NETWORK租税史料 税務情報センター(租税史料室) 明治32年の所得税改正

租税収入済額五ヶ年対照表
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 現在国税収入の約30%という重要な地位を占めている所得税は、明治20年(1887)に新たな財源の確保と税負担の公平化を目的として導入された。導入当時の所得税は所得が300円以上ある者を対象としており、納税者は所得金高届をもって居住地の郡区長に所得の種類と予算金高を申告していた。
 今回紹介する史料は、明治30年度から同34年度までの「租税収入済額5ヶ年対照表」(明治35年度 主税局第29回統計年報書所収)である。この対照表は、100万円までは10万円単位、1000万円までは100万円単位、1000万円からは1000万円単位になっているので注意してみないと分かりにくいが明治32年度から所得税が大幅な増収となっている。
 明治32年は所得税が全面的に改正された年で、この年から個人の所得だけでなく、法人の所得にも課税されることとなった。これが日本における法人所得課税の始まりであり、対照表に見られる大幅な所得税の増収もこれに起因するものであった。
 また、この改正によって所得税は第1種(法人の所得)、第2種(公債社債の利子)、第3種(それ以外の所得)に分類されたが、第3種は引き続き300円以上の所得者を対象としており、12段階の単純累進税率で課税する仕組みになっていた。明治20年に導入された当時、所得税は、第1等(所得金高3万円以上)、第2等(同2万円以上)、第3等(同1万円以上)、第4等(同1000円以上)、第5等(同300円以上)の5等級に分かれていたが、明治20年度の所得税の納税者は、全国的に見ても第1等…63人、第2等…44人、第3等…209人、第4等…13,061人、第5等…105,217人しかいなかった。また、国税収入に占める所得税の割合は明治20年度が0.8%、明治21年度が1.6%であり、全面改正後も明治32年度が3.5%、明治33年度も4.4%に過ぎなかった。当時(明治22年度)の所得税は全国に40しかなかった都市部が税収の53%を占めるなど都市に住む富裕者中心の税金であった。
 現在、税務情報センター(租税史料室)では、「所得税の導入と調査委員制度」と題した特別展示を行っており、今回紹介した史料をはじめとして所得税導入時の時代背景、導入初期の所得税制度、そして当時の所得税制度の特徴の一つであった所得税調査委員制度について紹介している。
 所得税調査委員制度というのは、納税者の中から選挙で委員を選出し、選出された委員が所得税の調査に当たるというものであるが、展示では、所得税調査委員の選出方法、東京日本橋の所得税調査委員の顔ぶれ、所得税調査委員の特徴などについて紹介している。また、所得税導入当時の大蔵大臣であった松方正義が鹿鳴館で行った税務執行についての演説文なども展示しており、この演説文からは当時の政府が所得税の導入に当たり、どのような体制で臨もうとしていたのかを知ることができる。
 このほかにも、所得税発祥の地であるイギリスが、所得税施行200年を記念して1998年に行った「所得税200年展」のポスターやパンフレットなども展示しているので、是非一度来館し、本物の史料に触れていただきたい(展示は本年9月まで)。

(研究調査員 堀 亮一)