○ 租税史料室の取組
 近世(主に江戸時代)や近代(明治以降)の文書や図書は世の中に多量に現存しており、税務大学校租税史料室では、これらの時代の租税に関する文書や図書を租税史料として管理・保管しています。
 一方、古代(弥生〜平安時代)や中世(鎌倉〜室町時代)の文書は、残るための条件が大変厳しいことなど、多くの要因から現存することは少なく、現存すれば東大寺正倉院に伝来した正倉院文書のように国宝や重要文化財となるほどの価値がありますが、租税史料室には古代や中世の文書の所蔵はないのが現状です。
 しかし、税は古代から脈々と存在しており、租税史料室では、1階エントランスホールにおいて、古代からの日本の税の歴史をパネルや映像で紹介したり、「税」の文字が確認されたもっとも古い木簡(もっかん)(文字を記した木の札)をパネルで紹介するなど、誰もが古代からの税の歴史に触れていただけるよう取り組んでいます(写真1・2)。


○ 7世紀の税
 古代の税の研究はどのように行うのでしょうか。古代の史料は、活字化したり写真版を出版したり、内容を一般向けに解説する図書も多くあります。特に7世紀の税制については、従来、史料が極めて少なかった時期ですが、近年は出土する木簡の数が増え、研究も進んで新たな知見が得られています。そこで奈良文化財研究所『評制下荷札木簡集成(ひょうせいかにふだもっかんしゅうせい)』(東京大学出版会 2006年)等を参考に、最新の研究動向について一部ご紹介します。
 7世紀の税は、8世紀に完成した『日本書紀』の大化2(646)年正月甲子(きのえね)条の「改新之詔(かいしんのみことのり)」を画期とすることが多いのですが、1967年に出土した7世紀の木簡によって、7世紀の税として「改新之詔」に引用されている「郡司」「計帳」の語句は、実際には7世紀には使われておらず、8世紀に成立する大宝律令の時代に使われた語句に書き替えられたことが明白になるなど、7世紀に実際に使われていた語句を知る材料として木簡が注目されるようになりました。そして、7世紀史を検討する際には、『日本書紀』などの編さん物、同時代の金石文(きんせきぶん)、木簡や遺跡調査結果を総合的に踏まえ、定説の再検討を行うようになっています。
 あらためて『日本書紀』の「改新之詔」を読むと、税に関する項目は第4項に記されています。表にまとめたように、第4項には「田之調(たのつき)」「戸別之調(へごとのつき)」の規定があります。これらの内容については議論がありますが、集落単位で賦課された調を意味すると考えられています。
 7世紀代の木簡で年代がわかる最古のものは、現在のところ、奈良県明日香村の石神(いしがみ)遺跡で出土した「乙丑(きのとうし)年」(天智4=665年)の干支を書いた木簡です。なので、木簡で復元できる税制はこれ以降のものとなりますが、木簡では贄(にえ)・調(つき)・養(ちからしろ)の税があったことが確認できます。ちなみに、養は701年の大宝律令で「庸」となるものです。
 養については、藤原宮跡から出土した「(表)甲午年九月十二日知田(ちた)評 (裏)阿具比(あぐひ)里五□部皮嶋□養米六斗」の木簡で確認すると、「甲午(きのえうま)年」(持統8=694年)に、のち尾張国知多(ちた)郡英比(あぐひ)郷と記されるようになる集落から「養米六斗」が中央に納められたことがわかります。これは「改新之詔」第4項に記された「仕丁(つかえのよぼろ)に支給するため五十戸ごとに食料を負担せよ」という内容と合致します。
 この例のように、7世紀史の研究は、8世紀に完成する『日本書紀』だけでは判然としなかったことが、同時代の木簡などを用いて研究することにより明らかになりつつあるなど、新たな段階を迎えています。

(研究調査員 片桐廣美)
「改新の詔」第4項の内容
1 旧賦役をやめて、田の調を納めよ。絹・ふとぎぬ(ふとぎぬ)・糸・綿の品目は郷土で取れるものより選べ。田一町では絹一丈、四町で匹(ひき)とせよ。長さは四丈、広さは二尺半である。ふとぎぬ二丈は、二町で匹とせよ。長さ広さは絹に同じ。布は四丈。長さと広さは絹・ふとぎぬと同じ。一町で端(たん)とせよ。別に戸別の調を納めよ。一戸は貲布(さよみのぬの(粗布))で一丈二尺とする。
2 調副物(ちょうのそわつもの)の塩や贄(にえ(食料品))も郷土で取れるものより選べ。
3 官馬(つかさうま)について。中馬(なかのしなのうま)は一百戸ごとに一匹を出せ。細馬(よきうま)ならば、二百戸ごとに一匹を出せ。馬を出せない時は、一戸につき布一丈二尺で納めよ。
4 兵は人の身ごとに刀・甲(よろひ)・弓・矢・幡(はた)・鼓(つづみ)を納めよ。
5 仕丁(中央官司の雑役をする成年男子)は、以前は三十戸ごとに一人であったのを改め、五十戸ごとに一人を集め、諸司で勤めさせよ。五十戸で仕丁一人の粮(かて(食料))を負担せよ。仕丁分は一戸で庸布一丈二尺、庸米五斗を納めよ。
6 釆女(うねめ(後宮に出仕した女官))は、郡(こほり)の少領以上の姉妹及び形容端正な子女をたてまつれ。一百戸で釆女一人の粮を負担せよ。庸布・庸米は皆仕丁に准ぜよ。