森重 良二
税務大学校
研究部教授
個人が支出する建物の取壊し費用については、不動産所得等の必要経費、家事費(家事関連費)、譲渡所得の譲渡費用又は土地等の取得費とされるなど所得税法上の取扱いが異なっている。
現在の実務においては、例えば、個人が居住用建物を取り壊して賃貸用建物を建築する場合の居住用建物の取壊し費用については、家事費とされ、また、
賃貸用建物を取り壊して自己の居住用建物を建築する場合の賃貸用建物の取壊し費用については、不動産所得の必要経費とされているが、必ずしもその理由が明確には説明されておらず、個人が支出する建物の取壊し費用について、取壊し直前の建物の利用状況や取壊し目的と所得税法上の取扱いとの関係が十分理論的に整理されているとはいい難い。加えて、上記実務上の取扱いと異なる見解も示されている。
そこで、個人が支出する建物の取壊し費用に係る実務上の取扱い及びこれと異なる見解の内容を確認するとともに、期間対応の費用の支出目的と必要経費性との関係を学説や裁判例等から検討し、これらの検討結果を基に、個人が支出する建物の取壊し費用に係る取壊し目的と必要経費性との関係を中心として、建物の取壊し費用の所得税法上の取扱いを明らかにすることを目的に研究を行うものである。
(1)建物の取壊し費用に係る現在の実務上の取扱い
現在の実務上の取扱いにおいては、賃貸業廃止後の建物の取壊し費用(自宅へ建替え)は、賃貸業に係る建物の取壊しが賃貸業の廃業に伴って速やかに解体工事が行われるなど、業務の清算の一環として行われたことが明らかであり、かつ、賃貸をやめた後、解体するまでの間、家事用に転用した事実も認められない場合については、その取壊し費用を不動産所得の金額の計算上、必要経費に算入して差し支えないとされている(この取壊し費用に係る見解を、以下「業務清算基準」という。)。
この取扱いは、従前においては「家事費」としていた取扱いを「必要経費」とする取扱いに変更したものである。この変更の理由については説明がなされておらず明らかでないが、建替後「自宅(非業務用資産)として使用」するとの取壊し後の利用目的を重視しない判断となったといえる。
(2)建物の取壊し費用に関する最近の裁決例(国税不服審判所平成28年3月3日裁決)
国税不服審判所は、当該事案の取壊し費用の必要経費性を判断するに当たって、所得税法37条1項の法令解釈として、「同項に規定する『その年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用』とは、これらの所得を生ずべき業務と直接関係し、かつ、当該業務の遂行上必要なものに限られると解される。そして、その判断は、単に当該業務を行う者の主観的判断によるのではなく、当該業務の内容等個別具体的な諸事情に即して社会通念に従って客観的に行われるべきである。」と述べている。すなわち本裁決は、事業活動との「直接の関連性」(以下「直接的業務関連性」という。)と「事業の遂行上の必要性」を期間対応の必要経費の要件とする通説的見解を基に判断している。そしてその当てはめにおいて、「建物の賃貸業においては、建物の取得、賃借人の募集、賃借人への貸付け及び建物の取壊し・廃棄までが業務の一連の流れであって、建物の取壊し費用は、建物賃貸業を行う上で通常発生する費用であるといえることに加え、賃貸借期間中に業務用資産である建物の取壊し・廃棄を行うことは不可能であることからすると、当該建物が家事用に転用されたなどの事情がない限り、賃貸借契約終了後の建物の取壊し・廃棄は、いわば建物に係る貸付業務の残務処理的な行為であるというべきである。そうすると、賃貸借契約終了後、速やかに行われた賃貸用建物の取壊しは、当該建物に係る貸付業務の残務処理的な行為であり、その取壊し費用は、当該建物に係る貸付業務と直接関係し、かつ、当該業務の遂行上必要なものとして、必要経費に該当すると解するのが相当である。したがって、取り壊した建物が貸付業務に供されていた業務用資産である場合において、その取壊しが賃貸借契約終了後、速やかに行われ、当該建物に係る貸付業務の残務処理的な行為と認められる場合には、当該取壊し後の敷地の利用目的にかかわらず、当該取壊しに要した費用は必要経費に該当することになる」との判断を示した。この判断は、現在の実務上の取扱いである業務清算基準と整合的なものとなっており、業務清算基準をより明確に説明したものと解される。
(3)現在の実務上の取扱いと異なる見解
現在の実務上の取扱いと異なる見解は、建物の取壊し費用について、取壊し目的を基準として必要経費性を判断すべきであるとする見解であり、例えば、賃貸用建物を自宅に建て替える目的で取り壊す場合の取壊し費用については、家事費の要素があり、業務遂行上必要である部分を明らかにすることができないことから、家事関連費としてその必要経費性が否定されるとするものであって、現在の実務上の取扱いとその考え方及び結論を異にするものである(この見解を、以下「取壊し目的基準」という。)。
この取壊し目的基準による見解は、現在の実務上の取扱いである業務清算基準について、理論的な意味での必要経費の概念と整合性がなく妥当ではないなどとする指摘事項等を挙げている。
(4)期間対応の費用の支出目的と必要経費性との関係
学説及び直接的業務関連性が期間対応の必要経費の要件であることを明示して判断した裁判例を概観・検討したところによれば、期間対応の費用の支出目的は必要経費性(直接的業務関連性)の判断要素の一つではあるが、必要経費性(直接的業務関連性)の判断は、関係者の主観的判断を基準としてではなく、客観的基準に即してなされなければならない 、すなわち、支出目的のみで必要経費性(直接的業務関連性)を判断するのは相当ではないということができる。
しかしながら、実際には、各納税者によって、期間対応の費用の支出目的・内容等は様々であるから、これらの必要経費性(直接的業務関連性)を判断するに当たって、客観的基準に即するといっても、具体的にどのような基準によるべきかは一概にいえるものではない。
したがって、それぞれの事例に応じて、事業内容等の個別具体的な諸事情等に即して総合考慮して客観的に判断するのが相当であると考える。
(5)建物の取壊し費用の支出目的と必要経費性との関係
建物の取壊し費用は、期間対応の費用であることから、その必要経費性の判断は、所得税法37条1項後段に規定する「所得を生ずべき業務について生じた費用」に該当するか否か、すなわち、「直接的業務関連性」及び「事業の遂行上の必要性」を要件として行われることは、一般の期間対応の費用の必要経費性を判断する場合と何ら異なるものではないと解される。そうすると、建物の取壊し費用の必要経費性の判断に当たっては、建物の取壊し費用の支出目的は、必要経費性の判断要素の一つになるものではあるが、それのみで必要経費性を判断するのは相当ではなく、それぞれの事例に応じて、事業内容等の個別具体的な諸事情等に即して総合考慮して、客観的に判断するのが相当であると考える。
建物の取壊し費用の支出目的は、必要経費性の判断要素の一つになるものではあるが、それのみで必要経費性を判断するのは相当ではなく、それぞれの事例に応じて、事業内容等の個別具体的な諸事情等に即して総合考慮して、客観的に判断するのが相当であると考える。
そして、建物の取壊し費用の現在の実務上の取扱いである業務清算基準は、所得税法37条1項後段の「所得を生ずべき業務について生じた費用」であるか否かについて、通説的見解である「直接的業務関連性」及び「事業の遂行上の必要性」を期間対応の必要経費の要件として判断するものであり、その判断に当たっては、学説及び直接的業務関連性が期間対応の必要経費の要件であることを明示して判断した裁判例から導き出される、単に主観的判断のみを基準とするのではなく、事業内容等の個別具体的な諸事情等に即して総合考慮して客観的に判断するものといえ、取壊し目的基準による見解からの指摘事項等はいずれも妥当しないと解されるから、合理性を有するものといえる。
項目 | ページ |
---|---|
はじめに | 10 |
第1章 個人が支出する取壊し費用の区分とその意義 | 12 |
第1節 必要経費の意義 | 12 |
第2節 家事費及び家事関連費の意義 | 14 |
第3節 譲渡費用の意義 | 15 |
第4節 取得費の意義 | 16 |
第2章 建物の取壊し費用に係る実務上の取扱い及び裁決例 | 18 |
第1節 建物の取壊し費用に係る実務上の取扱い | 18 |
1 従前の実務上の取扱い | 18 |
2 現在の実務上の取扱い | 19 |
第2節 建物の取壊し費用に関する最近の裁決例 (国税不服審判所平成28年3月3日裁決) | 20 |
1 事案の概要 | 20 |
2 審判所の判断 | 21 |
3 検討 | 22 |
第3節 現在の実務上の取扱いと異なる見解 | 23 |
第4節 小括 | 24 |
第3章 期間対応の費用の支出目的と必要経費性との関係について | 26 |
第1節 学説 | 27 |
1 碓井光明教授 | 27 |
2 酒井克彦教授 | 28 |
3 小括 | 28 |
第2節 裁判例の検討 | 29 |
1 岡山地裁平成23年8月10日判決【裁判例1】 | 29 |
2 東京地裁平成23年12月21日判決【裁判例2】 | 31 |
3 高松地裁平成24年8月8日判決【裁判例3】 | 34 |
4 東京地裁平成25年1月29日判決【裁判例4】 | 38 |
5 大阪地裁平成25年8月27日判決【裁判例5】 | 41 |
6 東京地裁平成26年1月14日判決【裁判例6】 | 43 |
7 福岡地裁平成26年4月22日判決【裁判例7】 | 45 |
8 東京地裁平成27年6月18日判決【裁判例8】 | 51 |
9 東京地裁平成28年11月29日判決【裁判例9】 | 56 |
10 小括 | 61 |
第3節 期間対応の費用の支出目的と必要経費性との関係について | 65 |
第4章 建物の取壊し費用の支出目的と必要経費性との関係について | 66 |
第1節 業務清算基準の妥当性について | 66 |
第2節 取壊し目的基準による見解からの業務清算基準に対する指摘事項等について | 68 |
1 国税不服審判所平成11年1月27日裁決及び東京地裁平成24年5月17日判決との整合性について | 68 |
2 理論的な意味での必要経費の概念との整合性について | 70 |
3 所得税法45条、同法施行令96条及び所得税基本通達45-2との整合性について | 71 |
4 譲渡目的の取壊しの場合に不動産所得の必要経費性が否定されることとなる理論的な整合性について | 73 |
5 残務処理期間の必要経費(固定資産税及び借入金利息)について | 74 |
第5章 結論 | 77 |
結びに代えて | 78 |
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