小柳 誠
税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的(問題の所在)

近年、家族関係の変化、相続に対する関心の高まりから遺言書の作成が増加し、さらに、その遺言の内容も、従来のように相続財産自体を目的とするもののみならず、相続財産を換価し、換価した金銭を遺贈することを内容とする遺言(以下「換価遺言」という。)が散見される。例えば、遺言により遺言執行者(金融機関など)を定め、その遺言執行者は、相続財産一切を金銭に換価し、その換価代金から故人の医療費などの債務、遺言執行者の報酬、遺言執行に関して必要な費用(換価に係る費用(税金等)を含む)などを控除した残額をAに2分の1、Bに4分の1、Cに4分の1の割合で相続させ又は遺贈する旨の遺言が行われている。
 さらに、そのような遺言における受遺者の形態は、相続人、相続人でない者、法人(一般法人、公益法人)の場合など、その態様も組み合わせも様々なものが生じうる。
 この換価遺言が行われた場合の課税関係について、1相続税の課税財産は何か(相続財産そのものなのか、相続財産を換価した後の金銭なのか)、2相続財産に不動産等の譲渡所得の基因となる資産が含まれている場合、その換価に伴い生じる譲渡所得の納税義務者は誰か(遺言者か、受遺者か、法定相続人か、遺言執行者か)、など様々な課税上の論点があり得る。
 そこで、換価遺言が行われた場合を中心に民法の裁判例、学説等を研究し、換価遺言の場合の法律関係について整理、検討した上で、その私法上の解釈を前提としつつ、租税法上の観点も踏まえながら、相続税及び譲渡所得の課税関係について、現行法における解釈を中心に検討を行うものである。

2 研究の概要

(1)換価遺言の私法上の法的性質

イ 換価遺言の法的性質
 換価遺言の私法上の性質決定は、個々の遺言の解釈において、金銭のみの遺贈か、債務を受遺者に負担させる意思を含む包括遺贈なのかなど遺言者の真意を探求し、遺言の性質決定を行う必要がある。
 一義的には、換価遺言の場合は、その目的物は、換価代金すなわち金銭と考えられるから、これは相続財産自体でなく、不特定物であり、この点のみで考えれば、換価遺言は、一応、不特定物遺贈と考えられる。
 しかしながら、債務の清算に着目し、遺言の趣旨の解釈を行うと包括遺贈との性質決定にもなりうる。また、相続人に対する換価遺言の場合では、相続分の指定及び遺産分割の方法を指定したと解する場合があり得る。
 結局、換価遺言も特定遺贈か、包括遺贈かなどと一義的に解するのではなく、個々の場面における遺言者の遺言の趣旨に照らし、相続人、受遺者に及ぼす法的効果として妥当する法的性質決定が必要である。

ロ 換価遺言の場合の相続財産に対する権利義務関係
 換価遺言における相続人、受遺者、遺言執行者らが有する個々の相続財産に対する権利義務の内容面を不特定物(金銭)遺贈と包括遺贈に分けて整理すると、以下のとおりとなる。

(イ)不特定物(金銭)遺贈の場合
 遺言執行者は、相続財産を占有・管理し、売却処分し、売却代金を管理し、相続債務を弁済することができるから、換価する相続財産の管理処分権限は、遺言執行者に帰属することになる。
 所有者は、「その所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」(民法206条)のであり、これらが、所有権の本質的権限であると考えると、管理処分権限を有する遺言執行者が、相続財産の民法上の所有権者になりそうである。
 一方、民法1015条の規定に照らせば、遺言執行者の行為の効果は、法的に相続人に帰属する。この意義を相続人が所有権者であるからこそ、遺言執行者の行為(資産の換価)の効果を相続人に帰属させたものと考えるならば、処分された相続財産の所有権者は相続人であると考えられる。
 受遺者は、遺言で指定された金銭についての履行請求権を有するが、相続財産に対する物権的効力は生じないため、相続財産に対しては何ら権利を有しないこととなる。

(ロ)包括遺贈の場合
 包括受遺者は、物権的効力により相続財産を一旦、取得する。
 この場合、一旦取得した相続財産に対する権利は、遺言執行者が存在するため、民法1013条、1014条により制限され、その後は、民法1015条を介した法律関係になる。換価した相続財産の所有権者は包括受遺者であると考えられる。

(2)相続税法上の諸問題

換価遺言の法的性質に照らした場合、相続税の計算において、遺贈により取得した財産は何か、その計算方法がどのようになるのかなどが問題となる。

イ 遺贈により取得する「財産」の意義
 不特定物(金銭)遺贈の場合、換価後に遺言により取得する金銭は、相続財産そのものではないものの、遺言に基づき相続財産が換価された結果、金銭と変化したもので、その実質は換価された相続財産と同じであるから、相続税の課税対象として、相続税法上、遺贈により取得した「財産」に該当する。

ロ 相続税の課税価格の計算
 不特定物(金銭)の遺贈である場合、一義的には、受遺者が取得した金銭の価額で課税価格を計算することになるとも考えられるが、代償分割が行われた場合の代償金の課税価格の計算と同様に、金銭の額そのままではなく、換価財産の相続税評価額と金銭の額との圧縮計算を行うことになる。

(3)譲渡所得上の諸問題

換価遺言が行われた場合、換価した資産の譲渡所得は、誰に帰属することになるのかが大きな論点となる。

イ 実質所得者課税の原則
 譲渡所得の帰属に関して、実質所得者課税の原則は、法律的帰属説に基づき、原則としては、譲渡資産の所有権者に所得が帰属するものと考えられる。すると、譲渡した資産の所有権者が誰であるかを認定判断することにより、その所得の人的帰属は明らかになる。
 しかしながら、私法上、所有権者が常に明示的に明らかになるものではなく、また、所有権者らしい外観を有していても、所有権のもつ法的効果(利益の享受など)が失われている場合もあり、そのような場合には、形式的な所有権の所在に着目するのではなく、課税の対象となる取引における当事者のそれぞれの個別の法律関係に視点を向け、所得の帰属先として妥当する権利の帰属者を所得の帰属者とすべきである。
 そして、そのような場合における所有権以外の譲渡所得を帰属させる基準を考察すると、最高裁昭和43年判決で示された「保有期間中の増加益」の存在と「所有権の移転」のほかに法的な「収益の享受可能性」による判断基準が妥当する。

ロ 譲渡所得の納税義務者
 換価遺言の場合、遺言執行者に管理処分権限があるが、民法1015条の規定の存在に照らせば、換価する相続財産について、所有権があるとは解しがたい。
 また、受遺者も、不特定物(金銭)遺贈の場合には、相続財産に対して、物権的効力がなく、換価した相続財産について、所有権を有しているとは認められない。
 相続人は、民法1015条の規定を形式的に解せば、譲渡行為は、相続人に帰属し、所有権の存在も擬制するものとも考えられる。しかしながら、相続人は、所有権者として換価代金を収受する権利もなく、実質的にも財産を支配する状態すら生じていない。また、遺言者の真意に照らしても、換価代金の分配とは別に、換価される相続財産をわざわざ相続人に帰属させる意思があるとは解しがたい。
 すなわち、不特定物(金銭)遺贈の場合には、個々の当事者の権利関係に照らせば、所有権基準による判定が妥当しない。
 所有権基準ではない法的な「収益の享受可能性」を視点に所得の帰属を決定すべきであり、この基準に照らせば、遺言により相続開始の時から法的に収益の享受の内容が確定し、「収益の享受可能性」を有するのは、受遺者にほかならないから、譲渡所得は、受遺者に帰属し、受遺者が納税義務者になると考えられる。

3 まとめ

換価遺言が行われた場合の課税関係を決定する前提として、まず、私法上の法律関係の性質決定が必要である。しかしながら、1そもそも遺言の解釈は、個々の遺言について、遺言者の遺言の真意を探求することとされ、個々の場面の解釈に委ねられ、一義的に確定できず、2換価遺言に係る私法上の法律関係、特に、換価中の相続財産に係る権利関係については、裁判例、学説などで明示的な判断、見解がなく、私法上の法律関係の性質決定について、不安定さが生じている。
 そこで、換価遺言の場合であれば、受遺者に対して、分配する金銭のみを取得(遺贈)させたいのか、換価する財産の取得(遺贈)も意図しているのか、清算する債務の負担は誰に負担させたいと意図しているのか(相続人のままか、金銭を取得させる者か)などを明確にし、遺言書を作成することが、法的性質の決定の不安定さを低減し、予測可能性をも高めることになると考える。
 一方、私法上の法律関係の整理が可能となったとしても、租税法上の視点から課税関係の整理を行うことも重要である。
 本稿においては、実質所得者課税の原則、相続税における相続と遺贈の同一性、譲渡所得の趣旨目的等も踏まえながら、納税義務者や具体的な課税価格や譲渡所得の金額の計算過程における解釈を検討した。
 換価遺言に係る当事者間の権利義務関係に着目すると、遺言の効果が発生すると、遺言執行者に換価財産の管理支配権限が帰属し、所有権と同等の権利を有するともに、相続人には何ら実質的な権利は存在せず、一方、受遺者には、換価代金を受益する権利が生じる。これらの当事者の権利関係は、信託の場合の当事者(委託者、受託者、受益者)の権利関係に類似している。
 制度論的には、換価遺言の場合は、信託税制と同様の課税関係にすることが望ましいと考える。


目次

項目 ページ
はじめに11
1 遺言と遺言執行の現状11
2 換価遺言12
3 換価遺言に係る課税関係の問題点13
第1章 換価遺言に係る民法上の諸問題14
第1節 遺言に係る法律関係14
1 遺言相続と法定相続14
2 包括遺贈と特定遺贈15
3 包括遺贈と特定遺贈の法的効果17
4 特定物遺贈と不特定物遺贈18
5 遺言の解釈19
第2節 遺言執行者、相続人、受遺者らの法的関係36
1 遺言執行者の権能(権限)37
2 遺言執行者と相続人の関係38
3 遺言執行者と受遺者の関係41
4 遺言執行者と相続財産法人との関係43
5 換価遺言における遺言執行者の管理処分権とその行為の効果の帰属44
第3節 換価遺言の私法上の法的性質45
1 一般的な性格付け45
2 換価遺言の場合の相続財産に対する権利義務関係51
第2章 換価遺言の課税関係55
第1節 租税法と私法55
第2節 相続税と換価遺言57
1 相続税法上の「遺贈」の意義57
2 相続税法上の諸問題58
3 換価遺言があった場合の相続税の課税関係(小括)64
第3節 譲渡所得課税と換価遺言65
1 譲渡所得の趣旨及び意義66
2 納税義務者(実質所得者課税の原則の検討)69
3 換価遺言があった場合の譲渡所得の課税関係74
第3章 具体的な事例(仮想事例)への当てはめ88
第1節 具体例の提示88
第2節 具体的な計算例88
結びに代えて99
1 換価遺言に係る課税関係の在り方99
2 未検討の課題103

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。