要な財源には、全国の御家人に所領内の公田(こうでん(鎌倉時代に作成された大田文(おおたぶみ)という田畑の面積、領有関係などを記した文書に記載された田))の広狭に応じて賦課した関東御公事(かんとうみくうじ(銭納が原則))がありました。関東御公事は、将軍御所、内裏、寺社の修繕費や諸行事の費用、堤防費などに充てられ、当初は臨時に課されていましたが、恒常的なものとなってきました。