佐々木 誠
税務大学校
研究部教授
現行の所得税法における受益者等課税信託では、信託財産に属する資産及び負債は受益者が有するものと、信託財産に帰せられる収益及び費用は受益者に帰属するものとそれぞれみなすとともに、信託の受益者が複数存在する場合には、信託財産に属する資産及び負債の全部をそれぞれの受益者がその有する権利の内容に応じて有するものとし、その信託財産に帰せられる収益及び費用の全部がそれぞれの受益者にその有する権利の内容に応じて帰せられることとされている。
信託の受益権は、量的に分割するだけでなく、収益受益権と元本受益権のように質的に分割することも可能になっているところ、現在の税制では、その質的に分割された各受益権に係る受益者は、具体的にどのように信託財産に属する資産及び負債を有し、信託財産に帰せられる収益及び費用が自らに帰属するものとして所得税の計算を行うべきかが、法令上も税務解釈としても明らかではない。また、受託者は信託財産に帰せられる収益の一部を信託に留保することも可能となっているが、その場合には、一部の受益者にその信託から生ずる全ての収益が帰属するものとして課税が行われることとされているため、最終的に利益を享受しない者に対して課税が行われることもあり得ることとなっており、合理的ではないとの批判が存在しているところである。
このため、受益権が質的に分割される信託のうち、今後、個人の財産管理や承継のために活用が見込まれる収益分配を受ける権利と元本分配を受ける権利を分割する信託や、信託収益を受益者に分配せずに、その全部又は一部が留保される信託を念頭に置き、現行の受益者等課税信託に代わる新たな課税方式を検討することとしたい。
信託を巡る近年の状況変化や、その変化に伴い生ずる課税上の問題点等を概観した上で、より柔軟な制度設計が可能となっている新信託法の下における信託収益に対する新たな課税方式の導入について、立法的観点からの検討を行う。
(1)信託を巡る状況の変化等
我が国の信託は商事信託を中心に発展してきたといわれており、その中でも集団信託が盛んに行われ、法制度面でも特別信託法がより発展してきたといわれている。そのような状況の中で、新信託法がビジネスツールの供給と高齢化社会における個人資産管理のためのツールの供給という2つの大きな使命をもって成立した。
信託の重要な機能のひとつに財産管理機能がある。信託が有する財産管理機能の特徴としては、財産権の名義を受託者に移転することにより、財産の支配権を受託者に移すことができる転換機能があることである。高齢者や障害者等のような財産管理能力が劣る者にとってはこの転換機能を利用することにより、受託者による信託財産に係る所有権の拘束を受けることが信託を活用するメリットとなる。
(2)現行制度における課税上の問題点
民事信託において活用が見込まれる受益権が質的に分割された信託について、現行の受益者等課税信託の考え方の下で課税しようとする場合には、次のような場面において検討すべき問題点が生じる。
イ 信託設定時に委託者が収益受益権を取得した者からその対価の支払を受けた場合における課税方法や、その収益受益権を取得した者のその取得費の取扱い
ロ 収益受益権者が支払を受ける収益分配金の所得区分や、その収益受益権に係る信託財産が減価償却資産である場合における減価償却費の配賦方法
ハ 信託終了時に元本受益権者が引き継ぐ信託財産の帳簿価額の算定方法
また、信託財産に帰せられる収益の全部又は一部が受益者に分配されずに留保される信託では、その信託に留保された所得が現存する受益者に帰属するものとして課税が行われる。これは、受益者等課税信託では、信託内に収益を留保することにより、徒に課税繰延べを生じさせないことを企図したものであると考えることができるが、最終的に利益を享受しない者に対して課税する結果となることも生じ得るものとして合理的ではないとの批判が存在している。
これまでの一般的な我が国の民事信託の形態は、委託者が自らを受益者として組成されるものが多く、こうした形態の信託は、その委託者兼受益者が信託財産を引き続き有していると考えることが可能であるという経済的な実態面を踏まえ、受益者に信託財産等が帰属するという擬制を行うことにより課税関係を処理してきたといえる。しかしながら、受益権が質的に分割された信託では、受益権の相対的な関係が信託期間を通じて変動することや、収益計算上の費用項目が異なる受益者に帰属している場合が生じることなど、信託に係る資産・負債等を、信託期間を通じて受益権の内容に整合的に帰属させることが困難との問題が生じる。このような信託については、経済的な実態や受益者の実感に合致する課税方法の枠組みを構築していく必要がある。
(3)信託元本及び収益の意義と収益及び費用の帰属
イ 信託契約における信託元本と収益の意義
信託契約においては、信託法に特段の制限がない限り、受益権の内容を自由に定めることが可能であるため、信託法や信託実務においては、様々な内容の受益権を設定することができる。その際に用いられる「元本」や「収益」という内容は一律ではなく、その意義について信託法をはじめとする他の制度に求めることはできない。したがって、受益権が質的に分割された信託の受益者が受ける利益に対する課税方式を定めるにあたっては、受益者に対して課税すべき所得金額の算出が可能となるよう、税法においてこれらの受益権の意義を定めていく必要がある。
ロ 収益及び費用の帰属
現行の信託に係る収益及び費用の帰属に関する規定(所法13条1項本文)は、いわゆる実質所得者課税(所法12)の例外として設けられているが、当該帰属に関する規定は、人的な帰属だけでなく、信託財産に帰せられる収益の課税するタイミングも定め、その発生した年に課税することにより実際の分配時まで課税が繰り延べられることを防止している。これらの規定と費用収益対応の原則の考え方を前提として信託財産に係る減価償却費の帰属を検討すると、減価償却は、費用収益対応の原則に則って、資産の取得費を使用又は時間の経過による減価に応じて徐々に費用化するという考え方から採られているものであることや、収益受益権者は収益の帰属すべき者であること等を踏まえると、その収益受益権者が減価償却費を計上することができると考えるべきである。しかし、収益受益権のみを有する者は、通常は信託財産を取得しておらず、減価償却費の計算の基礎となる減価償却資産の取得価額を有しない。このため、収益のうち減価償却費相当額の金銭等の分配を受けるためには、信託元本の払戻しを受ける権利のような減価償却資産である信託財産に対する何らかの権利を有していると考える必要があろう。
(4)信託収益に対する新たな課税方式の検討
質的分割がされた信託(質的分割信託)や収益の分配が留保される信託(収益留保信託)に対する課税法式としては、信託の原則に立ち返って、受託者が信託において果たす役割を重視し、受託者が信託財産を所有するとの私法上の法律関係を前提にする方式により課税することが検討されるべきである。以下では、この新たな信託収益に対する課税方式について、立法化を念頭においた具体的な制度設計を検討する。
イ 税制上の新たな信託の区分
質的分割信託は信託制度の柔軟性を利用した多様な方式を考えることができること等を踏まえると、従来の受益者等課税信託に該当する信託の要件を類型化することによって、現行のパススルー課税の対象となる信託の範囲を規律することが合理的である。具体的には、次に掲げる要件が、信託契約において、明確かつ確定的となっている信託を「量的分割信託」として現行のパススルー課税の対象とし、量的分割信託に該当しない信託を「受託者計算信託」として新たな課税方式の対象となる信託として位置付ける。
(イ)信託期間を通じて、全ての受益権の権利の内容が、信託財産に係る全ての権利の一定割合に相当するものとされていること。
(ロ)信託期間を通じて、信託財産に帰属する収益及びこれに対応する費用の全てを、その収益が信託財産に帰属すべき日の属する年分に、現存する受益者に対して分配することとされていること。
ロ 質的分割信託における受益権の意義
受託者計算信託のうち質的分割信託に係る所得税の課税方式を定める場合には、所得税法において、収益又は元本の分配を受ける権利の意義を次のように定めることが考えられる。
(イ)収益受益権……信託期間中に信託財産から生ずる各種所得の金額の配賦を受ける権利
(ロ)元本償却受益権……信託期間中に減価償却費相当額の金銭等の分配を受けることができる権利、及び信託期間中に信託財産の譲渡をした場合にその譲渡対価の全部又は一部(信託終了までの減価償却費及びその譲渡損益)の分配を受けることができる権利
(ハ)元本受益権……信託期間の終了後に信託財産(残余財産)の分配を受けることができる権利
ハ 信託設定時の課税関係
受託者計算信託に係る信託財産を拠出した場合には、その拠出は信託受益権を設定する行為と観念する。その上で、委託者は、受益権を一旦取得し、その取得した受益権を委託者から受益者に移転したものとみなして課税する。この課税は、その受益権の適正な対価の支払の有無により次の方法が考えられる。
(イ)受益権の適正な対価の支払がある場合
委託者から受益者に対して信託受益権の譲渡があったものとして課税する。収益受益権については、金銭債権と同様の性質を有するものであると認められることから、その譲渡による所得は事業所得又は雑所得として課税すべきである。元本受益権の譲渡による所得については、信託財産の取得価額を控除して計算すべきと考えるが、取得価額のうちの一部は減価償却費として信託期間中に費用化されるため、信託終了時の簿価を推算し、これを元本受益権の取得費とすべきである。
(ロ)受益権の適正な対価の支払がない場合
委託者から受益者に対して信託受益権の贈与があったものとして課税する。なお、現行制度では、信託設定時に受益権の評価額を算出することとされているが、受益者が受けるべき利益の価額が、将来生ずべき事実や受託者等の裁量に係る場合には、その評価は困難を極めるものと考えられる。このため、質的分割信託の収益受益権又は元本(償却)受益権に係る贈与課税については、現行の設定時課税を改め、その受益権に基づいて実際に収益又は財産の分配を受けた際に課税する方式に改めることを検討すべきである。
ニ 信託期間中の受託者における所得金額の計算
受託者計算信託の受託者は、これを個人とみなし、当該受託者は、その信託財産に帰属する収益及び費用について、所得税法の規定に従って所得区分や課税方式の異なるごとに所得金額の計算を行う。損失が生じた場合における所得区分間の損益通算についても、所得税法の規定に基づいて行う。
ホ 所得の配賦等を受けた受益者に対する課税
収益受益権者に対しては、その有する権利に基づき、受託者において計算された信託財産に帰属するネットの所得金額が配賦され、その収益受益権者を納税義務者として所得税を課税する。この収益受益権者が配賦を受ける所得の所得区分は、信託財産の個性に由来する収益に係る所得区分の引継ぎを行うべきである。
元本償却受益権者に対しては、その年分に必要経費に算入されるべき減価償却費相当額の金銭等が分配される。また、信託財産を譲渡した場合には、その譲渡対価の全部又は一部が分配される。元本償却受益権に基づき分配を受ける金銭等は、適正な対価を支払わずに当該権利を取得している場合には、その分配を受けた金銭等に対して贈与税が課税される。また、適正な対価を支払っていても、当該権利に基づき信託財産の譲渡対価の全部又は一部を受領した場合には、減価償却費相当額を上回る部分が譲渡所得として課税される。
ヘ 信託に留保された所得に対する課税
受託者計算信託において受託者により計算された所得金額のうち、その計算された年分において受益者に対して配賦されなかった金額については、その受託者を納税義務者として課税する。この場合、高額所得者が、複数の信託契約を締結することによって所得を分散させようとすることを想定すれば、その総合課税の対象となる信託留保所得に対しては、所得税の最高税率(45%)等を適用すべきであろう。ただし、留保された所得に対して一律に高い税率を適用して課税することは、適用される所得税の限界税率が低い社会的弱者のために信託を利用することへの阻害要因となるおそれが生じるため、分配を受けた受益者が確定申告をすることにより、信託段階で課税された所得税との精算を可能とする制度を設けることが考えられる。
ト 信託受益権を譲渡した場合の課税
受託者計算信託の受益権の譲渡による所得を、権利の譲渡として総合課税の譲渡所得とした場合には、信託を使うことよって資産の譲渡による所得の性質を変更することが可能となり、これが原資産と信託受益権の取扱いの差を利用した租税回避行為の誘因となる可能性は否定できない。このような弊害に対処するとともに、発生する所得の経済的実質に見合った課税とする観点からは、当該受益権の譲渡による所得は、その譲渡があった受益権の内容に応じて課税することが適当である。
チ 信託終了時の課税関係
受託者計算信託では受益時に贈与により取得した財産に対して課税するため、元本受益権を適正な対価を支払わないで取得している場合には、信託の終了時に移転した残余財産の価額に対して贈与税が課税されるべきである。元本受益権を適正な対価の支払をして取得している場合には、その取得した残余財産の取得価額は、その元本受益権の取得価額とする。
受益者等課税信託の下での質的分割信託に係る所得税の取扱いにおいて最も難解な問題は、信託財産に係る減価償却費の取扱いと、信託財産に帰せられる所得の所得区分の判定であった。これらについては、信託に帰せられる所得の計算主体を受託者とすることによって、経済的な実態や信託関係者の実感に合致する合理的な税制を構築し課税を行うことが可能であると思われる。
今後、信託に関する所得税を含めた税制の枠組みを早期に再構築することにより、我が国における信託制度の利用とその社会的・経済的な重要性が進展することが期待される。その場合、諸外国においてそうであるように、我が国においても信託を利用した租税回避が出現することを避けることはできないのであろうが、それへの対応やその他の税制の技術的な細部については、これからの信託の制度の発展や取引の成熟に応じて不断に見直していくことが重要である。
項目 | ページ |
---|---|
はじめに | 273 |
第1章 信託を巡る状況の変化等 | 275 |
第1節 我が国における信託法制の歩み | 275 |
1 新信託法の制定まで | 275 |
2 新信託法の制定 | 277 |
第2節 新信託法による民事信託 | 278 |
第2章 現行制度における課税上の問題点 | 282 |
第1節 受益権を元本受益権と収益受益権に分割した信託 | 282 |
1 信託設定時の課税関係―収益受益権について― | 282 |
2 信託設定時の課税関係―元本受益権について― | 285 |
3 信託期間中の課税関係 | 286 |
4 収益受益権を譲渡した場合の課税関係 | 288 |
5 元本受益権を譲渡した場合の課税関係 | 289 |
6 信託終了時の課税関係 | 289 |
第2節 信託財産に収益が留保される信託 | 290 |
1 留保された信託利益に対する課税 | 290 |
2 法人課税信託との関係 | 292 |
第3節 受益権に優先権と劣後権を設定した信託 | 292 |
第4節 小括 | 294 |
第3章 信託元本及び収益の意義と収益及び費用の帰属 | 296 |
第1節 信託契約における元本受益権と収益受益権の意義 | 296 |
1 信託法における元本受益権と収益受益権の意義 | 296 |
2 元本・収益受益権者の権利と信託財産との関係 | 297 |
3 信託元本及び収益の決定方法 | 298 |
4 小括 | 298 |
第2節 収益及び費用の帰属 | 299 |
1 実質所得者課税の原則 | 299 |
2 信託に係る収益・費用の帰属に関する規定 | 301 |
3 収益及び費用の帰属時期 | 302 |
4 実質所得者課税の原則と費用収益対応の原則との関係を踏まえた質的分割信託における減価償却費の取扱いについての考察 | 304 |
第4章 信託収益に対する新たな課税方式の検討 | 307 |
第1節 基本的な考え方 | 307 |
第2節 課税方式別の信託の類型 | 308 |
1 現行制度における信託課税の類型 | 308 |
2 受益者等課税信託との区分の必要性 | 309 |
3 税制上の新たな信託の区分の創設 | 311 |
第3節 質的分割信託の受益権 | 313 |
1 信託受益権により帰属する収益・資産等の範囲 | 313 |
2 元本償却受益権相当額の金銭を分配しない場合 | 316 |
3 信託契約に収益受益権と元本償却受益権の区分の定めがない場合 | 316 |
4 元本受益権を有する者が受益すべき収益等について | 317 |
第4節 信託設定時の課税関係 | 319 |
1 受益権の取得に際して適正な対価の支払がある場合 | 319 |
2 受益権の取得に際して適正な対価の支払がない場合 | 327 |
第5節 信託期間中の受託者における所得金額の計算 | 334 |
第6節 所得の配賦等を受けた受益者に対する課税 | 336 |
1 所得の配賦の認識基準 | 338 |
2 所得区分の取扱い | 339 |
3 受益権を有償で取得している場合の取得費の取扱い | 341 |
4 信託において生じた損失の取扱い | 342 |
第7節 信託に留保された所得に対する課税方式 | 344 |
1 留保所得が各受益者に配賦されたものとして課税する方式 | 344 |
2 受益者に配賦されなかった所得を全て信託留保所得として課税する方式 | 346 |
3 信託留保所得の分配があった場合の課税方式 | 349 |
4 法人課税信託との関係 | 352 |
第8節 信託受益権を譲渡した場合の課税 | 353 |
第9節 信託終了時の課税関係 | 356 |
第10節 その他検討を要する事項 | 358 |
1 受託者計算信託の信託財産に帰せられる収益に係る源泉徴収義務者の変更 | 358 |
2 信託の計算書の整備 | 359 |
結びに代えて | 361 |