近代の「家」制度は、昭和22年(1947)の憲法や民法の改正によって廃止されました。日本国憲法によって「家」・戸主の制とともに家督相続の制が廃止され、相続は財産相続のみとなり、すべての子が均等に相続するとともに配偶者の相続分を確保しました。家督相続は、戸主の地位とその財産の相続で、長子による単独相続でした。この改正によって大きな影響を受けた国税が相続税でした。
 相続税は、そもそも日露戦争の戦費調達のため、明治38年(1905)に通行税とともに創設されました。相続税は、相続・遺贈または死因贈与により財産を取得した個人を納税義務者とし、相続財産を課税標準としました。
 この相続税に関する解説書は、創設当時から刊行されており、今回紹介する「新令相続税法註解」はその内の1冊です。この本は、明治38年に法学院大学卒業の相馬宏によって書かれ、1条ごとに註解が付されており、関係する法律として戸籍法及び民法などの条文を参照しながら相続税法を解説しています。この中で、家督相続は家系・地位の一切を相続しその義務が多大であるため、単に財産のみを相続する遺産相続の方が税率は高いと書かれています。当時の相続税は、相続を家督相続と遺産相続に分けて課税し、税率は家督相続の方が低く設定されていたのです。また、相続税では、相続人・遺言執行者・相続財産管理人は、課税価格決定に対し異議がある時は通知を受けた日から20日以内に異議の申し立てをして再審査を請求出来ました。税務署長は、再調査の請求があった時は異議がある点を再調査した上、相続税審査委員会に諮問し、課税価格を決定しました。この相続税審査委員会は、税務署ごとに設置され、大蔵大臣の任命を受けた収税官吏2名、直接国税を100円以上納める者3名で構成されました。
 また、同書の巻末に付されている「相続手続案内」では、相続の開始後、納税前に先立って市町村の戸籍を担当する役人(=戸籍吏)及び裁判所に届出る書類として、隠居許可ノ申請(裁判所)・隠居届(戸籍吏)、失踪宣告ノ申立(裁判所)・失踪届(戸籍吏)、家督相続届(戸籍吏)が取り上げられており、戸籍吏は以上の届書を受理したら収税官庁に報告し、相続税を徴収する手続を行うとしています。
 この後、相続税は、たびたび改正が行われ、明治43年には家督相続の税率が高いという非難から税率を引き下げました。また、大正3年(1914)には家督相続に対する特別控除金を認めました(大正15年廃止)。しかし、大正15年の税制改正では、低所得者の負担を軽減、生活必需品に対する課税を廃止、高額所得者の負担を若干増加させ、酒・煙草等の嗜好品に対する課税を増加、といった中で、相続税は免税点、税率の引き上げなど社会政策が多分に加味された増税を行いました。以後、相続税は、昭和12年には臨時租税徴収法によって当分の間増税となり、昭和15年には太平洋戦争の戦費調達のため増税されました。しかし、この間も相続税法では、創設当初と同様に家督相続に配慮し「家」の保護が行われました。
 戦後に入り昭和22年に憲法、民法の全文改正による相続税法の全文改正が行われ、申告納税制度が採用されました。また、昭和25年には相続税の全文改正が行われるなど様々な改正が行われる中、現代へと続いていくのです。

(研究調査員 堀 亮一)