篠原 克岳
税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的

行政上の和解に関しては否定説が通説であり、実務上も和解が行われることは非常に少ない(当事者訴訟の一部等に限られている)。租税法学においても、「合法性の原則」から、「法律の根拠にもとづくことなしに、租税の減免や徴収猶予を行うことは許されないし、また納税義務の内容や徴収の時期・方法等について租税行政庁と納税義務者との間で和解なり協定なりをすることは許されない」とされ、租税事件において和解はほとんど行われていない。
 一方、世界各国では何らかの形で「和解」による租税紛争の解決が図られているとされ、我が国でも、「事実認定に関しては裁判上の和解を認めるべき」との見解や、「コンプライアンス戦略の一環として和解を導入・活用すべき」旨の主張がある。
 そこで、本研究では、我が国の税務手続への和解の導入の可能性について、筆者なりに、前向きに検討することを試みる。

2 研究の概要

(1) 議論の整理

イ 学説
 行政法学において、否定説(=通説)は、「法律による行政の原理からすると、行政庁としては自らの処分が適法と考える限り最後まで争うのが筋である」等、法律による行政の原理を理由とするものがほとんどである。一方、肯定説は、行政庁の事物管轄(処分権限)を根拠に和解を肯定し、法律による行政の原理との抵触については「法的安定性原則」「法的平和原則」等のドイツ学説を引用して反駁するものが多い。議論は原理原則のレベルで擦れ違っているように見受けられる。
 租税法学上も否定説が通説であるが、近年、事実認定については和解を認めるべきとする説がみられる。

ロ 諸外国の状況
 多くの国で税務手続に「和解」が導入されていると指摘されるが、法体系は国により異なるので、単純な比較参照は難しい。
 ドイツ租税通則法は和解を認めないが、判例法理により租税法上も「事実に関する合意」の拘束力が認められており、近年では、財政裁判所において「事実に関する合意」のための協議期日が設けられることが多いようである。

ハ 私見

・「法律による行政の原理」の克服
 そもそも、「法律による行政の原理」(法律の留保、侵害留保原則)の理念的基礎は自由主義・民主主義であって、本来、和解はこれらには抵触しない筈である。なぜなら、課税庁の譲歩は納税者の権利を侵害するものではないし、納税者の譲歩は自由意思に基づくのだから、自由主義の理念からは何ら問題がないからである。
 行政法上の和解の真の問題点は、むしろ、平等主義との抵触にある。課税庁の譲歩は相手方納税者を他の納税者より有利に扱うこととなるから、程度に大小はあれ明らかに公平性を侵害する。
 従って、行政上の和解については「法律による行政の原理」に縛られることなく、利益衡量の視点から公平性の侵害の程度が十分小さく争訟費用節減のメリットの方が大きい場面においては許される、と考えるべきである。

・「合理的な制度設計」の視点
 以上の枠組みを採用したとしても、公平性を強く重視する立場からは、公平性侵害より費用節減のメリットが大きい場面はほとんど存在しないことになるので一律に和解を禁ずることが合理的な制度設計となるし、公平性につき緩やかな価値判断の下で行政庁を信頼する立場にたてば、全面的に和解を解禁し行政庁の都度判断に委ねることが合理的である。
 結局、和解制度の是非は、執行環境全般(司法インフラの整備具合、経済の高度化や租税法規の複雑性、納税者・行政庁のコンプライアンス等)を変数とし、価値判断(公平性と効率性の衡量)を伴って決すべき社会的な制度選択の問題であって、何らかの法原則から演繹的に唯一解が導かれるような問題ではないのである。(論理の順序は逆で、公平性を重視する立場を法原理化したものが「合法性の原則」である、とみるべきだろう。)
 以下本研究では、全面否定説も全面肯定説も採らず中庸に立ち、手続段階の区分と争点による類型化を通じ税務争訟において和解を可能とすべき場合を限定的に抽出する、というアプローチにより、税務手続上の和解制度の試案を呈示する。

(2)和解が許されるべき場合の抽出

イ 手続段階
 まず、租税法律関係のように、行政処分(=行政庁の一方的行為)により法律関係を確定する仕組みを採用している場合に、別途和解(=当事者間の契約)という法形式を導入することが制度設計として合理的か、という問題がある。
 すなわち、行政処分は一方的行為ではあるが、実際には処分の相手方と何らかの意見調整が行われることがあり、そこでの合意(実質的な和解)は行政処分等(修正申告又は更正処分)の内容に反映・吸収される。そして、新たな事情が判明しない限りその処分は変更されないから、当該合意は一定程度保護されており、別途和解という法形式を用いて保護すべき必要性は小さい。また、行政手続の簡明性の点からみても、法律関係の確定手続を行政処分と和解とに複線化することは煩雑であり望ましくない。従って、申告・処分段階においては、和解を導入すべきではないと考える。
 他方、訴訟段階においては、合意を担保する法形式が他に存在しないから、和解を導入することに意義が認められる。(不服申立段階については悩ましいが、国税不服審判所は原処分庁から機構上分離しているとはいえ執行機関であり、職権探知主義により自ら事実を調査し裁決することが出来るので、現時点では消極に解する。)

ロ 争点による類型化
 次に、争訟上の争点の類型ごとに、和解の可否を検討する。

・法解釈
 法解釈が確定した領域については、和解は許されない。法解釈に関する和解が問題となるのは、前例が無く未確定な租税法の解釈が争われているとき、これを棚上げして処分内容を決定することが許されるか否か、である。
 大量反復的に事案の発生する税務行政においては、仮にある事案において「争訟費用の削減」のために法解釈を棚上げしても、後続の類似事案で改めて法解釈をする必要が生じ、結局「争訟費用の削減」にならない。従って、法解釈に関する和解にはそもそもメリットが無いため、許されないことになる。

・事実認定
 事実認定につき和解するということは、課税要件事実の存在について課税庁の確信が証明度を超えるにも関わらず、当該事実が存在しないものとして扱うことである。和解による損失(公平性の侵害の程度)は、確信が証明度を少し上回る程度であれば小さいが、確信が100%に近付くにつれて大きくなる(本文中【図表6】)。
 確信が弱い場合には和解が許されることもありえようが、一連の税務手続の中で、そのような和解はおそらく税務調査〜修正申告・更正処分の過程で実質的に済まされていると考えられる。訴訟に至る事案では、課税庁の確信が高く、和解が許されるような場合はほとんどないだろう。

・連続変数的な要件事実の認定
 もっとも、以上は事実認定が悉無律的(all or nothing)に行われる典型的な法律要件を想定したものであり、相続財産の「時価」(相法22)のように、連続変数的な課税要件を統計的に推定するような場合に関しては、別の検討が必要である。
 すなわち、連続変数の事実認定において、確信は主観的確率分布に置き換わり、「証明度」の概念は消失して、「事実認定」は損失を最小化する推定点の統計的決定となる(本文中【図表8】)。ここで、確率分布の幅が広い場合(比準対象の類似性が弱い場合など)には、推定点をずらしても損失の増加が小さいことが理解されよう。和解イコール推定点をずらすことであるから、確率分布の幅が広い場合には和解を認めるべき余地が生ずることになる。
 「時価」等の事実認定においては、出来る限りの証拠を集積しても確率分布の幅が狭まらないことが往々にあり、そうした場合、和解が許されてもよいのではないかと思われる。

ハ 小括

 法解釈事実認定
通常連続変数
申告・処分段階×大量反復的な税務行政においては、公平性の観点から許されない。×合意は申告・処分に吸収されるので、別途和解制度導入の必要がない。
訴訟段階×訴訟に至る事案では事実認定の確信が高く、和解は許されない。○証拠を十分収集しても確率分布の幅が狭まらない場合には、和解が許される。

(3)法制度面の検討

イ 根拠規定は必要か?
 「法律による行政の原理」による否定説から脱し、公平性と費用節減の比較衡量に和解の根拠を求める本研究の立場を徹底すれば、行政庁は執行権限の一部として和解権限を有し特段の根拠規定を要さないことになる。しかし、和解否定説が実務で支配的である以上、現実問題として和解を導入するには何らかの根拠規定を導入する必要があろう。

ロ 要件
 和解は契約であるから、基礎的な要件は当事者の意思の合致である。

・手続段階
 本研究は、和解を訴訟段階に限定する立場である(前述)。

・類型化
 さらに、「公平性の侵害が(争訟費用に比し)十分小さいこと」を要件とすべきである。税務争訟においてこれを類型化するならば、「課税要件が連続変数的でありかつ統計的推定により認定される場合」となろう(前述)。

・裁判官の関与
 裁判官の和解勧試(民訴法89)は不要であるが、裁判官が不適法と判断するような和解は許されないから、裁判官の承認は必要である。

ハ 効果

・本税
 課税庁は何らかの手続により課税標準等を変更すべき義務を負うことになる。これを実施するための手続規定が国税通則法に存在しないので、法改正による手当ての必要がある。(再更正(通則法26)は「課税標準等…が過大…であることを知ったとき」と規定するが、課税庁に「過大」との認識がなくとも減額するのが和解であるから、手当ての必要あり。)

・延滞税・還付加算金、加算税
 延滞税・還付加算金は遅延利息に相当するものであるから、和解額を基準に処理すればよい(通則法60、581二)。加算税については、和解は「互譲による解決」であるから、納税者主張額と和解額の差額について加算税を課すべきか、解釈上疑義があるように思われる。(しかし、全く課さないと「ゴネ得」を生ずるのでそれも望ましくない。)

ニ 効力

・執行力
 和解調書は行政庁に対し執行力を有さない(裁判所が行政処分を強制的に執行する方法はない)ので、取消判決の拘束力(行訴法33)により解決するしかない。

・既判力
 民訴法の通説では訴訟上の和解に既判力はないとされるが、いずれにせよ和解した争点につき紛争が蒸し返される可能性は小さいだろう。あるいは、税務訴訟上の和解については、事案の早期解決の観点から、既判力を与えるべきかも知れない。

・訴えの対象
 複数の科目(例えば役員給与と交際費)が争われ、一部科目(役員給与)について和解が成立した場合は、残りの税額につき訴訟を継続することとなろう。

・第三者効(行訴法32)
 和解に第三者効を与えるべきではない(例えば相続財産の評価額につき和解しても、訴外の相続人に当該和解の効果は及ぼすべきではない)が、第三者から除斥期間内に和解内容に準じた更正の請求があれば、結局それを認めざるを得ず、事実上第三者効が生じることとなろう。

3 結論

本研究では、税務上の和解の問題点を、租税法律主義でなく租税公平主義との抵触として定位し、公平性の侵害が(争訟費用に比べて)十分小さい場合には和解が許される、とした。
 そして、行政処分段階に和解制度を導入すべきでなく、訴訟段階にのみ導入すべきであるとし、また、法的判断過程の分析により、法解釈および悉無律的な事実認定に関しては和解を認めず、「連続変数的な課税要件事実を統計的推定により認定する場合」のみ和解を認める、という試案を呈示した。


目次

項目 ページ
はじめに12
1 研究の目的12
2 本稿の構成13
第1章 議論の整理14
第1節 準備的検討14
1 「行政上の和解」とは?14
2 行政事件訴訟における和解の実務上の取扱い16
第2節 学説上の議論21
1 行政学上の議論21
2 租税法学上の議論31
第3節 裁判例35
1 行政事件訴訟一般35
2 税務訴訟37
3 その他38
第4節 諸外国の状況40
1 概説40
2 米国41
3 ドイツ43
第5節 小括及び私見46
1 小括46
2 「法律による行政の原理」の克服47
3 「合理的な制度設計」の視点49
4 本稿の立場50
第2章 和解を許すべき要件の抽出52
第1節 手続段階による区分52
1 申告期限前53
2 税務調査〜修正申告・更正処分の段階53
3 訴訟段階56
4 不服申立段階57
第2節 争点による類型化(法的判断過程の分析に基づく考察)57
1 法の解釈・適用58
2 事実認定62
3 連続変数的課税要件にかかる事実認定67
第3節 小括73
1 まとめ73
2 補足的論考73
第3章 法制度面の検討76
第1節 根拠規定の必要性76
第2節 要件77
1 意思の合致77
2 手続段階78
3 争点による類型化78
4 裁判官の関与80
5 情報の開示81
第3節 効果81
1 和解調書に形成力を認める場合81
2 和解調書に形成力を認めない場合82
3 延滞税・還付加算金82
4 加算税82
第4節 効力84
1 執行力・形成力84
2 既判力84
3 訴えの対象85
4 第三者効85
第5節 和解の瑕疵の処理87
1 訴訟上の和解の場合87
2 処分段階での和解の場合87
結論89

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