問い

 明智光秀は、本能寺の変で織田信長を討った際、京師の民を帰伏させるためにある税の免除を行いました。この措置は、江戸時代にも引き継がれ、拡充されたという説もあるものです。では、この措置とは、どのようなものだったのでしょうか?

答え

 明智光秀は、織田信長を討った後、京都の民を味方につけるために洛中の地子(地税)を免除しています。この後、徳川家が天下統一を行った際には、京都はもちろん江戸・大坂・奈良・堺・伏見などすべての「都会」の地子を免除しています。
 これは、江戸時代の寛政期(1700年代末)に書かれた『地方凡例録』に記載されているもので、これには「天正十壬午年逆臣明智光秀、織田信長を京都本能寺に於て弑し、京師の民を帰伏せしめん為に、翌十一未年洛中の地子を免許す、豊太閤光秀を誅し海内一統せしかども、光秀が政跡に因循して地租は其儘許し置、其後徳川氏海内一統ありても京師ハ勿論江戸東京・大坂・奈良・堺・伏見等総て都会の地子を許すと云」と記されています。作者は、高崎藩の郡奉行であった大石久敬で、当時の手引書として農政全般にわたる解説を行っているものです。