地券は、明治5年から明治22年までの間に発行されていたもので、種類により異なりますが、土地の権利証や課税と納税の証書の役割を果たしました。また、地券は、様式や目的により、壬申地券2種類と改正地券1種類の3種類に分類できます。壬申地券は、地租改正に先だって交付された地券です。地券の発行についての大蔵省達が布告された明治5年の干支が壬申(みずのえさる)なので、壬申(じんしん)と称されています。壬申地券には、市街地券と郡村地券の2種類があります。

今回、紹介する史料は市街地券で、きわめて珍しい地券です。史料1は、山形県の市街地券で、旧山形藩の城下の十日町のものです。山形藩5万石の最後の藩主は水野氏で、天保改革で有名な水野忠邦の子孫です。
 市街地券は、まず、右上に「地券」とあり、その下に土地の町名や地番及び面積、そして所有者が記されています。その左側に「沽券金」の額が記され、その下に、少し小さいですが、「此百分ノ一ヲ地租トス」とあります。沽券(こけん)とは売買証文のことで、沽券金は売買金額を意味します。土地の売買金額に1%を課税したのが地租です。つまり、市街地券は、土地の権利証としての役割のほか、1%の地租を課税する目的で交付されたのです。
 市街地券が最初に発行されたのは東京府で、旧江戸の町屋敷が対象でした。当初、大蔵省は税率を2%としましたが、後に1%に引き下げられました。なお、地租の税率が3%になるのは明治6年の地租改正法によってです。
 東京府を皮切りに、全国の城下町等にも東京府と同様に市街地券が交付されていきます。

租税史料室では、多数の壬申地券を所蔵していますが、市街地券の実物は、僅かに5県分しか所蔵していません。一方、郡村地券は46府県分を所蔵しています。同じ壬申地券でも、郡村地券の当初の目的は、売買や譲渡の際の土地の異動を明確にすることでした。その後、土地の所有を明確にするため一般の土地にも交付されるようになり、郡村地券は市街地券よりも多く交付されました。地租改正により郡村地券は廃棄されていきますが、もともと郡村地券の方が圧倒的に多かったことに加え、地価が高価な市街地券の廃棄がより厳重に行われたことが、市街地券の残存数が圧倒的に少ない理由であると考えられます。
 参考に、郡村地券(史料2)及び改正地券(史料3)も掲載しました。

なお、更に地券に興味をお持ちの方は、税務大学校HPの租税史料の中の「平成15年度特別展示『地券の世界』」を御覧ください。

(研究調査員 牛米 努)