NETWORK租税史料 税務情報センター(租税史料室) 所得番付の歴史―三重県松阪地方の所得番付―

三重県第四区明治27年度所得納税者一覧表
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 租税史料室の平成18年度特別展示は「所得税の導入と調査委員制度」、明治20年(1887)導入初期の所得税および所得税調査委員制度が主なテーマである。今回は、展示品の所得番付「三重県第四区明治二十七年度飯高飯野多気三郡所得納税者一覧表」を紹介しよう。
 番付は江戸時代初期の歌舞伎番付が発祥である。そして商品流通が確立する寛政期(1789〜1801)から隆盛となり、幕末から明治期にかけては、相撲番付、役者番付、長者番付などを始め、さまざまな種類の番付が出版されるとともに、江戸、大坂、京都の三都を中心に、地方都市でも出版されるようになった(林 英夫ほか編『番付集成』上)。
 番付は時代の有力者や人気者、流行などに優劣などを付けて示すことで読者の興味を引き、かつ世相を伝える出版物である。導入された所得税の高額納税者は、実業家、上流華族、高級官吏、大地主、豪商などの有力者で占められたから、番付の格好な対象となった。
 展示の所得番付は、伊勢新聞社松阪支局の出版にかかる。江戸時代、江戸の日本橋問屋街には伊勢店が軒を並べ、大商いぶりを誇ったが、飯高・飯野・多気三郡の中心地松阪は伊勢商人輩出の拠点で、三井高利や小津清左衛門、長谷川次郎兵衛などが江戸に進出した。
 導入された所得税制では、所得税等級金額の議定権を握る所得税調査委員を選ぶため、税務当局から所得税納税者の氏名と住所が管内に公告される。また1等から5等の等級別納税額、納税者数は、所得税決定後に公表される。松阪支局はこれらの公告氏名と公表数値、そして支局独自の取材に基づいて、この松阪地方の所得番付を編成したとみられる。
 所得番付の中央上部を占める「別座」は、別格の意味であろう。別座筆頭の小津清左衛門は松阪本町の木綿問屋、東京日本橋に木綿問屋と洋紙店などを営業し、明治19年東京紡績会社、同31年には松阪に小津銀行を開業する実業家でもあった。別座のもうひとり長谷川次郎兵衛家は松阪魚町の木綿問屋が本業で、東京の日本橋店も大きな営業であった。
 小津清左衛門の所得等級は1等、長谷川次郎兵衛は2等である。明治27年度の1等納税者は全国に僅か92人、同じく2等も69人、所得税納税者は12万9327人である。1等および2等の納税者は、松阪地方では勿論、全国的な規模でも別格の位置を占めたのである。
 ところで東京の高額納税者をみると同じ松阪出身の三井家は上位にあるが、日本橋で大商いをする小津・長谷川両家の名は見出せない。この理由は、数か所に所得がある場合には所得税の納税地を届出なければならないからで、両家は松阪を指定したのではないかと考えられる。
 長谷川家の日本橋店では毎年の営業帳簿はすべて松阪の本家に送り決算する方式で、江戸時代以来の300年間にわたる経営帳簿類が土蔵に大切に保管されてきた(北島正元編著『江戸商業と伊勢店』)。所得税納税地の松阪指定が検証可能な一事例である。

(研究調査員 鈴木 芳行)