山口 勇輝
税務大学校
研究部研究員
会社法においては、既存株主にその有する株式数に比例して株式の割当てを受ける権利を与える「株主割当て」(会社202)以外の方法、例えば、「第三者割当て」の方法により新株の発行を行う場合、払込金額が新株の引受人にとって「特に有利な金額」であれば、株主総会の特別決議によらなければならず(会社199A、309A五)、かつ、株主総会における取締役による説明義務が発生する(会社199B)。このような新株発行のことを一般に「有利発行」という。
法人税法において、有利発行により新株を引き受けた法人に対する課税関係を直接定めた規定は存在しないものの、有利発行による新株(以下「有利発行有価証券」という。)の取得は法人税法22条2項の「無償による資産の譲受け」に該当し受贈益課税が生じるものと解されており、当該受贈益の額は、法人税法施行令119条1項4号により、新株引受人による実際の払込金額と取得時の時価との差額と解されている。
ただし、取得した有利発行有価証券が、「他の株主等に損害を及ぼすおそれがないと認められる場合」には、法人税法施行令119条1項4号の適用から除かれ(法令119@四括弧書)、実際の払込金額が有価証券の取得価額となるため(法令119@二)、受贈益課税は生じないものとされている。
第三者割当てによる有利発行が行われた場合には、発行済株式総数が増えることにより、既存株主はもともと保有していた株式の価値が希薄化するといった損失(以下「希薄化損失」という。)を被ることになるが、当該有利発行により新株を引き受けた法人が既存株主でもある場合に、有利発行が行われる前から保有していた株式(以下「既存保有株式」という。)に生じた希薄化損失について、受贈益の額の算定の際に考慮できるか否かという課税上の問題が存在する。この点について争われた裁判(大手商社タイ子会社有利発行事件)では、裁判所は、受贈益の額の算定の際に希薄化損失を考慮することを認めていない。
しかし、受贈益の額の算定の際に既存保有株式の希薄化損失を考慮することが認められないとすると、新株の引受人が得たとされる受贈益の額の中には、他の株主が被った希薄化損失の額にとどまらず、新株引受人自身の既存保有株式に生じた希薄化損失の額も含まれることになるため、外部から流入していない経済的利益についてまで課税されることになってしまう。そのため、この点を問題視し、大手商社タイ子会社有利発行事件の判決に対しては、学説上、多数の批判的見解が存在する状況にある。
そこで、本稿では、学説における、大手商社タイ子会社有利発行事件の判決に対する批判的見解を3つの説に分類した上で、それぞれの説を考察することにより、有利発行に係る受贈益の額の算定の際に希薄化損失を考慮することはできないとした裁判所の判断が正しいといえるか否かを明らかにすることとしたい。
(1)法人税法における有利発行課税の趣旨
法人税法において、有利発行が行われた場合に新株を引き受けた法人に対して受贈益課税が行われる理由としては、一般に、有利発行が行われると、新株を引き受けた法人が、取得した新株の時価と払込金額との差額分の利益を得る一方で、新株を引き受けなかった既存株主が、その保有株式につき価値の希薄化による損失を被っているためであると理解されており、また、この損失は、有利発行により新株を引き受けた株主の利益に対応するから、株主間で持分の移転が発生したと見ることができるためであると理解されている。
一方、たとえ有利発行であったとしても、「他の株主等に損害を及ぼすおそれ」がない場合には課税関係が生じないが、その理由については、「新株を取得したことによる時価と払込金額の差額による利益」と「既存保有株式の希薄化による損失(持分の経済的価値の減少)」が等しいために、利益と損失が相互に打ち消し合い、新株主に所得が発生しないためであると理解されている。
(2)裁判例の考察
イ 大手商社タイ子会社有利発行事件
この事件では、新株引受人が有利発行有価証券の取得により得た受贈益の額から、既存保有株式に生じた希薄化損失を控除することができるか否かが争われたが、裁判所は、法人税法は、実現原則を採用し、含み益の増減は課税上考慮しないこととしているとして、受贈益の額から希薄化損失の額を控除することを認めなかった。
ロ 神鋼商事事件
この事件では、法人税法施行令119条1項4号括弧書にて、他の株主等に損害を及ぼすおそれがないと認められる場合に課税関係が生じないと規定している理由について、裁判所は、株主間に平等に新株が割り当てられる場合には、時価と払込金額の差額による利益(受贈益)と希薄化損失が等しいと考えられるためである、と判示した。
(3)希薄化損失を控除しないことにより生じる問題点
法人税法では、他の株主等に損害を及ぼすおそれがないと認められる場合、例えば、株主に対して出資割合に応じて平等に新株が割り当てられた場合には、受贈益課税が生じないこととされている。その理由は、新株引受人に生じる受贈益と希薄化損失の額が同額であり相殺されるためであると解されている。一方で、大手商社タイ子会社有利発行事件判決によれば、出資割合に応じた平等な新株割当てが行われなかった場合には、新株引受人に生じる受贈益の額から希薄化損失を控除することが一切認められない。
そのため、受贈益課税が生じる場合と生じない場合とを比較すると、希薄化損失の取扱いについて整合性が取れていないように思われる。
(4)各学説に対する考察
希薄化損失の額を受贈益の額から控除することはできないとする大手商社タイ子会社有利発行事件判決に対する批判的な見解は、大きく分けて以下の3つの説(未実現利益課税説、外部利益不流入説、法人税法施行令趣旨整合説)に区分することができる。
イ 未実現利益課税説
この見解は、「希薄化損失は未実現の損失ではあるが、受贈益課税が未実現の利益(資産の評価益)に対する例外的な課税である以上、未実現の経済的利益の評価を正しく行うためには、希薄化損失を損失として控除を認めるべきである」とするものである。
しかしながら、有利発行による新株の取得は、時価より低廉な価額で有価証券という資産を取得したことを意味し、法人税法22条2項の「無償による資産の譲受け」に当たり、無償取得(低廉取得を含む。)資産は、取得価額を時価で評価することによって貸方に発生する収益を実現した所得とみることになる。有利発行によって他の株主が被った希薄化損失に相当する額の経済的利益が新株引受人に流入することになるが、当該経済的利益は、新株引受人が取得した有価証券の「取得価額」として反映され、実際に有価証券という資産を取得していることからも、未実現の利益(評価益)には当たらない。したがって、有利発行に係る受贈益課税は未実現の利益に対する例外的な課税には当たらないものと判断される。
ロ 外部利益不流入説
(イ) 時価の算定の際に希薄化損失を考慮できるか
この見解は、「法人税法22条2項の益金の額は外部からの経済的利益の流入を意味するところ、新株引受人の既存保有株式に生じた希薄化損失に相当する部分については、最初から外部(新株引受人以外の既存株主)からの経済的利益の流入が発生していないことから、有利発行有価証券の時価の算定の際に希薄化損失を考慮することにより、実際に外部から流入した経済的利益のみが課税対象となる」とするものである。
しかしながら、法人税法施行令119条1項4号は有利発行有価証券の取得価額を「その取得の時におけるその有価証券の取得のために通常要する価額」と規定しているところ、「その有価証券」とは取得した新株を意味するものと解されることから、既存保有株式は「その有価証券」には該当しないため、既存保有株式の希薄化損失を考慮した時価の算定は認められないものと判断される。
(ロ) 新株に係る受贈益の額と旧株に係る希薄化損失の額は一致する必要があるか
また、この見解は、法人税法22条2項の益金の額は外部から流入する経済的価値を意味するため、新株を取得しなかった既存株主に生じた希薄化損失の額以上が引受人の益金の額になることはなく、他の株主が被った希薄化損失の額と引受人の受贈益の額は同額であるべき、と主張する。
しかしながら、現行の法人税法施行令119条1項4号の規定は、取得時の時価と払込金額との差額を受贈益の額と規定しており、他の株主が被った希薄化損失の額と引受人の受贈益の額が同額となる規定にはなっていない。また、上記(イ)で述べたとおり、時価算定の際に既存保有株式の希薄化損失を考慮できない以上、現行法令の解釈上は、他の株主が被った希薄化損失の額と同額を受贈益の額と解することは認められないものと判断される。
なお、有利発行税制が創設された昭和48年当時、有利発行による既存株主からの経済的利益(既存株主に生じた希薄化損失)の移転を引受人における受贈益課税の対象とすることを想定しながら、当時問題となった事案においては新株の引受人が既存株主ではなく新規株主であったこともあり、既存株主が新株を取得した場合までは想定せずに制度設計がなされた可能性がある。なぜなら、既存株主が新株を取得しない場合であれば、単純に、時価と払込金額との差額を受贈益として課税することとしても、外部から流入する経済的利益の額以上に課税されることはないためである。
しかしながら、現状においては、既存株主が新株を引き受ける第三者割当てが広く行われていることからすれば、新株引受人が実際に得た経済的利益以上の額が課税対象とされている現行法令について、立法論としての検討の余地は認められるであろう。
ハ 法人税法施行令趣旨整合説
この見解は、「法人税法施行令119条1項4号括弧書が『他の株主等に損害を及ぼすおそれがないと認められる場合』に課税が生じないと規定している趣旨が、神鋼商事事件判決が述べたとおり、新株引受人に生じた受贈益の額と希薄化損失の額が等しいためであるとすると、既存株主のうち特定の株主のみが有利発行により新株を引き受けた場合であっても、既存保有株式に係る希薄化損失を控除できるとしなければ課税が生じない場合との整合性がとれない」とするものである。
しかしながら、この神鋼商事事件判決は、株主間の持分に変動が生じない場合に課税関係が生じない理由を別の表現で説明したにすぎず、持分に変動が生じる場合、すなわち、課税関係が生じる場合についてまで、受贈益の額から希薄化損失を控除することまでを認める趣旨で述べたものとは認められない。したがって、法人税法施行令趣旨整合説を採ることはできないものと判断される。
以上のとおり、上記3つの学説のいずれの立場に立ったとしても、現行法令の解釈上、受贈益の額から希薄化損失を控除することが認められないことが明らかとなった。また、新株の有利発行によって取得した新株に生じるのが受贈益であり、既存保有株式に生じるのが希薄化損失であり、受贈益と希薄化損失とでは発生原因及び発生源となる資産(有価証券)が異なるため、法人税法22条2項の「収益」が総額(グロス)概念である以上、両者を相殺することは認められない。以上より、大手商社タイ子会社有利発行事件判決は、現行法令の解釈としては正当な判断であったと結論付けられる。
とはいえ、現行法令の解釈では、新株引受人に課される受贈益の額が自らが他の株主から受けた経済的利益の額を上回る場合があることは事実であり、立法論としては検討の余地は十分に認められるところ、この問題についてはいまだ最高裁判決が出ていないことから、今後の議論の積み重ねが待たれる。最高裁が将来、どのような判断を行うのかが注目される。
項目 | ページ |
---|---|
はじめに | 174 |
第1章 有利発行に関する規定 | 178 |
第1節 会社法における有利発行規制 | 178 |
1 募集株式の発行等の方法 | 178 |
2 有利発行規制 | 181 |
3 株式価値の希釈化 | 184 |
4 有利発行規制の意義 | 185 |
第2節 法人税法における受贈益課税規定 | 186 |
1 受贈益課税規定 | 186 |
2 受贈益課税の趣旨 | 192 |
第2章 有利発行に係る受贈益課税についての裁判例の考察 | 196 |
第1節 有利発行に係る受贈益課税における論点 | 196 |
1 概要 | 196 |
2 論点の具体例 | 197 |
第2節 裁判例の考察 | 199 |
1 大手商社タイ子会社有利発行事件 | 199 |
2 神鋼商事事件 | 209 |
第3章 希薄化損失を考慮しないことにより生じる諸問題 | 215 |
第1節 有利発行該当性の判定の場面における希薄化損失の取扱い | 215 |
1 法人税法の規定 | 215 |
2 会社法における有利発行の判断基準 | 218 |
3 大手商社タイ子会社有利発行事件判決 | 221 |
4 小括 | 224 |
第2節 受贈益の額の算定の場面における希薄化損失の取扱い | 226 |
1 法人税法の規定 | 226 |
2 大手商社タイ子会社有利発行事件判決 | 228 |
第3節 有利発行事件判決に対する各学説 | 229 |
1 各学説の概要 | 229 |
2 希薄化損失を考慮できないとする裁判所の判断を支持する見解 | 229 |
3 現行法令の解釈上、希薄化損失を考慮すべきとする見解 | 231 |
第4節 大手商社タイ子会社有利発行事件判決の問題点 | 235 |
1 問題の概要 | 235 |
2 具体例 | 237 |
3 課税上の問題 | 248 |
第4章 未実現利益課税説の考察 | 251 |
第1節 希薄化損失は未実現の損失に当たるか | 251 |
1 希薄化損失の性質 | 251 |
2 資産の評価損に係る別段の定め | 252 |
第2節 有利発行に係る受贈益は未実現の利益に当たるか | 253 |
1 問題点 | 253 |
2 実現主義の意義 | 254 |
3 「別段の定め」の意義 | 263 |
4 有価証券の有利発行が行われた場合の企業会計上の処理 | 265 |
5 法人税法22条2項と法人税法施行令119条1項4号との関係 | 266 |
6 受贈益と評価益の相違点 | 274 |
7 小括 | 275 |
第5章 外部利益不流入説の考察 | 276 |
第1節 時価算定の際に希薄化損失を考慮できるか | 276 |
1 外部利益不流入説の概要 | 276 |
2 時価算定の際に希薄化損失を考慮することが認められるか | 276 |
3 小括 | 281 |
第2節 法人税法22条2項の「取引」の意義 | 282 |
1 法人税法22条2項の「取引」とは | 282 |
2 既存株主説と発行法人説 | 285 |
3 裁判例 | 286 |
4 取引の当事者、経済的利益の移転の当事者 | 292 |
第3節 現行の法人税法施行令の規定は受贈益課税の制度趣旨と整合するか | 297 |
1 問題点 | 297 |
2 有利発行税制の沿革 | 298 |
3 検討 | 305 |
第6章 法人税法施行令趣旨整合説の考察 | 309 |
1 希薄化損失の取扱いに関する差異の問題 | 309 |
2 「株主等として取得」したものかどうかで課税関係を区分する 趣旨 |
311 |
3 具体例への当てはめ | 313 |
おわりに | 315 |