畑山 茂樹
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

インセンティブ報酬とは、一定のプラン等に基づいて事前に目標及び支払額が設定され、その目標の達成の有無により支払が決定される報酬である。インセンティブ報酬の目的は、役員等に会社の業績向上や株価の上昇を目指す精勤を期待することにある。そのため、将来の報酬を得ることができる権利や株式が事前に交付されるが、一定の期間は権利等の行使や譲渡が制限され、設定された目標が達成されると権利行使が可能となり、あるいは譲渡制限が解除されることにより、報酬としての利益が生ずる仕組みが採られる。
 インセンティブ報酬においては、事前に交付される権利や株式にも経済的価値があると認められるため、1権利等の交付時、2目標の達成時、3権利の行使時又は4譲渡制限の解除時などのいずれの時点で課税すべきかが問題となる。
 我が国では、一定の要件の下で、いわゆる税制適格ストック・オプションの権利行使益の課税を繰り延べる特例(措法29条の2)のほか、新株予約権等を利用したストック・オプションの権利行使時課税(所令84条2項)及び譲渡制限付株式(リストリクテッド・ストック)の譲渡制限解除時課税(同条1項)について規定しているが、これら以外のインセンティブ報酬について個別の規定は設けられていない。
 個別規定のないインセンティブ報酬の収入計上時期については、いわゆる権利確定主義を採用したと解されている所法36条の解釈に基づいて判断することとなるが、過去の裁判例においては、インセンティブ報酬の収入計上時期の判断において権利確定主義がどのように適用されているのか、又は適用されていないのかが必ずしも明らかではない。
 そこで、株式を利用したインセンティブ報酬の課税に関する裁判例を分析することにより、個別規定が置かれていないインセンティブ報酬を含む収入計上時期の一般的な考え方について考察する。

2 研究の概要

(1)株式を利用したインセンティブ報酬の仕組み

イ 米国におけるインセンティブ報酬制度
 米国における経営者報酬は、1基本給、2年次賞与及び3長期インセンティブ報酬を組み合わせて支給されるのが一般的である。
 これらの報酬の総額は、1990年代後半に急激に増加しており、その大部分は金銭報酬以外の長期インセンティブ報酬が占めている。そして、近年は、ストック・オプションよりもフルバリュー型の株式報酬が増加している。
 米国におけるインセンティブ報酬には様々な種類があるが、最終的に支給される報酬が金銭であるか株式であるかによって金銭報酬と株式報酬とに区分され、それぞれ設定される目標が会社の業績に連動するか株価に連動するかによって業績連動型報酬と株価連動型報酬に区分される。また、株式報酬については、株式の交付の時期による区分も行なわれる。

ロ 我が国におけるインセンティブ報酬制度
 我が国では、平成7年の特定新規事業実施円滑化臨時措置法の改正により、同法の認定会社におけるストック・オプション制度が導入された後、平成9年の商法改正により、一般的な株式会社にストック・オプション制度の対象が拡大された。
 その後、平成13年の商法改正により設けられた新株予約権制度が、平成17年に制定された会社法においても引き継がれ、その都度、制度における制限の撤廃等が行われることにより、新株予約権を利用したストック・オプションの活用が図られてきた。
 他方、株式報酬制度については、会社法上の制約等の面から慎重な姿勢が採られてきたが、平成27年7月にコーポレート・ガバナンス・システムの在り方に関する研究会の報告書において、金銭報酬債権を現物出資する方法を用いる新しい株式報酬が解釈として示されたことにより、我が国においても譲渡制限付株式(リストリクテッド・ストック)の導入が可能となり、必要な税制の整備が行なわれた。
 この結果、我が国においても様々な種類のインセンティブ報酬の利用が可能となった。

(2)収入計上時期に関する規定等

イ 所得の実現と収入計上時期
 我が国の所得税法は、包括的所得概念(純資産増加説)を採用しており、所得を「収入」と捉えることにより、実現した所得を課税の対象としている。
 所得の実現時期の原則的な判断基準が権利確定主義であり、現実の収入がなくても、収入の原因となる権利が確定した時点で所得の実現があったものとして課税所得を計算することになる。ただし、原則的な基準である権利確定主義が適用される範囲(例外との境界)や、「権利の確定」の意義は必ずしも明確とはいえない。
 権利確定主義の適用に関しては、所得の種類や取引の形態に応じて適切な基準を設定することが重要であることから、権利確定主義を適用すべき場合について検討したところ、ⅰ)収入が金銭で支払われる場合、ⅱ)収入として金銭以外の資産が交付される場合、ⅲ)収入となる経済的利益が資産の低額譲渡の形態で享受される場合における金銭の支払請求権又は資産の引渡請求権が「収入の原因となる権利」に該当し、これらの場合には権利確定主義を適用すべきと考えた。

ロ インセンティブ報酬に関する規定
 いわゆる税制適格ストック・オプションについては、一定の要件の下で課税を繰り延べる特例(ストック・オプション税制。措法29条の2。)が設けられている。
 また、当該特例が適用されない税制非適格ストック・オプションについては、その権利行使時の株式の時価を基礎として収入金額を計算する旨の規定(所令84条2項)が設けられているので、権利行使時が収入計上時期になると解されている。
 そして、株式報酬である譲渡制限付株式(リストリクテッド・ストック)については、譲渡制限の解除時の株式の時価を基礎として収入金額を計算する旨の規定(同条1項)が設けられているので、譲渡制限の解除時が収入計上時期になると解されている。
 ただし、これら以外のインセンティブ報酬については個別の規定が設けられていないため、各種所得の収入計上時期を一般的に規定する所法36条の解釈に従って判断することになる。

(3)インセンティブ報酬の課税に関する裁判例の分析

イ ストック・オプションに関する裁判例
 ストック・オプションに係る最高裁平成17年判決及びその原審である東京高裁平成16年判決では、いずれもストック・オプションの交付時課税を否定し、権利行使時に課税すべきと判断している。
 最高裁平成17年判決では、その判断において権利の確定という表現は使われておらず、所得が実現したか否かを基準とする判断が行われているように思われる。
 これに対し、東京高裁平成16年判決は、権利確定主義に関する判例を引用しているものの、やはり権利が確定したか否かで判断しているわけではなく、ストック・オプションの付与が「現実の収入」に当たるか否か、ストック・オプション自体が「収入の原因となる権利」に該当するか否かという観点から判断しているように思われる。

ロ ストック・アプリシエイションライトに関する裁判例
 金銭報酬であるストック・アプリシエイションライトに係る東京地裁平成16年判決は、基本的にストック・オプションに関する判断をそのまま引用して結論を出している。
 いずれも権利行使時を収入計上時期とすべきとしているが、その判断理由において権利確定主義を適用しているような説明は見当たらない。

ハ リストリクテッド・ストックに関する裁判例
 リストリクテッド・ストックに係る東京地裁平成17年判決は、権利確定主義に係る判例を引用しているものの、譲渡制限の解除時を収入計上時期とする判断を行なうに当たって権利確定主義がどのように適用されたのかは、その判決理由からは不明である。
 東京地裁平成17年判決は、交付された譲渡制限付株式(リストリクテッド・ストック)が、没収される可能性のある不確定なものにすぎないことや、事実上処分が不可能とされていることなど、5つの事実認定に基づいて判断しているのであるが、判決理由では、それらの事実がそれぞれ結論にどのような影響を与えたのかは明らかではない。

ニ ストック・ユニットに関する裁判例
 本件におけるストック・ユニットは、その交付後、一定期間の経過により順次確定し、定められた転換予定日に株式に転換されることにより株式が交付される仕組みである(リストリクテッド・ストック・ユニットに該当すると考えられる。)。
 ストック・ユニットに係る東京地裁平成28年判決は、権利確定主義に係る判例を引用し、本件では、本件ストック・ユニットの転換日に株式を取得することができる権利を確定的に取得したと評価できるので、その転換日に「収入の原因となる権利」が確定したと判示している。
 また、本件では、ストック・ユニットに付された譲渡制限とは別に、インサイダー取引の防止を目的とするグループ会社の自主規制として、一定期間の株式の取引制限が課されていたため、それが収入計上時期の判断に影響を与えるか否かが問題となった。東京地裁平成28年判決は、本件で最終的に報酬として交付される株式の引渡請求権が確定した時点が収入計上時期であり、インサイダー取引に関する制限は、その判断に影響を与えないと判示している。

(4)インセンティブ報酬の収入計上時期

  以上の検討結果を踏まえ、インセンティブ報酬を、1最初に交付されるものが権利か株式か(又は金銭か)、2最終的に報酬として交付されるものが金銭か株式かという観点から分類し、それぞれの類型における収入計上時期についての考え方を整理した上で、現行法令との関係について考察する。

イ 最初に金銭が交付される類型
 この類型のインセンティブ報酬の収入計上時期は、交付された金銭の返還を要しないこととなったときである。
 最初に金銭が交付された時点では、当該金銭が収入となるか否かが未定であり、返還の可能性があるので、交付の時点で純資産が増加したとみるべきではなく、そのため、金銭の交付時は収入計上時期とは解されない。
 受領した金銭の返還を要しないこととなったときに、返還債務が消滅し、純資産が増加するので、その時点で所得が実現すると考えられる。このように考えると、この類型のインセンティブ報酬の収入計上時期の判断において、権利確定主義は適用されないことになる。

ロ 最初に権利Aが交付される類型
 権利Aは、これを行使することによって報酬としての金銭の支払請求権を生じさせる権利であり、ストック・アプリシエイションライト等が該当する。
 この類型のインセンティブ報酬の収入計上時期は、権利Aを行使したときであり、当該行使によって生ずる金銭の支払請求権が「収入の原因となる権利」に該当し、この場面で権利確定主義が適用されると考える。
 権利Aの交付時には、権利Aに換価可能性がなく、所得が生ずるか否かは未定である。そのため、権利A自体が「現実の収入」や「収入の原因となる権利」に該当することはなく、その交付時は収入計上時期とは解されない。権利Aの行使可能時も同様であり、これらの時点では権利確定主義は適用されないと考える。

ハ 最初に権利Bが交付される類型
 権利Bが交付される類型には、大きく分けて2つの仕組みがある。1つは、権利Bを行使することによって、報酬として交付される株式の引渡請求権が生ずるリストリクテッド・ストック・ユニット等であり、もう1つは、権利Bを行使して株式の時価よりも低い権利行使価格を払い込むことによって、株式の引渡請求権が生ずるストック・オプションである。
 いずれの仕組みにおいても、その収入計上時期は権利Bを行使したときであり、当該行使によって生ずる株式の引渡請求権が「収入の原因となる権利」に該当し、この場面で権利確定主義が適用されると考える。
 権利Bの交付時や権利行使可能時は、収入計上時期とは解されず、権利確定主義が適用されないことについては、権利Aと同様である。
 ただし、最終的に株式の引渡請求権を生じさせる権利Bは、これを証券化し、自由に売買できる市場が存在する可能性がある。そのような状況で権利Bに付された譲渡制限が解除された場合には、当該譲渡制限の解除時を収入計上時期と解すべき余地があるが、インセンティブ報酬である以上、権利行使の前に譲渡制限が解除されることはないと考える。

ニ 最初に株式が交付される類型
 この類型のインセンティブ報酬では、最初に譲渡制限の付された株式が交付され、目標を達成すると譲渡制限が解除されるが、目標を達成しないと交付された株式が没収される仕組みである。この場合の収入計上時期は、交付された株式が没収されないこととなったときと、株式に付された譲渡制限が解除されたときの、いずれか遅いときであると考える。
 最初に株式が交付された時点では、目標を達成するか否かが未定であり、交付された株式を没収される可能性があるので、その時点で純資産が増加したとみるべきではなく、そのため、株式の交付時は収入計上時期とは解されない。
 受領した株式が没収されないこととなったときに、株式の受領とともに生じた返還義務が消滅し、純資産が増加するので、その時点で所得が実現すると考えられる。
 また、譲渡制限の付された株式は自由に処分することができないが、譲渡制限が解除されることにより自由な処分が可能となり、株式を管理支配することになるので、その時点で所得が実現すると解することもできる。
 このように考えると、この類型のインセンティブ報酬の収入計上時期の判断において、権利確定主義は適用されないと考えられる。

ホ 現行法令との関係
 分類した各類型のインセンティブ報酬のうち、個別の規定が設けられているのは、1権利Bを交付する類型のうち、税制適格ストック・オプション以外のストック・オプション(所令84条2項)と、2株式を交付する類型のうち、特定譲渡制限付株式に該当するリストリクテッド・ストック(同条1項)の2つである。これらの規定は、いずれも会社法の改正等に伴って設けられたものであるが、次のとおり、疑問となる点が存在する。
 前者については、新株予約権が証券化されて市場が存在する場合、新株予約権に付された譲渡制限が解除された時点を収入計上時期と解すべき余地があるものの、現行法はこの点に対応していないと考えられる。
 また、後者については、現行法は譲渡制限の解除時を収入計上時期と解しているものの、研究の結果によれば、株式の没収可能性も考慮すべきであると思われる。
 ただし、いずれの場合もインセンティブ報酬であることを前提とすれば、実際に問題となる場面は生じないと考えられる。

3 結びに代えて

研究では、インセンティブ報酬の収入計上時期に関する一般的な考え方の整理を試みようとしたのであるが、過去の裁判例を分析したところ、権利確定主義の適用関係が不明確であったため、その点が検討の中心となった。
 そこで、権利確定主義を適用すべき場合として3通りの取引形態を想定するとともに、インセンティブ報酬を4つの類型に区分して、それぞれの類型ごとに収入計上時期についての検討を行なった。
 結論として、権利や株式の交付時は収入計上時期とは解されないが、それは権利確定主義に基づく判断ではなく、「所得が実現」していないことを理由とするものと考えられた。権利確定主義が適用されるのは、最初に権利を交付する2つの類型において、権利の行使時を収入計上時期と解する場面であり、この場合、権利行使によって生ずる金銭の支払請求権又は株式の引渡請求権が「収入の原因となる権利」に該当すると考える。
 このように考えることにより、インセンティブ報酬の収入計上時期の判断における権利確定主義の適用関係に関し、一つの説明ができたのではないかと考える。
 また、インセンティブ報酬を4つの類型に区分したことにより、各類型における考え方の整合性を図る必要が生じ、結果として、現行法における疑問点を把握することとなった。ただし、インセンティブ報酬であることを前提とすれば、実際に問題となる場面は生じないので、現時点で法令等の改正の必要性は少ないと考える。


目次

項目 ページ
はじめに17
第1章 株式を利用したインセンティブ報酬の仕組み19
第1節 米国におけるインセンティブ報酬制度19
1 米国における経営者報酬19
2 インセンティブ報酬の種類21
3 インセンティブ報酬の仕組みと分類24
第2節 ストック・オプション制度の導入・発展の経緯27
1 平成7年の新規事業法の改正以前27
2 平成7年の新規事業法の改正等28
3 平成9年の商法改正等29
4 平成13年の商法改正等30
5 平成17年の会社法の制定等32
6 小括36
第3節 リストリクテッド・ストック導入の経緯36
1 導入前の状況36
2 新しい株式報酬制度の導入の検討37
3 金銭報酬債権を現物出資する新しい株式報酬38
4 リストリクテッド・ストックの導入に伴う税制改正の概要等39
5 我が国におけるインセンティブ報酬の種類42
第2章 収入計上時期に関する規定等44
第1節 各種所得の収入計上時期44
1 所得概念44
2 包括的所得概念と所得の実現46
3 所得の実現と年度帰属47
4 所得の年度帰属と権利確定主義49
5 権利が確定するとき51
6 経済的利益等の収入計上時期52
7 小括53
第2節 ストック・オプション税制53
1 制度の創設(平成8年度改正)53
2 その後の主な改正54
3 現行のストック・オプション税制の概要等55
4 小括56
第3節 ストック・オプションとしての新株予約権等57
1 所令84条2項が適用される場合等57
2 所令84条2項各号の内容 62
3 小括 66
第4節 リストリクテッド・ストックとしての譲渡制限付株式66
1 特定譲渡制限付株式の定義等66
2 特定譲渡制限付株式が交付された場合の収入金額の計算等68
第5節 その他のインセンティブ報酬71
第3章 インセンティブ報酬の課税に関する裁判例73
第1節 最高裁平成17年判決73
1 事件の概要等73
2 判示内容74
3 検討74
第2節 東京高裁平成16年判決76
1 事件の概要等76
2 判示内容76
3 検討77
第3節 東京地裁平成16年判決80
1 事件の概要等80
2 判示内容82
3 検討83
第4節 東京地裁平成17年判決85
1 事件の概要等85
2 判示内容86
3 検討88
第5節 東京地裁平成28年判決91
1 事件の概要等91
2 判示内容92
3 検討97
第4章 インセンティブ報酬の収入計上時期103
第1節 インセンティブ報酬の分類103
1 インセンティブ報酬の意義等103
2 株式を利用したインセンティブ報酬の分類104
第2節 最初に金銭が交付される類型105
1 該当するインセンティブ報酬の仕組み等105
2 最初に金銭が交付される類型における収入計上時期106
第3節 最初に権利Aが交付される類型111
1 該当するインセンティブ報酬の仕組み等111
2 最初に権利Aが交付される類型における収入計上時期112
第4節 最初に権利Bが交付される類型116
1 該当するインセンティブ報酬の仕組み等116
2 最初に権利Bが交付される類型における収入計上時期117
第5節 最初に株式が交付される類型124
1 該当するインセンティブ報酬の仕組み等124
2 最初に株式が交付される類型における収入計上時期125
第6節 現行法令との関係等129
1 各種インセンティブ報酬の収入計上時期129
2 現行法令との関係等130
3 小括134
結びに代えて136