「納税イロハ双六」は昭和16(1941)年1月に東京市役所が発行したものである。翌17年1月の『市政週報』第143号の記事によると、「国民学校初等科一年生児童に配布し非常に喜ばれた」ものであったという。
 昭和16年といえば、アジア・太平洋戦争が開戦した年だが、それ以前から日本は中国との戦争を行っており、子どもたちの娯楽も限られていたころで、双六は喜ばれたにちがいない。双六は八つ折りにたたんであり、表紙には「納税イロハ双六」「東京市」と記し、漁村の絵を背景に男児がサイコロを振る絵が描かれている。大きさは、広げると横79センチメートル・縦54.5センチメートルで、彩色付きの双六が現れる(写真1)。
 双六のコマには絵が描かれているが、絵の作者は洋画家の池部釣(ひとし)(1886−1969)、池部の弟子で漫画家の安本亮一(1901−1950)、漫画家の犀川凡太郎(1886−1975、本名望月桂)・小野佐世男(1905−1954)、漫画を描いていたがのちに創作版画に専念する前川千帆(せんぱん)(1888−1960)、漫画や小説を書いた水島爾保布(1884−1958)の6名である。いずれも東京美術学校(現東京藝術大学)や関西美術院で洋画や日本画を学んだ人物で、この6名がイロハ47字を分担しており、大きいコマには作者のサインが入っている。
 双六の枠外には遊び方が記され、「まわり双六」であること、ジャンケンで順番を決めてサイコロを振り、出た数だけ「イロハ」の順に進むことなどのルールが丁寧に記されている。
 イロハの各コマには納税に関連する標語が記されている。ちなみに「イ」は「勇ンデ入営 コゾツテ納税」であり、上がりの「京」は「京モ田舎モ 挙ツテ納税」である。児童を対象とする双六なので、「立派ナ学校 税金カラ」などの一般的な内容が多いが、47字のうち税制度の歴史を知る史料として興味深い内容がいくつか見える。
 特徴的なのは「ハ」の「初メテ納メル 市民税」である(写真2)。これは昭和15年の税制大改正で創設された市町村民税を扱った標語である。市町村民税は市町村内に一戸を構える個人、または一戸を構えてはいないが、独立の生計を営む個人に課すことになった税である。「ハ」のコマの絵には「間借リデモ一人前サ」とわざわざ記しているが、市町村民税は「他人ノ世帯ニ寄寓シ」「寄宿舎、下宿等ニ寄宿又ハ下宿」し「自己ノ経済ニ於テ生計ヲ営ム者」を独立の生計を営む個人としたので、このような言葉が添えられたと解釈できる(昭和15年8月29日「市町村民税ニ関スル件依命通牒」)。
 また、「町会毎ニ 納税組合」や「楽々納マル 納税組合」「居ナガラ納マル 納税組合」など、納税組合に関する標語も多い。納税組合は、税金を容易かつ確実に納付するため、日ごろから納税資金を貯蓄しておこうとする納税者が任意に組織した組合であった。地域によっては明治時代から存在したところもあるようだが、東京市では昭和15年ころより納税組合の設立を勧奨するようになる(『市政週報』第68号)。この動向を受けて、双六の標語に納税組合のものが多く加わったのだろう。双六の裏面には昭和15年12月制定の「東京市納税組合奨励規定」を記載しており、児童を介して親などに納税組合への加入を勧める効果を期待したと思われる。このような内容の双六は、納税意識を高めるための税務行政政策を示す史料であるといえるだろう。
 双六の娯楽要素としては「忘ルナ延バスナ 納税日」や「油断カラ 督促状」という内容のコマには、「一回休」があり、「エ」「ヒ」の連続するコマには「一ヲ出セバ上リ」(エ)「フリ出シヘ戻ル」(ヒ)とあり、楽しめるようになっている。
 翌年正月には双六の好評を受けて、池部釣・犀川凡太郎両氏の筆による「納税奉公かるた」を作成し、お年玉として各学校に配付したことがわかっているが、実物の史料はまだ見たことがない。この後、東京市は昭和18年に東京府と統合して東京都になる。「納税イロハ双六」は、短期間に終わった東京市の市民税の一面をうかがう史料としても扱うことができる。

(研究調査員 片桐廣美)