神山 幸
税務大学校
研究科第49期研究員
近年、多国籍企業がグループ全体での税負担の軽減を図る目的で、低税率国に所在する国外関連者に特許やブランド等の無形資産を低価で移転する等の事例が存在するといわれている。このような事例に対して、移転価格税制上の独立企業原則に基づき課税を試みる場合、特許等の無形資産はユニークさを特徴とすることから、比較対象取引を見出しにくいという問題が生じる。加えて、独立企業原則そのものについても、EU域内において、一定の公式に基づき所得の配分を決定するルールの確立を目指す動きがあり、また、独立企業原則の執行能力を十分に備えていない新興国は、その執行可能性について問題を提起し始めていることから、その信頼性が揺らぎつつある。 こうした状況を踏まえ、本稿は、独立企業原則が、無形資産取引に対応するポテンシャルを有するものか改めて検証するとともに、その検証結果に基づいて、日本は今後、いかなる対応措置を取り得るのか検討することを目的とする。
(1)研究の方法
独立企業原則が有するポテンシャルを検証するに当たっては、米国における独立企業原則に係る解釈・適用の変遷、及びそれらが国際的に共有される過程を歴史的に分析することとする。日本は、独立企業原則に基づくことを当然のように受け止めてきたが、米国は、定式配分方式との確執の中で独立企業原則を維持し( )、また、その解釈・適用の変遷においては、国内外から多くの批判を浴びながらも、自国の課税権を確保してきたためである。
また、無形資産取引への今後の対応としては、例えば、無形資産の価値を直接評価するアプローチ、無形資産の移転後であってもその対価の修正を求めるアプローチ、取引の経済的実質を重視するアプローチ等が考えられる。今日、BEPSとして問題視されているような事案は、従来、日本では欧米諸国ほどは見受けられなかったことから、これらのアプローチについて法整備を見据えた検討が十分にされてこなかった。他方、米国においては、様々な局面において議論が展開されてきたことから、こうした議論を分析することによって、日本への示唆が得られるものと思われる。
(2)本稿の構成
第1章では、日本における移転価格税制の仕組み、及び比較対象取引の不存在が問題の根底にある訴訟事件を概観し、日本の移転価格税制の現状と課題を明らかにする。また、次章以降で米国の移転価格税制を分析する前提として、日本の租税法領域における経済的実質主義の位置づけについて確認する。
第2章では、米国において、無形資産の評価が争われた近年の訴訟事件を題材として、無形資産の価値を直接評価する方法にはどのような問題が内在し、それに対して米国がどのように挑んでいるのか、更に、如何なる課題が残されているのかを分析する。
第3章では、米国における独立企業原則の解釈・適用の変遷と、その国際的拡張の過程について歴史的に分析することによって、独立企業原則が有するポテンシャルを検証する。なお、独立企業原則のアンチテーゼといわれる定式配分方式が、独立企業原則の代替となりうるものかについても考察を加える。
第4章では、第2章で確認した無形資産の新たな評価方法の移転価格税制上の位置づけを考察した上で、第3章において確認された独立企業原則のポテンシャルを前提として、無形資産の移転後であっても対価の修正を求めるアプローチを日本に導入することの是非について論じる。また、第1章から第3章までの検討に基づき、取引の経済実態に即した移転価格課税を実現するための提言を試みる。
独立企業原則は、刻々と変化する経済状況に応じてその解釈と適用を行う柔軟性を備えた、国家間の所得配分を適正に実現するためのツールと位置づけることができる。近年、定式配分方式が注目を浴びつつあるが、今後も、独立企業原則に軸足を置いて移転価格税制を執行していくことが、現在のところ最良な選択肢であると結論付けられる。
比較対象取引が存在しない事案への対応を考察した結果、無形資産の価値を直接評価するアプローチについては、無形資産の定義の明確化、及び投資家モデルのコンセプトの導入が肝要といえる。他方で、かかるアプローチには仮定に大きく依拠せざるを得ないという限界があり、何らかの補完的措置が求められる。その選択肢の一つとして、無形資産の移転後であってもその対価の修正を求めるアプローチが挙げられるが、これに対する批判は根強いものがあり、更なる検討を要するものと思われる。
また、日本の裁判所の抑制的態度、及び移転価格税制の特殊性に鑑みると、経済的実質主義を成文化する必要があると考える。ただし、移転価格税制は、本質的に契約自由の原則と抵触する可能性が高いことに鑑みると、経済的実質主義の成文化と併せて、執行を規制する仕組みを構築することが、移転価格実務を健全に発展させる上で肝要と考える。
項目 | ページ |
---|---|
はじめに | 570 |
第1章 日本の移転価格税制の現状と課題 | 571 |
第1節 現行移転価格税制の特徴 | 571 |
1 移転価格税制導入の背景と仕組み | 571 |
2 独立企業原則に内在する問題 | 574 |
3 無形資産取引に係る規定 | 576 |
4 税制改正等の状況と特色 | 580 |
第2節 アドビ事件にみる今後の課題 | 581 |
1 事実の概要と判旨 | 582 |
2 考察 | 584 |
第3節 日本における実質主義 | 590 |
1 移転価格税制の制度設計 | 590 |
2 学説と判例の動向 | 592 |
3 考察 | 595 |
第4節 小括 | 598 |
第2章 近年の米国における無形資産取引への対応 | 600 |
第1節 費用分担規則の変遷 | 601 |
1 費用分担契約の二つの側面 | 601 |
2 1996年規則の概要 | 603 |
第2節 Veritas事件の概要と検討 | 604 |
1 事実の概要 | 604 |
2 判旨 | 606 |
3 判決に対するIRSの見解 | 609 |
4 考察 | 610 |
第3節 2011年最終規則の概要 | 637 |
1 バイ・イン概念の拡大 | 637 |
2 投資家モデルの導入 | 638 |
3 新たな移転価格算定方法 | 639 |
第4節 小括 | 645 |
第3章 独立企業原則の変遷と可能性 | 648 |
第1節 米国における独立企業原則の変遷 | 648 |
1 独立企業原則の成立 | 648 |
2 独立企業原則の限界と「白書」 | 651 |
3 新たな規則の策定 | 659 |
4 実質主義を支える新たな規則 | 664 |
5 考察 | 669 |
第2節 独立企業原則の国際的拡張 | 671 |
1 1995年OECDガイドライン | 671 |
2 2010年OECDガイドライン | 675 |
3 考察 | 678 |
第3節 定式配分方式の代替可能性 | 681 |
1 OECDの考え方と問題の所在 | 681 |
2 ユニタリー・タックスの法理 | 683 |
3 新興国における独立企業原則 | 690 |
4 共通の統合法人課税ベース | 696 |
5 独立企業原則と定式配分方式の正当性 | 699 |
6 考察 | 702 |
第4章 独立企業原則に軸足を置いた対応 | 706 |
第1節 DCF法と独立企業原則 | 706 |
1 問題の所在 | 706 |
2 DCF法と独立企業原則の整合性 | 707 |
第2節 同時文書化と立証責任 | 714 |
1 米国における同時文書化 | 714 |
2 各国の文書化制度 | 717 |
3 考察 | 720 |
第3節 所得相応性基準の再評価 | 721 |
1 米国における定期的調整 | 721 |
2 OECDからみた定期的調整 | 722 |
3 所得相応性基準の再検討 | 724 |
第4節 日本の移転価格税制の方向性 | 734 |
1 本節の目的 | 734 |
2 移転価格税制の方向性 | 735 |
結びに代えて | 748 |
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