山田 晃央
税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的(問題の所在)

消費税の事業者免税点制度は、小規模事業者の納税事務負担等に配慮して納税義務を免除する制度であるが、免税事業者に該当するか否かは、原則として過去の一定期間(基準期間)の課税売上高により判定することとされている。
 これは、消費税が転嫁を予定している税であり、事業者がその課税期間の開始に当たり、自らが納税義務者であるかどうかを判定した上で、取引価格に消費税相当額を「適正」に上乗せし、課税事業者又は免税事業者としての値付けをする必要があることから、既に確定した課税期間(法人は前々事業年度、個人は前々年)の課税売上高を判定の基準としているものである。
 このように、事業者免税点制度は、原則として過去の一定期間の課税売上高を基準として、当期の納税義務を免除するか否かを決定する仕組みであることから、基準期間をみると小規模事業者に該当する者であっても、その後、急激に業績を伸ばすなど、当期の事業規模等に鑑みれば事務負担に配慮すべきとはいえない者までもが免税事業者に該当する場合がある。また、同制度を悪用した租税回避的な行為も散見される。
 このような場合、消費者の立場に立てば、自らが支払った消費税相当額の一部が国庫に入らずに事業者の手元に残って、いわゆる「益税」となっているのではないかとの疑念を持つこととなり、消費税制度に対する不信感や、消費税率の引上げに対する批判につながっていくことが想定される。

2 研究の概要

(1)消費税事業者免税点制度についての研究の背景

消費税の事業者免税点制度については、「消費一般に幅広く負担を求めるという消費税の趣旨、あるいは経済社会に対する中立性の確保という観点からは、免税事業者の制度を極力設けないということが望ましい」とされる一方、「小規模な事業者の事務負担や税務執行コストへの配慮から設けられている特例措置」であると説明されてきている。
 本制度については、様々な問題点が指摘されているところ、それらを概観すると、以下のように分類することができる。

イ 租税回避的な行為の防止の観点

(イ) 継続して1000万円超の課税売上高があるにも関わらず、免税事業者に留まるために、同一の経営者が、次々に新たな法人を設立し、同じ場所で、同じ事業を、同じ店名で行うなど、制度を悪用して意図的に納税を回避しようとする例がある。

(ロ) 過去の基準期間の課税売上高を事業規模の測定基準としているため、当期の事業規模を見ると、もはや小規模とはいえない者まで納税義務が免除される場合がある。

ロ 消費者の観点

(イ) 免税事業者と思われる者が「消費税」という名目で対価を収受すると、免税事業者には課されるべき消費税はないことから、消費者が消費税と思って支払った金額を、事業者は合法的に国庫に納入せずに懐に入れているのではないかという疑念がわく。(いわゆる「益税」に対する批判)

(ロ) 免税事業者と思われる零細な店構えの相手に対して、他の事業者と同様の価格、例えば108円を支払うことについて、必ずしも消費者は納得していない。

ハ 事務負担の観点

(イ) 近年の情報技術の進展や会計ソフトの普及、消費税制度に対する理解・習熟に伴い、それほど困難を伴わずに記帳や申告ができるようになってきたと思料され、納税事務負担は軽減してきている。

(ロ) 法人税や所得税においては、青色申告・白色申告を問わず、原則として全ての事業者に記帳義務が課されるように制度改正がなされており、今や、消費税に限って納税事務負担に配慮すべき理由が薄れてきたのではないか。

ニ その他の観点

(イ) 本制度により、多額の減収が生じているのではないか。

(ロ) コストを十分に価格転嫁できない小規模な免税事業者は、仕入に係る消費税を自分の懐から支払わざるを得ない。(いわゆる「損税」に対する批判)

(ハ) 免税事業者が、当期において急な設備投資や輸出取引が必要とされる場合であっても、当期は消費税還付を受ける地位にないことから、機動的な経営判断や取引判断を歪めている。

(2)事業者免税点制度の在り方についての考察

イ 免税事業者の適正な価格表示の周知について
 免税事業者の中には、他意なく、慣習により、消費税相当額として「区分表示」している例もあるとは思われる。しかしながら、免税事業者による消費税相当額の「区分表示」は、消費者に誤認を生じさせかねない不適切な表示である。
 また、消費者が免税事業者からの請求に応じて支払った「消費税相当額」とされる金額は、納税義務を免除される以上、単に請求書や領収書のペーパー上で算出された数値に過ぎず、転嫁すべき消費税相当額の実態を表しているものではない。すなわち、当該金額は、法的な観点からは、消費者からの「預かり金」というような性格を有しているものではなく、その実質は、単なる商品・役務の対価の一部であるというべきである。
 また、現在においては、消費税転嫁対策特別措置法が施行されるなど、政府一丸となって、消費税の円滑かつ適正な転嫁等に資する総合的な対策を推進しているところであり、今後、関係省庁は、消費税率の10%への引上げなどを勘案しつつ、免税事業者をも対象にしてインボイス制度の周知を図り、正しい価格表示の在り方についても理解を深めていく必要があるものと思料される。
 なお、現行においても、景品表示法において、「実際と異なる表示を行ったり、あいまいな表示を行う場合には、一般消費者に販売価格が安いとの誤認を与え、不当表示に該当するおそれがある」とされており、免税事業者が消費税相当額を「区分表示」して本体価格を安く見せることは、客観的事実に基づいた表示ではないため、景品表示法に基づく対応も考えられるところである。いずれにしても、免税事業者の適正な価格表示については、総額表示との関係も含めて検討していく課題となるものと思料する。

ロ 「区分表示」した消費税相当額を国に納付させる仕組みの検討
 免税事業者が、売上総額の108分の8が消費税相当額だと「区分表示」して資産の譲渡等を行った場合には、「当該取引」については納税義務を免除しないこととし、消費者が支払った消費税相当額を、事業者から国に納付させるということが考えられる。それにより、消費税に対する不信感が払拭され、免税事業者に係る「益税」議論は根本的に解決する。
 ただし、これを採用するには、当該取引に係る仕入税額控除をどこまで認めるのか等の議論・検討すべき課題が多々あるため、インボイス制度が定着した後においても租税回避的な行為が継続するなど、看過できない場合に検討の俎上に乗せるべきではないだろうか。

ハ 記帳などの事務負担面からの検討
 納税義務の免除という特例を受けることのできる事業者の範囲を、真に消費税の納税事務負担に配慮すべき者に限定すべきという観点から検討を加え、以下のような考え方の整理を行った。

(イ) 事業者免税点の適用上限を更に引き下げる場合の考え方
 事業者免税点の適用水準をそれまでの3000万円から1000万円に引き下げた平成15年度改正では、税制調査会答申において、「法人については、既に法人税法に基づき申告・記帳の事務を行っていることから、免税事業者から除外すべきであろう」と指摘されている。同答申では、法人は「法人税法に基づき申告・記帳の事務を行っている」ことを理由に上げているが、その考え方は、法人税だけではなく、現在の所得税法の下における一定の個人事業者にも当てはまるのではないだろうか。
 すなわち、平成23年度の所得税法の改正により、平成26年1月1日からは、青色申告・白色申告を問わず、全ての個人事業者に、所得税法に基づく記帳義務が課されることになった。したがって、法的には、既に所得税法上の記帳を行っていることを前提として、消費税固有の事務負担に配慮する必要性は薄まってきていると言える。
 また、近年における小規模事業者の事務負担は、情報技術の進展や会計ソフトの普及などにより、制度創設時や前回の見直しの時(平成15年度改正)と比して逓減してきていることや、特例である筈の免税事業者の数(免税事業者数:513万者超、課税事業者数:310万者)を現行よりも相当程度引き下げる必要性などに鑑み、基準期間の課税売上高の1000万円基準を、いま一度引き下げることも考えられるのではないだろうか。

(ロ) 「法人」を免税事業者から除外する場合の考え方
 上述のように、事業者免税点の適用上限を引き下げようとすると、免税事業者は、現在、513万者超と数多いうえに、事業者には法人も個人も含まれ、それらの納税事務負担の実情は区々であることから、具体的に適用上限をどの水準まで引き下げることが適当といえるのか、その判断は難しく、また、「法人」、個人事業者及び消費者理解を得るのは容易ではなく、一定の時間がかかるものと思われる。
 しかしながら、「法人」については、現行の法人税法は確定した決算に基づいた確定申告書を、貸借対照表や損益計算書等を添付して提出することを義務付けた確定決算主義をとっていることや、法人税に係る税理士の関与割合は約9割にのぼり、税に関する専門家からのアドバイスを受けられる環境にあること(一方、所得税に係る税理士関与割合は約2割である。)、更には前回(平成15年)の税制調査会での指摘から長期間が経過していること等に鑑み、全ての「法人」について、消費税の納税事務負担に耐えられるだけの事務処理能力を有しているとして免税点制度を不適用としてもよいのではないだろうか。

(ハ) 青色申告者を免税事業者から除外する場合の考え方
 青色申告者は、法人税又は所得税において、一定の水準以上の記帳をする者として所轄税務署長が承認を与えているところ、消費税法が独自の記帳を別途求めているのではない中で、同じ行政機関の長が、消費税事務負担にのみ配慮することは、消費税制度に対する理解・習熟が進んできた現在においては、理論的な説明が難しくなってきているのではないだろうか。したがって、青色申告者を免税事業者の範囲から除外することが考えられる。
 しかしながら、所得税における実務の現状は、いわゆる「みなし承認」がほとんどであることや、法人税又は所得税における青色申告の普及割合に差があることに鑑みて、法人税における青色申告者についてのみ、正確な記帳に基づき適正な申告を行う者であるとして、消費税の事業者免税点制度を適用しないとする方策も考えられるのではないだろうか。

ニ 主要国等における免税点制度からの検討

(イ) 当期の見込み売上高基準の導入の検討
 諸外国の免税点制度においては、当期が課税事業者になるか、それとも免税事業者になるかの判断基準として、何らかの形で当期の課税売上高も加味することとしている国がある。
 しかしながら、現在の我が国とEU諸国とでは、付加価値税又は消費税を課されることに対する国民の受け止めかたが大きく異なっており、同じ条件で考えることはできないことに留意が必要である。
 また、当年の課税売上高の見込み額は、事業年度開始前に納税者が判断することになろうから、納税者の恣意性が入りこむ余地があり、「納税義務者」という課税要件の一つが不安定にならざるを得ないことや、納税者が税務署や税理士などに相談しても、税務署の職員等は確たる回答を出すことはできず、混乱を来すことになると思われる。
 したがって、我が国に当期の見込み売上高基準を導入するためには、例えばドイツのように、免税事業者にとどまろうとする者よりも課税事業者になることを選択する者が多いというような、現在の我が国の納税環境とは逆の流れになることをまたなければ、混乱なく導入することは難しいのではないだろうか。
 なお、我が国においても平成35年10月にインボイス制度が導入されることが決定しており、同制度の導入をきっかけとして、免税事業者であっても通常は課税事業者を選択するような流れになれば、前年実績だけによる課税の不公平を避けるために、我が国においても当期の見込み売上高基準の導入を検討する余地が出てくるのではないだろうか。

(ロ) 諸外国における免税点の水準からの考察
 OECD加盟の30か国の免税点の水準を見てみると、日本の半分以下である500万円以下の国が22か国と、太宗を占めている。日本よりも免税点の水準が高いのは、フランス(1085万円)、スイス(1220万円)、イギリス(1533万円)の3か国に過ぎない。そして、その3か国は、いずれも免税事業者になるかどうかの判断基準として当期の課税売上高をも加味しており、過去の実績のみで判断する我が国とは異なり、「免税」という特典を享受することができる「小規模事業者」の範囲を厳格に捉えた仕組みとなっている。
 我が国においては、前述したように、当期の売上高基準を導入することは時期尚早と考えられるところではあるが、特例である筈の免税事業者数(513万者超)が課税事業者数(310万者)よりも多いことや、消費税率が引き上げられれば益税額も大きくなり、消費者の不信感も高まるであろうこと、平成35年10月にインボイス方式が導入される前に、免税事業者は自らの経営戦略、すなわち課税事業者を選択するかどうか、を考えておく必要性があることなどを踏まえれば、免税点の水準を現行の1000万円から大多数の諸外国並みの金額に引き下げることも考えられるのではないだろうか。

3 結びに代えて

平成29年6月現在、消費税の10%への引上げ時期を平成31年10月とし、その4年後の平成35年10月にインボイス制度を導入すること等を内容とした消費税法等の改正関連法案は成立しており、現在、事業者も政府も、その円滑な施行に向けての準備作業を行う段階となっている。改正関連法案には、多くの事業者が関係するような事業者免税点制度の見直しは含まれていないものの、インボイス制度が円滑に施行され、事業者の間で定着すれば、免税点を巡る諸問題はかなり縮小するものと思料される。
 また、免税事業者であっても、改正消費税法に関連して、近い将来、消費税率の引上げやインボイス制度にどう対応するか等を検討する必要がある(まずは区分記載請求書等保存方式への対応が必要)ことから、一定の事務負担が新たに発生することになる。
 このような中、本研究においては、事業者免税点制度の将来の方向性について、理論的な面から考察し、いくつかの提言を行った。すなわち、1免税事業者が正しい価格表示を行うよう更なる周知を図ること、2免税事業者の範囲から一定の法人又は個人を除外すること、3免税点の適用上限を引き下げること、4免税事業者が消費税相当額を区分表示した場合には、直ちに国に納付させることを提言したところである。
 これらの提言の中には、真に消費税の納税事務負担に配慮すべき小規模な事業者をも巻き込むことになると思われるものも含まれていることから、税制としての理想や精緻さを追求するあまり、消費税率の引上げ等により新たな事務負担が発生する免税事業者に対して、過重な負担を強いることにならないよう、慎重な政策判断が求められると思料する。
 また、本研究によるこれらの提言を導入するかどうかは、その時々の政策判断によることになろうが、筆者の個人的な意見としては、
1の正しい価格表示を周知する提言については、平成31年10月に食料品等の軽減税率が実施され「区分記載請求書等保存方式」がスタートする前に行われるであろう広報・周知施策と合わせて実施してはどうか、
23の一定の者を免税事業者の範囲から除外し、又は免税点の水準を引き下げる提言については、平成31年10月からの「区分記載請求書等保存方式」に対する事業者や国民の制度への理解・習熟度、又は平成33年10月からの「適格請求書発行事業者登録」の登録状況などを見極め、改正の必要があると判断される場合には、「適格請求書等保存方式」が導入される平成35年10月までに実施してはどうか、
4の消費税相当額を区分表示した場合には直ちに徴収する提言については、「適格請求書等保存方式」が導入された後においても租税回避的行為が横行するなど、税の保全上、看過できない場合に実施に踏み切るかどうか決断することが適当であると考えている。
 いずれにしても、事業者免税点制度の在り方については、真に消費税の納税事務負担に配慮すべき者に限定すべきという観点から、引き続き検討することが適当であると考える。


目次

項目 ページ
はじめに15
1 問題の所在15
2 研究の背景16
第1章 我が国における消費税制度の概要19
第1節 消費税の基本的な仕組み19
1 課税対象19
2 納税義務者と税の転嫁19
3 多段階課税と税の累積排除19
4 「事業」の意義等20
5 仕入税額控除制度21
6 中小企業に対する特例措置22
7 記帳義務22
8 総額表示義務23
9 納税義務の成立23
第2節 消費税の軽減税率制度の導入を含む消費税法改正の概要24
第3節 適格請求書等保存方式(インボイス制度)の導入24
1 インボイス制度導入の基本的な考え方24
2 区分記載請求書保存方式(平成31年10月1日〜平成35年9月30日)25
3 適格請求書等保存方式(平成35年10月1日〜)26
4 適格請求書発行事業者登録制度の創設27
第4節 消費税の転嫁の状況28
1 消費税の転嫁状況に関する月次モニタリング調査(平成29年2月)28
2 中小企業における消費税の価格転嫁に係る実態調査31
第5節 消費税導入に至るまでの経緯35
1 一般消費税(仮称)を巡る議論35
2 売上税を巡る議論36
3 消費税の導入39
4 小括40
第2章 事業者免税点制度を巡る論点と課題41
第1節 事業者免税点制度の創設理由41
第2節 事業者免税点制度の改正経緯41
1 消費税導入直後から平成3年にかけての見直し41
2 平成6年秋の税制改革(平成9年4月施行)42
3 平成15年度改正(平成16年4月施行)43
4 平成23年度改正(平成25年4月施行)44
5 社会保障・税一体改革(平成24年8月)(平成26年4月施行)44
第3節 小規模事業者の「事務負担」とは何か45
1 「一般消費税」構想における小規模事業者の「事務負担」についての検討45
2 「売上税」構想における小規模事業者の「事務負担」についての検討47
3 消費税における小規模事業者の「事務負担」について49
第3章 事業者免税点制度の在り方についての考察54
第1節 免税事業者の適正な価格表示の周知についての検討54
1 最高裁平成17年2月1日第三小法廷判決の判示内容55
2 本判決が示唆する方向性55
3 免税事業者の「区分表示」の誘因について56
4 小括59
第2節 「区分表示」した消費税相当額を国に納付させる仕組みの検討60
1 大阪高判平16年9月29日第14民事部判決の判示内容61
2 本判決が示唆する方向性61
3 納税義務の観点からの考察62
4 諸外国における免税事業者の「区分表示」取引からの考察66
5 小括67
第3節 記帳などの事務負担面からの検討67
1 事業者免税点の適用上限を引き下げる場合の考え方67
2 「法人」を免税事業者から除外する場合の考え方71
3 青色申告者を免税事業者から除外する場合の考え方71
第4節 主要国等における免税点制度からの検討73
1 当期の見込み売上高基準の導入の検討73
2 諸外国における事業者免税点の水準からの考察79
結びに代えて83

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