NETWORK租税史料 税務情報センター(租税史料室) 松方正義と松花堂 松方正義書簡

 今回は、税務大学校租税史料室所蔵史料の松方正義の書簡(手紙)を紹介する。この史料は、もとは巻紙であったものが軸装されたもので、この書簡が書かれた詳しい年代は不明である。
  書簡の作者である松方正義は、薩摩出身の明治から大正にかけての政治家で、総理大臣を2度務めている。特に大蔵卿、大蔵大臣を長期間務め、財政通として財政政策に大きな影響力を有していたことから、「近代租税の父」とも呼ばれている。
 このような経歴から、読者の方は、松方といえば地租改正の推進者、松方財政、松方デフレ、などを連想されるかもしれない。松方が大きく貢献した日本の近代財政は、急激な変化を伴ったため、松方デフレなどのように、否定的な雰囲気で受け取られることが多い。
  このようなイメージを持たれがちの松方が遺した書簡には、どのようなことが書かれているのであろうか。内容を見てみよう。
 内容の大意は、内田という人物(松方の旧君主家である島津家の家令内田政風か。詳細は不明)が松方を訪問し、その際に「松花堂」を松方に披露した。それに松方は大変感銘を受けた。そのお返しとして、松方のところでお茶会を設けるからおいでいただき、是非お話などをお伺いしたい、というものである。
 文中に「松花堂」と出てくるが、これは現在もお花見などで見かける松花堂弁当、この松花堂と関係がある。
 松花堂は江戸時代初期に実在した人物のことである。真言宗の僧として昭乗と名のり、書画、茶などに才能を発揮した。特に書は寛永三筆の1人とされ、「松花堂流」という流派ができるほどであった。この松花堂昭乗が、茶会で出すための弁当箱を考案した。正方形の弁当箱の中身を十字に区切る仕様で、これが今でも使われている松花堂弁当である。
 この手紙に出てくる「松花堂」はおそらく、松花堂に由来する書、もしくは茶器ではないかと考えられる。特に、文中に「お茶(を)成(し)」とあることから、茶器を指すのだろうか。
 松方は政治家、財政家として活躍したが、また能書家としても知られており、多くの人から書を求められていた。実は、松方と松花堂とは浅からぬ関係があり、大正2年(1913)に、松花堂の顕彰碑(京都府八幡市)を松方が揮毫しているのである。このような事から考えると、書簡中の「松花堂」は書を指す可能性も捨てきれない。
  いずれにせよ、芸術談義に花を咲かせる松方の姿をこの史料から窺い知ることができる。この史料は、政治家、財政家としての松方だけでなく、芸術にも通じていた松方の姿を窺わせてくれる貴重なものといえよう。

(研究調査員 今村千文)