NETWORK租税史料 税務情報センター(租税史料室) 酒類密造防止対策協力会広報用ポスター版下

 今回は、平成18年度に名古屋国税局関税務署管内の関酒造組合より寄贈いただいた酒類密造防止対策協力会広報用ポスター版下を紹介する。
 今回寄贈を受けたのは3点だが、いずれも真鍮製である。これらの版下が作成されたのは、出てくる酒造会社の名前などから昭和24年から昭和30年の間と考えられる。一つ目は、3人家族で和やかに食卓を囲み、父親が晩酌をしている風景。「闇酒撲滅」「罰金だ! 脱税だ! 危ない! 密造酒は命取りだ」などといった言葉が添えられ、イラストを囲むように地域の酒造メーカーの名前と銘柄が載せられている。酒類密造防止対策協力会関小支部、関税務署、岐阜県酒類卸協同組合関支部、関酒販協同組合が呼びかけ主体である。
 二つ目は、夫婦で食卓を囲んでいる図である。「密造酒撲滅」と大きく書かれ、その行間には「どぶろくたいじ」と読み仮名が振られている。夫婦の横には苦しそうに男性が倒れこみ「密造酒(どぶろく)を呑むと死ぬ事もあります」と警告が書かれている。こちらには、酒類密造防止対策協力会関小支部、関税務署、関酒造組合、岐阜県酒類卸協同組合関支部のほか、関小売酒販組合が名を連ねている。
 三つ目にはイラストはなく、大きく「闇酒撲滅」「お酒は現金で」と書かれ、それぞれ矢印で「密造防止」「酒税確保」という言葉とつながっている。作成元はこれまでと同様に密造防止対策協力会関小支部であるが、これに関管内の酒類正常取引委員会が加わり、関税務署も協賛という形で名前を載せている。
 これらが訴えるのは、密造酒の防止と酒類の現金購入である。このようなポスターが作成される背景はどのようなものであったのだろうか。
 終戦直後の混乱期は、極度の物資不足による酒および原料米の不足などから、人体に有害な軍用アルコールを添加した密造酒が出回るなどし、税収の圧迫とともに深刻な社会問題となっていた。昭和25年をピークに、取締の強化や酒税税率の大幅軽減、正規酒類の漸増などにより密造酒は減少していく。しかし、それ以後もメチルアルコール添加の密造酒による集団中毒事件などは頻出し、深刻さには変わりがなかった。
 この時期の密造酒の特徴は、戦前の密造の多くが農村部を中心に自家用飲酒を目的としたものが多かったのに対し、戦後、職を失った人々が生活の糧として大規模に都会でも行うケースが増えてきたことである。その結果、戦前では濁酒を中心に造られていたのだが、戦後では大規模かつ組織的となり、濁酒のほか清酒、焼酎が中心となった。ラベル類を偽造し、有名メーカーの酒と偽って売るケースも出てきた。しかも、より利益を上げるためにメチルアルコールのような工業用アルコールを使用する例が頻発し、被害者も出た。
 このような背景から、昭和23年に酒類密造防止対策協議会の設置が閣議決定された。これは副知事などを会長とする官主導の組織であるが、これを補う形で酒類小売商組合などの団体を中心とし、民間主体で組織されたのが酒類密造防止対策協力会である。この酒類密造防止対策協力会は各税務署管内に支部を、各市町村内に小支部を設置しており、実際の防犯運動を展開していた。
 また、史料は酒類の現金購入も呼びかけているが、これは昭和29年から本格化した酒類正常取引推進運動と関係がある。ビールの手形取引問題に端を発して、酒類市場の取引正常化を目的に現金取引の励行を進めていったのである。その一環として、酒類正常取引委員会が各地に作られ、現金での酒購入を呼びかけるさまざまな活動を行ったのである。
 このように、戦後は様々な団体が作られ、活動をしていた。これらの史料は、戦後の混乱期の酒を取り巻く状況を如実に語る貴重なものといえよう。

(研究調査員 今村 千文)