上田 正勝
税務大学校
研究部教育官

要約

1 研究の目的(問題の所在)

会計検査院の平成27年度決算検査報告において、以下の所見が示された。
 「国外に所在する中古等建物については、簡便法により算定された耐用年数が建物の実際の使用期間に適合していないおそれがあると認められる。そして、賃貸料収入を上回る減価償却費を計上することにより、不動産所得の金額が減少して損失が生ずることになり、損益通算を行って所得税額が減少することになる。
 したがって、本院の検査によって明らかになった状況を踏まえて、今後、財務省において、国外に所在する中古の建物に係る減価償却費の在り方について、様々な視点から有効性及び公平性を高めるよう検討を行っていくことが肝要である。」
 ここで、この問題となる状況を生み出す具体的スキームは以下のとおりである。
(1)国外所在中古建物を購入して賃貸する際、簡便法(100分の20)によって耐用年数を見積もることにより多額の減価償却費を計上し、不動産所得の赤字を発生させ、給与所得等(最高税率55%)と損益通算をし、所得税額を減少させる。
(2)所有期間5年超の段階で当該建物を譲渡する。その際、譲渡所得が生じ、その取得価額は多額に計上された減価償却費累計額控除後の非常に低い価額(ほぼゼロ)となるため、減価償却費が過大であった分、譲渡所得金額が過大になるものの、分離課税(所有期間5年超で20%)の適用を受ける。
 本スキームの税制上の問題点は、@中古の減価償却資産について簡便法により耐用年数を算定することができるところ、特に国外所在中古建物では、簡便法により算出された耐用年数と実際の使用可能期間が乖離している場合があること、A不動産所得の損失は、原則、無制限に他の所得と損益通算が可能であること、B減価償却を行った減価償却資産の譲渡による所得は、実態と乖離した減価償却費が源泉と評価できる金額も含めて譲渡所得(20%の分離課税)として課税されること、にあり、本スキーム全体を通して、総合課税の所得(最高税率55%)を分離課税の所得(税率20%)に転換することができることにある。
 そのため、本スキームのような所得区分間の適用税率の差異を利用した租税負担の軽減を防ぐための方策が早急に必要とされているが、抜本的な制度改正は実現までに多くの議論と調整が必要となる可能性が高い。そこで、本研究においては抜本的な改正よりも、本スキームによる租税負担の軽減を個別に防止する方策を主に検討することとする。

2 研究の概要

(1)本スキームの問題点とその原因
 耐用年数の全てを経過した国外所在中古建物を取得し、簡便法による耐用年数(4年)を適用することによって、多額の減価償却費を計上して、不動産所得に損失を生じさせ、これを、他の総合課税の対象となる所得と損益通算することにより、最高税率55%が適用される所得を減少させている。
 他方、その多額の減価償却費は、最終的に当該建物を売却する際に譲渡収入金額から控除すべき取得価額を減少させる効果がある。そのため、譲渡所得金額は増加するのであるが、保有期間5年以上の建物の場合、20%の分離課税となることから、本スキームにおける減価償却費は損益通算を通じて、最高税率55%の所得を減少させ、その反面、税率20%の所得を増加させるという、税率を転換する効果を発揮したことになる。
 ところで、本スキームが租税回避といえるかという点に関しては、節税と租税回避の境界付近の事例であると考えられるが、少なくとも、本スキームによる租税負担の減少は、「租税法規が予定しているところに従って」生じているのではないことから、法令解釈や執行の工夫だけでは十分に対応できないのであれば、必要に応じて、租税法規の改正によって、租税法規が予定していない租税負担の減少を防ぐべきである。

(2)法令解釈による対処可能性の検討
 耐用年数省令3条1項2号において、簡便法による耐用年数の見積りが規定されているところ、使用可能な年数を見積もることが困難なものに限って簡便法を利用することができるとされている。
 ところで、国外所在の不動産(建物)の貸付けを行って不動産所得を得ているのであれば、当該不動産は所在地国の恒久的施設(PE)となり、不動産所在地国の税務当局に対する税務申告も必要になると思われる。
 その際、当該国の税制に適合した減価償却費を計上するはずであり、そのための中古資産に関する耐用年数の見積りに関する何らかの定めがあるのであれば、現地法令に基づいて既に見積りを行っていることになる。
 そうであれば、耐用年数省令の「見積もることが困難」には当たらず、簡便法による耐用年数は利用不可として、所在地国における税務申告に利用した耐用年数をもって、中古資産の見積り耐用年数とすべきという運営が考えられ、これであれば現行法令の解釈のみで対応可能と考えられる。
 そこで、この方策の適否につき検討する。
 税務上、減価償却費がどのように認められるかは各国税制によって異なる。そこで検査院報告において、本スキームの対象となった可能性があると考えられる国外所在中古建物の約4分の3が存在することが分かった米国及び英国の減価償却制度を概観し、その制度に則った耐用年数を我が国の税務申告において活用しうるか検討する。

イ 米国における減価償却制度
 米国租税法においては、減価償却資産の使用を開始した時期によって、「大きく3種類の異なる減価償却制度が存在」しており、「167条による減価償却制度」、「加速度原価回収制度(ACRS: accelerated cost recovery system)」、「修正加速度原価回収制度(MACRS: modified accelerated cost recovery system)」という。
 167条による減価償却制度は、「わが国の減価償却資産の耐用年数等に関する省令の別表のようなもの」ということができる。
 加速度原価回収制度(ACRS)は、会計上の減価償却制度の思考から大きく離れ、投資された原価を回収するための制度として位置づけられるものである。それは、租税の、社会政策(政策目標)を達成する手段としての機能がより重視されるようになったことを意味している。
 修正加速度原価回収制度(MACRS)は、加速度原価回収(ACRS)よりも償却期間を延長した制度である。
 各制度が適用される資産の使用開始時期から考えると、現在米国で減価償却が行われている減価償却資産のほとんどは、加速度原価回収制度か修正加速度原価回収制度を適用して税務上の減価償却費を計上しているものと考えられる。
 つまり、米国においては、「現行の税法上の減価償却制度は、伝統的な企業会計でいうところの減価償却(適正な期間損益計算を目的とした費用収益対応の原則を充たすもの)ではなく、正確には、「投資原価を回収するためのしくみ」を便宜上、減価償却と呼んでいる」ということができ、企業会計の考え方を参考としつつ、法律関係の画一的処理を図るという我が国の税務上の減価償却制度とは、大きく理念を異にすると評価できる。

ロ 英国における建物に対する減価償却制度
 英国においては、建物に対する減価償却概念が無いという発想のもと、政策的に特別な場合という位置付けのキャピタル・アローワンスという所得控除が認められており、政権交代・経済政策の方向性に応じて変更される政策的要素の強い制度となっている。
 対象資産も建物については、工業用建物と特定のホテルのみであり、その償却率は1945年所得税法において工業用建物に対する減価償却が導入されて以来、定額法で償却率4%〜0%の間で変遷している。これを耐用年数に当てはめ直すと、25年から無限大(つまり減価しない資産)ということになる。
 このように、英国においては、特に建物について減価するという概念が乏しく、税法独自のキャピタル・アローワンスが経済政策のための政策手段として用いられており、我が国の税制及び会計制度とは減価償却に関する概念が根本的に異なっているということができる。

ハ 小括
 減価償却制度は、米国のように伝統的な企業会計における減価償却制度とは異なる政策的な加速度原価回収制度が採用されていたり、英国のように(特に建物に対する)減価償却に関する概念が我が国と根本的に異なっていたりと、国によって多様な制度となっている可能性があることが分かった。
 そのような、根本的な理念や理論が異なる可能性がある外国税制における耐用年数に当たるものを我が国の減価償却制度にそのまま持ち込むとすると、例えば、我が国税制であれば政策的な特別措置による特別償却に当たるものが、本則の税制となっている可能性があるなど、我が国税制の理念や理論にそぐわない結果となるおそれがある。
 そして、それを防ぐために、減価償却資産所在地国の減価償却制度が準用可能か否かのチェックが国ごと、若しくは資産ごとに必要になるとすれば、いたずらに税制が複雑化し、予見可能性が低下するなど、コンプライアンスコストの上昇を招くであろう。
 これらのことを考慮すると、この方法で対応することは不適当であると考える。

(3)簡便法改正による対処可能性の検討
 耐用年数通達1−5−2及び1−5−3において、中古資産であっても当該減価償却資産の再取得価額の100分の50に相当する金額を超える資本的支出が行われたときは、見積法及び簡便法を適用することができず、法定耐用年数によるものと規定されている。
 そこで、この支出金額に意味を見いだす規定をヒントとして、中古資産の取得価額を用いて、現行の法定耐用年数の100分の20という簡便法に代えて、もう少し精緻な簡便法に改正できないか検討する。

イ 中古資産の取引価額の意味
 ファイナンス理論においては、資産が市場において売買される際の価額は、その資産が将来生み出すキャッシュフローの現在価値の合計となるとされている。
 この計算を行う際に必要な要素は、@各年の収入(キャッシュフロー)、Aそれを得ることができる年数(使用可能期間)、B期待収益率であり、それによってC適正な取引価額(時価)が定まることになる。
 これを利用すれば、不動産投資における期待収益率と、今後期待できる賃料収入を不動産賃貸市況から推定すれば、@収入、B期待収益率及びC取引価額が判明していてA使用可能年数だけが不明な方程式となるので、A使用可能年数(=耐用年数)を計算によって見積もることができることとなる。

ロ 問題点
 ファイナンス理論としてはこのように言えたとしても、特に建物の売買は、金融商品よりも低い流動性と高い個別性という特徴を有することから、ファイナンス理論どおりに価格が形成されるような完全な市場が常に形成されるとは限らず、むしろ、建物、売主、買主の個別事情に基づく個別の需給による価格形成が行われがちである。そうであるならば、使用可能年数を中古資産の取引価額などに基づいた計算によって容易に求めることができると考えるのは現実的ではなく、そのような簡便法改正は不適当と言わざるを得ない。

(4)法令改正での対処可能性の検討(損益通算の制限)
 既述のとおり、法令解釈や執行のみによって本スキームを利用した租税負担の軽減に対処することは現実的ではない。
 そこで、特に問題が大きいと指摘されている国外所在中古建物の賃貸による不動産所得の損失につき、「損益通算によって所得税額が減少」することを防止するため、租税特別措置法41条の4(不動産所得に係る損益通算の特例)又は租税特別措置法41条の4の2(特定組合員等の不動産所得に係る損益通算等の特例)のような形式で、租税特別措置として損益通算を認めないこととする対応が考えられる。

イ 制度の対象
 本スキームは、国外所在中古建物を賃貸する際に、耐用年数の乖離を利用して過大な減価償却費を計上することにより、不動産所得の損失を発生させることから始まる。
 ところで、減価償却とは「ある資産が何年間使えるか(耐用年数)、そしてその期間中にどのように価値が減っていくか、もう使えなくなったときにいくらの価値が残るか(…残存価額)、というようなことについて、すべて合理的な仮定とストーリーを設け、そのストーリーに従って必要経費を計算するという会計技術」ということができる。当然、現行税法の定める耐用年数も一定の仮定に基づくものであると考えられる。
 一方、移動させることができない建物が国外に所在する場合、使用可能年数に関して、日本とは大きく異なる所在地の気候、風土、建築技術、社会制度等の影響を強く受けるが、所在地国に応じて耐用年数を個別に法定するということは現実的ではないことから「一定の仮定」から外れやすい資産であると考えられる。
 その結果、国外に所在する建物は、国内に所在する建物や移動可能な動産と異なり、使用可能年数と法定耐用年数の間に特に乖離が起こりやすいといえ、その結果、本スキームのような租税負担の軽減に利用されている。
 このような国外に所在する建物特有の性質と実情を考慮すると、国外に所在する建物のみをターゲットとする特例を設けることに一定の合理性があると考えられる。

ロ 考えられる制度
 租税特別措置法によって、国外に所在する建物から得られる不動産所得の損失のうち、当該建物の減価償却費相当額については、国内所得及び他の所得区分と損益通算できないよう遮断すれば、賃貸料収入を上回る減価償却費を計上し、損益通算を通じて最終的に所得区分を転換し適用税率を変更するという本スキームによる所得税額の減少を防止することができる。
 ここで、新築建物の扱いであるが、中古建物のみを対象とする場合、新築であれば法定耐用年数が適用され、それが実態と乖離していても、今回の特例の対象とはならないこととなり、極端な例を挙げるならば、新築から1日でも第三者の所有になった後に購入した場合は、中古として特例の対象となってしまい新築建物を取得した場合に比べて不利益を被る可能性が生じるという不合理が生じることとなる。
 この不合理を解消するためには、@新築建物も中古建物と同様に今回の特例の対象とするか、A中古建物であっても法定耐用年数を適用することを選択した納税者については、新築建物を購入した納税者と共に、今回の特例の対象外とすることが考えられる。
 理論的には@が好ましいといえるが、今回の措置を、通常の不動産投資を行っている納税者への影響を少しでも少なくしつつ、特に耐用年数を全て若しくはほとんど経過した中古建物を用いて、極端に短い耐用年数を適用することによって租税負担を減少させていることに対処するための措置であると考えるのであれば、Aはバランスの取れた制度となると考えられる。

ハ 所得税の原則との関係
 所得税は投下資本の回収部分に課税が及ぶことを避けることが必要とされている。
 今回検討している措置によって損益通算が制限される損失とは、我が国税法における減価償却制度の基となる耐用年数決定のための一定の仮定から外れた結果、減価償却費として費用化されるタイミングに問題が生じて発生する損失である。投下資本の回収部分に課税を及ぼすべきではないという所得税の原則からすれば、立法に際してある程度の制約が生じることは許容されるにせよ、節税策防止の改正案と同時になんらかの立法上の手当てを行うことが適当であると考える。
 ただし、その際にも、実務上の制約や現行税制との関係を考慮しつつ改正案を考える必要がある。

(5)節税防止目的を超える不利益の防止策1(対象者の限定)
 本スキームの最も大きな問題点は、総合課税の所得(最高税率55%)を分離課税の所得(税率20%)に転換できることにある。
 その観点からすると、総合課税の所得の限界税率が分離課税の税率を超えない納税者については、損益通算を制限する必要はないこととなる。
 そこで、その年分の国外所在中古建物から得られる所得を除いた所得につき地方税を含めた限界税率が20%以下となる納税者はこの特例の対象から除くという限定を行うことができる。

イ メリット
 本スキームとは明らかに無関係な納税者への影響を容易に取り除くことができる。

ロ デメリット
 除外されなかった納税者については、投下資本に課税を及ぼすべきではないという所得税の本質に関わる問題を解消できない。

(6)節税防止目的を超える不利益の防止策2(損益通算を制限された損失の繰越し)
 所得税の原則からすれば、損益通算を制限された損失も、最終的には費用化できる制度とすることが理論的には適切であることから、損益通算を制限された全ての損失が費用化できるまで、不動産所得内でその損失を繰越し可能とすることが考えられる。
 しかし、現行の個人所得に対する所得税においては、各種の損失の繰越控除について、繰越し可能な期間は(震災特例法が適用される場合を除き)最大で3年間である。
 そのような中、国外所在中古建物に関する損失についてのみ、3年を大幅に超える繰越しを認める制度を設けることは適当ではないと考えられることから、この方向の改正を行うとした場合でも、繰越し可能な期間は3年間とすることが現実的であろう。
 また、青色申告の純損失の繰越控除と同様に、繰り越すべき損失が生じた年分は青色申告書を提出していること、さらに、その損失が発生した年以降、連続して確定申告書を提出していることも、繰越控除を正確に行うために必要な要件であることから、これも純損失の繰越控除と同様に、適用の要件とすべきである。

イ メリット
 既にある法令に準じた制度とすることから、立法及び執行が共に容易である。

ロ デメリット
 納税者からすれば、青色申告要件、連年申告要件など、特に手続き的に負担感がある制度となる上に、3年で損失が消滅するため、本スキームと無関係な国外不動産所得を得ている者に対しても大きな不利益が及ぶおそれがある。

(7)節税防止目的を超える不利益の防止策3(減価償却費の計算に類似する特別措置)
 今回問題となっている損失は、元々は減価償却のタイミングのズレから生じていることから、減価償却費の計算に類似する制度を措置することでタイミングのズレを解消できないか検討する。
 例えば、損益通算が制限された損失の金額を、所得税法施行令127条1項(資本的支出として必要経費に算入されなかった金額)と同様の計算によって、将来費用化できるようにする特例を措置する、又は、法人税法における減価償却限度超過額の取り扱いに準じた特例とすることが可能ではないかと考える。
 また、この金額は特例として申告書上にだけ存在する架空の資産であるので、その損失を生じさせた国外所在中古建物が売却された際には、その譲渡所得の取得価額としてできる限り解消できる制度として併せて措置しておくことが、不動産所得を生ずべき国外所在中古建物が無くなった後に減価償却費が生じ続けるという不都合を防ぐために適当であると考える。
 また、これを簡易化し、損益通算が制限された損失の金額については、(以後の年分における減価償却費としての計算を行うのではなく)当該国外所在中古建物が売却等された時点において、その譲渡所得の取得価額としてのみ認容するという方法も考えられる。

イ メリット
 投下資本に課税を及ぼすべきではないという所得税の本質を、損益通算が制限される損失発生の原因となった減価償却費を国外不動産所得又は当該不動産に係る譲渡所得の範囲内で将来認容するという方法によって守ることができる。

ロ デメリット
 特例措置によって損益通算が制限された損失を、さらに特例措置によって申告書上にだけ存在する架空の資産又は金額として管理し、順次費用化するという技巧的な方法であり、これまでの方法と比べると複雑な制度となる。(ただし、譲渡所得の取得金額にのみ含める方法であれば複雑さはかなり軽減される。)
 また、別な問題としては、この特例を適用して所得計算を行う場合、国外所在中古建物を利用して生じた不動産所得の損失については、事実上、無限に繰り越すことが可能となったと評価することもでき、現行所得税法における損失の繰越しが最大3年間であることと比較した際に、明らかにバランスを欠くものである。そのようなアンバランスは新たな課税上の弊害を生む可能性もあるため、なんらかの問題が生じないか慎重に検討する必要がある。

(8)節税防止目的を超える不利益の防止策4(減価償却費の計算についての特例)
 前述の特例が技巧的に過ぎる点を改善するために、特例措置によって損益通算を制限された損失相当額につき、減価償却が行われなかったものとみなす、という方法が考えられる。
 この方法の場合、損益通算を制限された損失相当額が国外所在中古建物の未償却残高に加算されることから、翌年分以降の減価償却によって費用化されることとなる。また、譲渡時点において費用化できていない金額があったとしても、自動的に譲渡所得の取得価額として費用化されることとなる。

イ メリット
 損益通算を制限された損失相当額が未償却残高に加算されるため、架空の資産を申告書上に擬制する必要がなくなる。

ロ デメリット
 累進税率である所得税においては、償却費の恣意的な処理を防止する必要性が大きいため、減価償却制度は強制償却とされている。また、その副次的効果として、申告が行われなかった年分があるなど、納税者自身による継続的な資産管理が不十分であったとしても、取得年月と取得価額が分かれば、後年において確定申告を再開した際にも、その年分における減価償却費や未償却残高を容易に確定することができることとなる。
 しかし、この特例の場合、この強制償却の原則をみなし規定によって変更してしまうことになる。さらに、この特例は各年分で未償却残高に加算された時点で完結することとなるため、連年申告を要件に特例を認めるという構成を取ることができず、確定申告が行われない年があった場合など、後年において未償却残高等が不明確になってしまうという執行上の不都合も生じるおそれがある。
 そして、この特例についても、国外所在中古建物を利用して生じた不動産所得の損失について、事実上、無限に繰り越すことが可能となったと評価することもでき、新たな課税上の弊害を生むおそれがあると考える必要がある。

(9)節税防止目的を超える不利益の防止策5(法定耐用年数を用いた場合の特例不適用)
(4)ロにおいて新築建物との関係で検討したところであるが、中古建物であっても法定耐用年数を適用することを選択した納税者については、新築建物を購入した納税者と共に、今回の損益通算の制限措置の対象外とする、という方法が考えられる。
 この方法の場合、国外所在中古建物について、法定耐用年数を適用することを納税者が選択することのみをもって、国外不動産所得に関する損失の損益通算を制限する特例措置が適用されないこととなり、通常の所得計算を行うことができることとなる。

イ メリット
 法定耐用年数を利用するという選択を納税者が行うことのみで、通常の所得計算を行うことができるようになるので、これまでの各案の中で最も簡便な方法である。

ロ デメリット
 国外所在中古建物について、真に利用可能年数が短い場合であっても、その短い年数を耐用年数とすることにつき、納税者を萎縮させる効果を生じるおそれがある。(ただし、真に適正な使用可能年数が耐用年数である場合、その建物の減価償却費だけでその建物の賃料収入を超えることになるとは考えにくく、真に適正な見積りであれば、大きな問題とはならないと思われる。)

(10)節税防止目的を超える不利益の防止策(小括)
 (5)から(9)の各案を比較検討した結果、(9)の法定耐用年数を用いた場合に特例を不適用とする方策が、極めて小さなデメリットで、最も簡便に、損益通算を制限する特例を導入した際に生じる問題を解消することができることから、最も適切な方策であると考える。
 もちろん、この案を採用したとしても、(ある程度の調整は必要かもしれないが)他の案を重ねて採用してはいけないという性質のものではないので、例えば、法定耐用年数以外の耐用年数を採用した納税者が偶発的に損失を発生させたような場合に対処するために、(5)から(8)の案を、それぞれのデメリットを考慮しつつ、何らかの形で併せて採用するといったことは、実際の立法の際に考慮されてもいいものと考える。

(11)改正法令の適用時期
 今回検討したいずれの改正を行うこととしても、改正以前に事業の用に供している建物から生じる所得に対しても適用するのであれば、不利益変更となる場合もあるので、その適用時期について、遡及立法になるかどうかという点での考慮が必要である。
 遡及立法に関しては、「憲法84条は納税者の信頼を裏切るような遡及立法を禁止する趣旨を含んでいる、と解すべき」とされており、「所得税や法人税のような期間税については、納税義務が成立するのは、期間の終了時である(税通15条1項・2項1号・3号)が、その基礎をなす課税要件事実(行為や事実)は、期間の開始とともに発生し所得はそれに応じて累積するから、年度の途中で納税者に不利益な改正をし、それを年度の始めにさかのぼって適用することは一種の遡及立法である」と解されている。
 また、判例においては、「憲法84条の趣旨に反するか否かについては、上記の諸事情(筆者注:当該財産権の性質、その内容を変更する程度及びこれを変更することによって保護される公益の性質など)を総合的に勘案した上で、このような暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用による課税関係における法的安定への影響が納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかという観点から判断するのが相当と解すべきである」とされている。
 そこで、本稿において提案する改正案についても、「当該財産権の性質、その内容を変更する程度及びこれを変更することによって保護される公益の性質などの諸事情」を総合的に勘案する必要がある。
 本稿において提案する改正案は、課税期間(暦年)が終了した段階で計算される減価償却費と損益通算されるべき損失の金額に関するものであり、国外所在中古建物を購入した初年度以外においては、その期間内に外部との取引が存在しないことによって発生する費用及び損失である。
 また、損失が生じなければなんの影響も生じない損益通算の制限規定が、偶発的に損失となった場合の不利益防止規定と共に施行されるのであれば、法令改正によって変更される財産権の性質とその内容を変更する程度といった観点において、大きな不利益変更となるとは思われない。
 他方で、総合勘案すべき公益についてであるが、本スキームは少なくとも租税法規が予定しているわけではない租税負担の軽減策であることから、租税の公平な負担を実現するべく、これを個別に制限する立法は速やかに行われるべきであるが、これは前記判例において公益として考慮された「我が国の経済へ深刻な影響」に対処するというまでの重大性があるとはいい難いところである。
 つまり、前記判例と比較して、改正が行なわれた年分から適用した場合の財産権の不利益変更の程度は低いものの、公益性も高くはないということになり、これらの諸事情を総合勘案した結果が、憲法84条に違反することになるか否かは、軽々に判断できないと言わざるを得ない。
 そのため適用時期を改正年分からとする場合と、改正翌年分からとする場合のどちらが適切であるかについては、どちらも相応に合理的であり、筆者がこれ以上論じる実益は少なく、法改正時の政策判断によるべきものと考える。
 ただし、本稿において最も適切であると結論付けた、法定耐用年数を選択した場合に損益通算の制限を行わないという案が不利益防止規定として採用された場合、それだけであれば、改正以前に購入し、法定耐用年数以外の耐用年数を前年までに選択した国外所在中古建物にかかる不動産所得については、改正が適用される年分以降の所得計算において、損益通算が制限された損失が救済されることなく消滅することとなる。これは、後年において制限された損失が費用化されるチャンスがある他の不利益防止規定案と比べれば、不利益の度合いが大きくなると考えられる。そのため、この不利益を減殺するために、何らかの措置、例えば、他の各案のいずれかを併せて措置することが適当であると考える。

3 結論

  今回の節税スキームについては、まずは、耐用年数省令の改正や法令解釈のレベルでは十分な対応は難しく、法改正によるべきであることが分かった。
 そして、本スキームに対する対抗措置を簡易・迅速に立法するべく、損益通算の制限を出発点としつつ、所得税の本質的な理論との両立を図るために@対象となる納税者を所得金額によって制限する、A損益通算を制限された損失の3年間の繰越しを認める、B損益通算を制限された金額を順次費用化する特例を併せて措置する、C損益通算を制限された金額につき減価償却が行われなかったものとみなす特例を措置する、D法定耐用年数を適用することを選択した場合には損益通算の制限の対象外とする、という5案のメリット及びデメリットを検討した。
 その結果、損益通算を制限する措置を導入すると同時に、D法定耐用年数を適用することを選択した場合には損益通算の制限の対象外とする、という案が、最も簡易な方法で本スキームを封じると同時に、損益通算を制限する特例を導入した際に生じる問題を、所得税に関する理論との抵触を避け、現行税制とのバランスを保ちつつ解消することができると結論付けた。
 もちろん、立法担当者が実際に法案を作成する際に、どのような案を採用するのか、若しくは複数の案を組み合わせるのかということは、その時点での政策判断によるところが大きく、最終的にどのような制度となるかは分からないが、本論文における検討が、実際の立法の際の参考となれば幸いである。


目次

項目 ページ
はじめに 120
第1章 国外所在中古建物を用いた節税スキーム 122
第1節 関係する税制の概要 122
1 納税義務と課税所得の範囲 122
2 所得区分と税率 122
3 損益通算 125
4 減価償却 125
5 小括 136
第2節 所得税額変動の概要 136
1 設例 137
2 租税負担の変動 138
3 本スキームの問題点 140
第2章 法令解釈による対処可能性の検討 142
第1節 簡便法利用の条件 142
1 耐用年数省令の規定 142
2 簡便法の利用の可否 142
第2節 減価償却制度の比較 143
1 米国における減価償却制度 143
2 英国における減価償却制度 145
3 小括 147
第3章 簡便法改正による対処可能性の検討 149
1 中古資産の取引価額の意味 149
2 ファイナンス理論からの検討 149
3 問題点 150
第4章 法令改正の検討 152
第1節 損益通算の制限 152
1 同様の効果を持つ既存の法令 152
2 考えられる改正案 152
第2節 所得税の原則との関係 156
1 必要経費の意義 156
2 期間計算主義と純損失の繰越控除 157
3 改正案の問題点 158
第5章 節税防止目的を超える不利益の防止策 160
第1節 対象者の制限 160
1 適用税率からの検討 160
2 メリットとデメリット 160
第2節 損益通算を制限された損失の繰越し 161
1 損失の繰越し 161
2 メリットとデメリット 162
第3節 損益通算を制限された損失額についての特例 162
1 減価償却費の計算に類似する特別措置 162
2 メリットとデメリット 164
第4節 減価償却費の計算についての特例 165
1 減価償却費の計算についての特例 165
2 メリットとデメリット 165
第5節 法定耐用年数を用いた場合の特例不適用 166
1 損益通算を制限しない条件設定 166
2 メリットとデメリット 167
第6節 各案の比較 167
1 各案の比較 167
2 小括 168
第6章 改正法令の適用時期 170
第1節 租税における遡及立法の可否 170
1 租税における遡及立法 170
2 判例 170
3 本件における遡及立法の可否 171
おわりに 174