NETWORK租税史料

 昨年来、行政手続における押印を巡る話題がニュースに登場していますが、今回はそんな “ハンコ”にまつわる租税史料をご紹介します。
 昭和13年から平成元年まで、映画館やスポーツ観戦などの入場者に課税され、主催者が特別徴収義務者として税金の徴収を行う「入場税」という税金が存在しました。催し物の主催者は、あらかじめ、発行した入場券を税務署に持ち込み、「検印」を押印してもらいました。
 [写真1]の史料は入場税の検印を巡る象徴的なエピソードを持っています。
 これは落語家の5代目桂文枝(当時は桂小文枝)の独演会の入場券です。この入場券は下足札を模した木札で、文枝や仲間たちによって手作業で一枚一枚焼き印を押して作られたものです。
 しかし、入場税を納税し検印を押印してもらおうと税務署に持って行ったところ、木製の入場券には検印を押印できないので作り直すよう指示を受けました。そこで、文枝は、新たに押印が可能な紙の入場券を印刷し、木札の裏に貼り付けることにしました。こうして誕生したのが[写真2]です。このエピソードは、文枝自身にとってよほど思い出深かったのか、その著書『あんけら荘夜話』でその経緯が語られています。
 日中戦争中に創設された入場税ですが、それまでは観覧税や演劇興行税という地方税が各地に存在し、映画などの入場券に対して課税していました。これらの地方税を前身として昭和13年の支那事変特別税法によって国税の入場税が誕生し、映画館や劇場の他に、競馬場などにも課税されていました。
 その後、入場税は昭和23年から昭和29年まで地方自治の財源として地方税に移譲されましたが、昭和29年5月に再び国税となりました。地方税と国税の間を行き来した入場税の経歴は珍しく、曲折のあった税金と言えるのではないでしょうか。
 [写真3]は入場税のポスターです。このポスターでは必ず半券を受け取るよう呼び掛けています。
 これは当時の入場税法で主催者側に入場券の半券を切る義務と、半券を入場者に渡す義務が課せられていたためです。つまり、先ほどの木札では検印の押印だけでなく、半券が切れないという問題点もあったと言えます。ちなみに主催者が入場券を発行しない場合は税務署側が発行する官製入場券を使用することもでき、税務署にはこの入場券を作るための印字機も常備されていました。入場税には主催者側にも税務署側にも少なからぬ事務が発生していたといえるのではないでしょうか。
 そんな入場税も平成元年の消費税導入に際して廃止されました。その後、役目を終えた検印や印字機など入場税関係史料の一部は租税史料室に寄贈されています。
 [写真4]がその実物です。この官製入場券の印字機と入場券は租税史料室の常設展示でご覧いただくことができます。

(研究調査員 菅沼 明弘)