NETWORK租税史料
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 写真の史料は、大正12(1923)年7月に創刊された雑誌『税』の広告で、広告の部分だけ切り取ったものです。広告の内容は、雑誌創刊の趣意、その内容、構成を伝えています。
 同誌は、巌松堂書店内に置かれた国民租税協会が発行し、巌松堂書店が販売しました。その後、国民租税協会の編集となり、株式会社帝国地方行政学会(のちの株式会社ぎょうせい)の発行に変わりましたが、実質的な編集は東京税務監督局の職員が担当しており、初代の編集人は、東京税務監督局の直税課第3係及び第4係の係長の山本貞作でした。
 このように税務当局が編集する雑誌が発行されたことには、次のような背景がありました。もともと明治時代の税収は、地租や酒税が大きな比重を占めていましたが、大正時代に入ると、所得税の税収が大きく増加しました。税目ごとの税収の比率が大きく変化し、税制改正の必要性が高まりました。
 また、税目ごとに税額を調査・計算する方法が異なっていました。地租は、税務署が主管する土地台帳の記載を基に税額が計算され、納税者に通知されました。酒類に対する税(酒税)は、仕込みの段階から税務当局が製造場に立ち入って製造過程を管理し、製造高に応じて課税されました。両方の税目ともに比較的円滑に納税者を把握し、税額を計算することができたと考えられます。
 しかし、所得税の場合、納税者の把握や税(所得)の補足などが大きく異なっていました。大都市における労働者の居住形態は、持ち家や借家の割合は低く、旅館の一種である下宿、木賃宿(現簡易宿泊所)、そして長屋(間借人)を利用していました。これらの寄留先は、短期の契約が多く、納税者の居住地が流動的でした。そのため、納税者を把握することが困難だったのです。
 そのため、税務当局では、どうしても納税者の協力を得ることが必要となり、官民の協調路線を目指すため、「税務の民衆化」というスローガンを掲げ、納税奨励等の様々な施策等を実施しました。
 創刊号の巻頭には、大蔵省主税局長黒田英雄の「税務行政の方針」が掲載され、そこには雑誌発刊の目的が語られております。税(所得)の捕捉、税負担の公平性、税務当局の態度、税務行政の民衆化、国民の自覚等の項目が掲げられています。税務職員には税務行政の改善を求め、納税者には国民としての自覚及び税務行政への協調を促しています。
 また、「税務の民衆化」の大きな柱として、納税者等から税に関する質問や意見を広く募り、税務職員が真摯に答える税務相談部を東京税務監督局に置かれ、全国の税務監督局にも広がっていきました。雑誌『税』には「納税相談」というコーナーが設けられ、東京税務監督局の税務相談部が監修し、納税者と税務当局の応答を誌面で公開しました。毎月掲載されたこのコーナーは、読者の好評を博し、雑誌の名物企画となりました。
 大正時代には多くの雑誌が刊行され、「雑誌の時代」とも呼ばれていました。雑誌『税』は、当時人気だった『文芸春秋』を参考に紙面を作ったと山本自身が述べています。一般向けの雑誌として発行されたので、硬軟織り交ぜたバラエティに富んだ紙面になっていました。税務職員が選者を務める俳句のコーナーもありました。また、税務職員のほか、一般納税者、府県等の職員、他の中央省庁の職員、会計学者も寄稿していました。編集人の山本をはじめ東京税務監督局の編集担当は、複数の筆名を使い分けて紙面を持ち上げて紙面を盛り上げていました。
 雑誌『税』は、戦後に地方税の雑誌に衣替えし、今なお刊行され続けています。

(2026年5月 研究調査員 舟橋明宏)