甲斐 裕也
税務大学校
研究科第51期研究員


要約

1 研究の目的

平成27年1月に実施された相続税の基礎控除の引下げは、地域の雇用と経済を支える中小企業者に対し少なからず影響を与えることが想定されている。このことは、彼らに対し講じている優遇措置の重要性が相対的に増すことを示す一方、彼らの大半を占める同族会社という性質を利用した税負担回避行為の増加も予想される。
 本稿では、優遇すべき面と規制すべき面の両側面を有する中小企業者について、その相続課税の基調・方向性を概括的に明らかにした上で、制度上の優遇措置及び公平を期する措置に対する基本的考え方を導き出すこととし、その考え方を前提に、これら具体的な措置に係る現状と課題を検証し、問題点について解決策の提言を試みることとする。

2 研究の概要

(1)相続税の課税根拠と中小企業者

相続税の課税根拠には、従来より説明されている1富の再分配のほかに、2所得税を補完する役割があるとされる。これは、(1)相続人の一時の所得に対する課税と(2)被相続人の生前所得の清算課税の側面から説明されている。しかし、相続税の高額な基礎控除による限定的な課税及び大きな優遇措置を背景にした相続税の課税の有無を問わず所得税が非課税とされる結果生じる二重非課税部分の存在により、その役割は十分に機能していないとの指摘がされる。また、公的な社会保障制度の充実等が高齢者の資産維持に寄与していることに鑑み、生涯に受けた給付に対する負担を相続時に清算すべきとの観点から、3老後扶養の社会化の進展による遺産の社会への還元の必要性が近年強調されている。この根拠については、世代間の受益と負担の不均衡が広がっていること、残された遺産は社会の負担(二アリーイコール租税)により蓄積されえていること、などの点から一定の正当性があると思われる。
 これら現在における課税根拠及び現状を踏まえると、所得税の補完税たる役割の徹底の必要性及び社会からの利益の享受は一部の富裕層に限られないことなどから、本来念頭に置かれるべき相続税の課税対象は、従来の高資産保有層のほか通常の中小企業者を含む高資産保有層以外の層もその対象範囲と観念しうる。この点については、1担税力を有する高齢者層の拡大及び遺産の遺族の生活保障の役割の相対的低下などの近年生じている経済社会の構造変化並びに2所得税の課税ベースの緊縮基調及び法人税の軽課傾向という最近の税制に係る状況をも踏まえると、一定程度は許容できうる。
 このように現代の相続税の課税根拠及び課税対象者を捉えた場合、中小企業者に係る優遇措置に関して、その「主体」に着目して一律に優遇する合理的な理由を見出すことは難しくなる。円滑な事業の承継の観点から新たな手当てが必要とされる場合には、その原因を的確に把握し租税債務の減免により生じる税負担の不公平を補うに足りる義務・債務を納税者に課したうえで効果的・限定的に講じられるべきである。そして、課税の公平を期する措置については、税負担の公平はもとより、遺産取得に係る所得に対する適切な課税、遺産の社会への適切な還元の観点を踏まえ、同族会社という性質を利用するような税負担回避行為に対しては、より厳格に対応されるべきであり、適切に対処できない制度上の問題点があればこれも積極的に是正すべきものと捉えられる。

(2)相続税における中小企業者に係る配慮

イ 株式等に係る事業承継税制 財産の処分をも前提とする相続税の本旨と財産や事業の維持・継続を求める強い社会的要請との間には鋭い緊張関係が生じるが、この点の調整を試みている一つの措置が株式等に係る税額の納税を猶予又は免除する事業承継税制と思われる。本措置は、1事業承継円滑化法に基づいた総合的事業承継支援の一環であること、2税負担の軽減と引き換えに雇用確保の義務等を課していること、3猶予対象株式を売却した場合における猶予税額の納付などの仕組みが講じられていること、などの点から、単に中小企業者という理由のみで優遇せず、事業承継の支障となっている原因を総体的に把握したうえで、効果的・限定的に手当てしつつ、課税の公平とのバランスの調整も試みていると評価できうると思われる。

ロ 小規模宅地の特例 しかし、事業用宅地等の課税価格を減額する本特例については、1事業継続要件等は申告期限までとされ申告後宅地を売却しても相続課税は生じないこと(政策目的と制度の非関連性)、2事業を継続しない相続人に対しても軽減の効果が及ぶこと(受益と負担の不均衡)、3対象宅地の取得に要した借入金の額は減額されないため他の財産から債務控除することによる税負担軽減行為も可能(税負担の不公平)、との問題が指摘される。これらを是認するに足りる積極的理由を見出すことは困難であることから、事業用宅地に係る本特例はこれらの問題を克服している株式等に係る事業承継税制に近づけることを視野に入れた見直しが必要と思われる。

(3)中小企業者に関する課税の公平を期する措置

イ 同族会社の行為計算否認規定 被相続人が同族会社に対して有する債権を免除し相続財産を減少させた事例では、被相続人が単独行為として行った債務免除は同族会社の行為に該当せず、同族会社の行為計算否認規定の対象外と第一審は判示した。納税者の主張の取り下げにより控訴審でこの部分の判決は取り消されたものの、第一審の判断枠組みを支持する学説も少なくないことや、条文の文理解釈を踏まえると、現行制度上、被相続人の単独行為であればそれにより税負担が不当に減少したとしても当該規定は適用できないと解釈される可能性は依然残っているとも考えられる。そのため、当該規定の対象となる「同族会社の行為」を「同族会社を当事者とする行為」とし、否認対象である主体は同族会社とその株主等であることを法令上明瞭にし、当該単独行為は当然に当該規定の適用対象であることを明確に示すべきである。

ロ みなし贈与 個人間の贈与を同族会社間の贈与に転換し税目を高税率の贈与税から低税率の法人税に変えて税負担の軽減を図るような事例については、受贈会社の株主に対するみなし贈与の規定の適用の有無が判然としないことが論点として存在する。贈与税が個人から個人の贈与を対象とする法的枠組みを構築している点を踏まえ基本的に適用対象外と解する見解もあるが、条文の規定振りやその趣旨を踏まえると当該事例も当然にその適用範囲内にあるとも解せる。そのため、当該規定で定める「利益を受けさせた者」の範囲に、「その利益を受けさせた者が会社の場合にあっては、その会社の発行済株式等の全部を保有する個人」あるいは「同族会社の場合にあっては、その株主である個人」が含まれることを明確化することで、予測可能性を高めるとともに、会社を利用した税負担回避行為を適切に捕捉する必要がある。

3 結論(まとめ)

上記のとおり、中小企業者に対する相続税の課税のあり方については、現代における相続税の課税の本旨の実現、税の減免を求める強い政治的・社会的要請への対応及び同族会社という性質を利用した税負担回避行為への対処という三要素を踏まえる必要がある。優遇措置は単に中小企業者という主体の面だけ捉えて手当てすべきではなく、上記の考えに基づき限定的、効果的に措置が講じられるべきである。同族会社を利用した税負担回避行為については、その課税状況を注視しつつ制度上の不備があれば積極的に是正されるべきである。これらの視点が徹底されることにより、相続税のもつ、社会の負担により蓄積されえた遺産の社会への還元や富の再分配及び所得税を補完する役割はより発揮できうるものと思われる。


目次

項目 ページ
はじめに213
第1章 相続税の課税根拠と中小企業者217
第1節 相続の根拠218
1 私有財産制と相続218
2 相続の根拠219
3 相続の弊害221
第2節 相続税の根拠223
1 課税根拠の変遷224
2 課税根拠と課税方式231
3 小括234
第3節 相続税と所得税との関係235
1 所得税の補完税としての役割235
2 相続税の独立性240
3 小括242
第4節 相続税の課税根拠と中小企業者243
1 相続課税の基調・方向性243
2 中小企業者に対する相続課税の基調・方向性248
第2章 相続税における中小企業者に係る配慮250
第1節 中小企業者に係る配慮の経緯250
1 相続税本法等における措置250
2 通達における配慮(主に取引相場のない株式の評価)253
3 租税特別措置法による措置260
4 小括269
第2節 個別の措置の検証273
1 措置の必要性と問題点273
2 円滑な事業承継の要請と相続課税との緊張関係の調整275
3 個別措置の検証276
第3章 中小企業者に関する課税の公平を期する措置286
第1節 現行の主な規定の概要286
1 同族会社の行為計算否認規定(相続税法64条)286
2 みなし贈与(相続税法9条)288
3 その他289
第2節 中小企業者(同族会社)にみられる相続税等負担の回避事例292
1 積極財産の圧縮294
2 債務控除の創出等302
3 贈与(みなし贈与)307
第3節 同族会社の行為計算否認規定及びみなし贈与の規定の検証312
1 行為計算否認規定312
2 みなし贈与326
おわりに339

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。