明治29年(1896)10月、勅令第346号により、23の税務管理局と520の税務署が創設されました。それまで国税の事務を取り扱ってきたのは、府県収税部とその出先機関であった収税署で、これが税務署の前身です。府県収税部には収税長、収税署には収税署長が置かれました。ただし、収税署は北海道と沖縄県には設置されていませんでした。北海道における国税の賦課・徴収を管轄したのは道庁第四部で、部長(理事官)が置かれていました。
 税務署設置以前、493の収税署が設置されていました。創設時の税務署数は520です。その差27署については、北海道に16署、沖縄県に5署新設されたので、それ以外に6署新設されたことになります。
 写真の史料は、栃木県の大田原税務署庁舎の絵葉書です。大田原税務署の管轄は、那須郡でした。向かって左側に大田原税務署、右側に栃木県那須郡役所の門標が掲げられています。奥に見える男性2名は、制服(夏服)姿の間税職員であると考えられます。この絵葉書には「丁未元旦」と記されているので、明治40年(1907)の年賀状として使用されていることがわかります。絵葉書の作成は、それ以前ということになりますが、税務署創設からそう遠くない時期であると考えられます。
 税務署の前身を遡っていくと、収税署(明治26年)−直税分署・間税分署(明治23年)−収税部出張所(明治22年)となります。収税部出張所は、府県庁内に設置された収税部の出先機関として郡市役所所在地に設置されました。もともと府県収税部は、府県の一般行政事務から国税事務を分離して設置されたものですので、収税部出張所の事務もまた郡市役所の国税事務を分離して設置されました。そのため大田原収税部出張所は、明治22年に那須郡役所の庁舎に併設され、そのまま税務署へと組織変更されたと考えられます。
 このような例は珍しいことではなく、東京府の郡部を管轄する品川・淀橋・板橋・千住・小松川の4署は、収税部出張所−直税分署・間税分署−収税署の各時代とも郡役所と同じ庁舎を使用していました。創設されたばかりの税務署が、郡役所の庁舎と同じなのはこのためなのです。
 また、東京府庁舎内に開設された東京府収税部は、そのまま東京税務管理局となり、そこに幸橋税務署も併設されていました。ほとんどの府県庁所在地の税務署は、府県庁舎内に設置された税務管理局と併設だったようです。税務管理局は数年を経ずに独立した庁舎に移転していきましたが、県庁所在地の税務署も一緒に移転していきました。
 税務署は、次第に民間の建物を賃貸するなどして独立の庁舎を構えるようになります。国有地に自前の庁舎が建設されるようになるのは、昭和期に入ってからが多いようです。創設時に520あった税務署数は、統廃合や都市部での分割などで時代により変化します。最も少なかったのは大正13年(1924)の統廃合後の345署で、昭和9年(1934)以降からは徐々に増加に転じていきます。
 木造の庁舎から現代の庁舎へと、税務署の庁舎も変遷していきますが、この1枚の絵葉書は税務署のルーツを教えてくれる貴重な史料といえます。

(研究調査員 牛米努)

絵葉書(大田原税務署と那須郡役所の庁舎)