大正13年(1924年)、山形県西郷村(現在の上山市)の木村芳松という少年が、一家の納税のため1年以上もドジョウ捕りをし、西郷村や仙台税務監督局から表彰された話があります。
 この話をもとに、「納税美談『孝子芳松』」という小冊子が作成され、さらに映画化されていたのですが、今まで、映画フィルムの所在は不明でした。ところが、今回、租税史料室が行った調査の結果、国内で作成された映画フィルムを収集・保存している東京国立近代美術館フィルムセンターが、この映画フィルムを所蔵していることが判明したのです。映画のタイトルは「北國の少年」です。
 映画化の話は、大正13年12月14日付の山形新聞が報じています。たまたま山形を訪れていた秋田映画協会の会員が芳松少年の話を知り、映画化の話となったようです。山形映画協会を組織し、秋田映画協会が協力する形で話は進み、俳優の手配や現地ロケの準備などが進められました。俳優も決まり、いよいよ撮影という段階になったところ、東京から文部省普通学務局課長の添え書を持参した撮影隊が、山形に乗り込んできました。
 文部省も、映画の制作を企画していたのです。文部省が映画制作を企画した経緯は分かりませんが、大正13年12月18日付の国民新聞は、「文部省映画となるかも知れぬ。」と記しており、もしかしたら、国民新聞が文部省に働きかけたのかもしれません。いずれにしても、東京からの撮影隊は大部分を3日間で撮り終え、引きあげていったのです。
 大正13年12月20日付の山形新聞は、「教育映画として手筈を整へ居る中、既に機先を制せられ鼻毛を抜かれたやうな場面に立ち至った。」と記しているので、山形映画協会としては、「寝耳に水」という状況だったようです。
 今回映画フィルムの存在が確認できた「北國の少年」は、文部省が制作した白黒・無声、本人たちによる再現映像からなる約15分の映画です。貧しい芳松少年の家、収入役の督促、学校で納税の大切さを教わりドジョウ捕りを決心する芳松少年、雪の中でドジョウを捕り、それを売って役場で納税する場面と続き、最後は小学校で表彰状を手にした笑顔の芳松一家が写し出されて終わります。
 雑誌『税』には映画の脚本が掲載されていますが、これは俳優による映画化用のものと思われます。
 こうして完成した「北國の少年」は、大正14年1月7日、山形県会議事堂で県や税務署の関係者を集めて試写会が行われ、翌日から5日間、山形市内で一般公開されました。市内の納税組合員には割引券が配られ、児童や生徒、それに山形の歩兵第32連隊の初等兵や2年兵も足を運んだようです。兵隊が動員されたのは、秋田県の軍人美談「国の礎」や喜劇映画が一緒に上映されたからでしょう。夜の部では、余興として義太夫が上演されました。映画は非常に好評で、連日予約で満員であったと報じられています。
 この映画フィルムは、全国の税務監督局に配付されましたが、東京税務監督局の記録によると、映写器や映写幕、さらには映写技師等を全て自前で用意しなければならなかったことから、税務署が活用する機会は少なかったようです。 
 映画フィルムの活用は少なかったものの、税務署は「孝子芳松」の小冊子を、市町村との税務協議会などの会合や、納税組合、学校などに紹介するなどし、広く普及を図ったようです。
 後に税務監督局や税務署は、各地の同様な話の有無を調査しました。一部の当局者の間から、「子どもが働き納税するという話を紹介するのは、逆に税制批判を醸成するのではないか。」と懸念の声もありましたが、「孝子芳松」は、親孝行な子どもの話として普及していき、鹿児島県東市来村(現在の日置市)では、納税劇として公会堂で上演されました。
 当時を物語る史料として「北國の少年」は、今年度の特別展示に併せて、租税史料室でご覧いただけるようにしたいと思っています。

(研究調査員 牛米努)