原 正子
税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的(問題の所在)

 我が国の所得税法においては、「金銭以外の物又は権利その他経済的な利益」については、所得税法第36条第2項の規定に基づき、原則としてその取得の時に課税されることとなる。そして、新株予約権等の株式を取得する権利については、それを与えられた場合の課税関係(課税時期、課税価額の算定方法)を明確にするために、所得税法施行令第84条が規定され、一定の条件の下、権利の行使の時に課税することとされている。当該規定については、昭和29年の創設以降、関連する法律(商法や会社法等)の改正等を受けてそれらと整合させる形で数次の改正が行われてきているところであるが、株式を取得する権利を取り巻く環境が当該規定の創設当時とは大きく異なってきていることや、会社法施行後5年を経過し新株予約権が幅広く活用され、その内容も多様化している現状にかんがみれば、当該規定の合理性について検討する必要があると考えられる。
そこで、本研究においては、新株予約権の意義・活用事例を踏まえた上で、主として権利確定の観点から新株予約権に係る課税はいかに在るべきかを検討し、所得税法施行令第84条の規定の合理性・妥当性について考察することとする。

2 研究の概要

(1)新株予約権の意義・活用事例
新株予約権の代表的な活用事例としては、丸1インセンティブ報酬等としての取締役等への付与や、丸2資金調達手段や敵対的買収防衛策としての株主への無償割当てがある。
丸1については、新株予約権は原則として譲渡できるものであるが、その付与目的から、新株予約権に行使条件や譲渡制限が付されるのが一般的である。しかしながら、インセンティブ報酬等としての付与であっても、行使条件や譲渡制限が付されていない形態の新株予約権が発行される可能性がないとはいえない。
丸2については、既存株主の保有株式の希薄化についての問題意識の高まりを受け、会社法において新設された新株予約権無償割当てにより、株主に均等に割り当てられるのが一般的となってきている。それゆえ、そのような場合には、基本的には、当該新株予約権に基づき株式を取得したとしても各株主の持分比率に変動が生じることはなく株主間の利益移転が生じないことになるから、課税関係が問題になることはないと考えられる(ただし、種類株式発行会社による場合には、この限りではない。)。
そこで、本稿では、新株予約権を取得した個人に係る課税関係が問題となるのは主として報酬として新株予約権が付与される場合であるとの認識に立ち、所得税法施行令第84条について検討する。

(2)所得税法施行令第84条の合理性・妥当性についての問題提起
所得税法施行令第84条について、主として権利確定の観点(譲渡可能性、換価可能性、担税力を増加させる経済的利益に該当するか否か)から、課税時期、適用要件等について、合理性・妥当性を有するといえるか考察する。

イ 課税時期

(イ) 譲渡制限その他特別の条件があるものについては、付与時においては担税力を増加させるような経済的利益を得たとはいえないから、付与時課税しないとしている点は合理的である。

(ロ) 特別の条件の成就がある場合について
条件の成就については、条件が成就したとしても新株予約権であることに変わりはなく、被付与者が実際に行使しない限り担税力を増加させるような経済的利益を得たとはいえないことなどから、成就時ではなく行使時に課税すべきである。

(ハ)  譲渡制限が解除される場合について
譲渡制限の解除については、当初から譲渡制限のない新株予約権について付与時に課税されることとの整合性を考えれば、当該制限の解除時に課税すべきことになる。しかしながら、新株予約権について市場が存在しないときには、存在するときと比べて換価可能性が低くなると考えられることや評価が困難であると考えられることから、譲渡制限が解除された場合について一律に解除の時を課税時期とすることは適切ではないと考えられる。また、解除については、付与、行使、譲渡とは異なり、その事実の発生の把握が必ずしも容易であるとはいえないと考えられることにかんがみれば、これを課税のタイミングとすることは現実的ではなく、執行可能性の観点からは、行使時又は新株予約権自体の譲渡時に課税すべきと考える(なお、新株予約権自体が譲渡された場合については所得税法施行令第84条に規定されていない。)。以上の点を併せ考えると、新株予約権に付された譲渡についての制限が解除された場合に関しても、権利行使がなされるときには、権利行使時に課税するのが合理的と考えられる。

ロ 適用要件
新株予約権については、基本的には、それを取得し保有しているだけでは、新株予約権者に収入や使用に係る便益がもたらされるものではないと考えられるから、その取得について、物や権利の取得と異なる取扱いをすることも不合理ではないと考えられ、そうすると、新株予約権の取得について付与時において担税力を増加させるような経済的利益を得たといえるのは、それが譲渡可能であり、かつ、実際に換価可能な場合に限られるのではないかと考えられる。また、新株予約権の時価評価については、市場で取引が行われていない場合には、恣意が入り込むことなく客観的にこれを行うことは、極めて困難であると考えられる。
これらにかんがみれば、「付与時において市場で取引が行われているか否か」も、付与時課税をするか否かの判断基準とすることが望ましいのではないかと考える。

ハ 新株予約権自体が譲渡された場合に係る規定がないこと
所得税法施行令第84条においては、付与時において譲渡制限等の付されていた新株予約権自体が付与後譲渡された場合における課税関係について何ら規定していない。所得税法施行令第84条が、株式等を取得する権利を与えられた場合における当該権利に係る経済的利益について、その課税時期及び課税価額の算定方法を規定するものであることからすれば、同条において譲渡された場合について規定されていないことは、権利自体が譲渡された場合には、権利を与えられたことに係る経済的利益はなかったものとされることを意味するものとも考えられる。そして、譲渡の際に譲渡価格と新株予約権の取得価額(払い込んだ価額)との差額が、譲渡年分における譲渡所得になるものとも考えられる。しかしながら、このように考えた場合には、経済的実質が変わらないにもかかわらず、新株予約権自体を譲渡する場合と行使即売却という方法を採る場合とで所得区分が異なることとなり、このように考えることが合理性・妥当性を有するといえるか疑問なしとしない。

(3)課税時期の問題について

イ 米国の制度との比較に基づく検討
米国では、役務提供に関連して資産が移転された場合、原則として、当該資産について譲渡可能となった時又は権利失効の実質的な危険にさらされなくなった時のいずれか早い時期に課税が行われるとされている(内国歳入法典第83条)が、オプションについては特別に、オプションの付与時において容易に算定可能な公正市場価格がない場合には、この原則から外れ、オプションの行使時に当該行使により取得する株式の移転を資産の移転と捉えて、内国歳入法典第83条が適用されるとされている。このように、米国においては、オプションに対する課税時期の判断に当たり、付与時において容易に算定可能な公正市場価格があるか否かが重要な判断要素となっており、この「容易に算定可能な公正市場価格」については、いわゆるオプション理論に基づきブラック・ショールズ式等により算定されるような理論値ではなく、現に確立した市場において取引が行われる際の取引価格であることが必要とされているところ、これは、米国においては、発生主義を採用する場合における所得の課税時期について、一般に、所得を受領する権利を確定させる全事象が発生し、かつ、当該所得の金額が合理的正確さをもって決定され得る課税年分(年度)であるとされている(財務省規則 1.446-1(c)(ii))ことによるものである。
このことに照らせば、権利確定主義を採用し、また、新株予約権について市場で取引されることが極めてまれである我が国の現状において、所得税法施行令第84条に規定する要件を満たす新株予約権について、付与時ではなく行使時に課税するとしていることは合理的であると考えられる。
しかしながら、新株予約権を行使することなく譲渡する場合もあり得るところ、その場合における課税上の取扱いについては所得税法施行令第84条には規定されていない。この点について課税上の取扱いを明確にするためにも、立法措置を講ずる必要があると考える。

ロ 法人取得者との比較に基づく検討
法人が新株予約権をその時価に相当する金銭等の払込みをすることなく取得した場合には、当該取得の時点において、当該時価と当該払込みをした金銭等の額との差額につき受贈益として課税されることとなり、個人に係る取扱いと整合性が取れていないようにも思われるところである。しかしながら、法人については、法人税法第33条第2項により、一定の条件を満たすときには評価損の計上が認められているのに対し、個人については所得税法上そのような規定がなく、このように損失計上についての規定ぶりが異なっていることからすれば、このような区別には合理性があるものというべきである。

(4)適用要件の問題について

イ 米国の制度との比較に基づく検討及び提言
米国においては、オプションについて、丸1付与時に譲渡可能であること又は付与時において権利失効の実質的な危険にさらされていないこと、及び丸2付与時において容易に算定可能な公正市場価格があることを、付与時課税するための要件としている。このことからすれば、所得税法施行令第84条において、付与時課税を行わないための条件の一つとして、譲渡についての制限その他特別の条件が付された新株予約権等であることを掲げていることは、妥当であると考えられる。
しかしながら、このように、米国においては、オプションについてのみ特別に、その評価の困難性にかんがみ、付与時において容易に算定可能な公正市場価格があるか否かにより、その課税方法を異にすることとしていることに照らせば、所得税法施行令第84条において、付与時課税を行わないための条件として、「付与時において市場で取引が行われていない場合」をも追加することが望ましいと考える。これにより、今後、何ら制限等の付されていない新株予約権が付与された場合で付与時において市場で取引が行われていないときに発生することが想定される、新株予約権の評価額の適否を巡る納税者及び国税当局間の争いを、一定程度回避することが可能になるものと考える。

ロ 法人取得者との比較に基づく検討
法人の場合は、有利な条件で新株予約権等を取得した場合には、譲渡制限その他特別の条件が付されているか否かを問わず、当該新株予約権等を時価評価し、当該時価と当該新株予約権等の取得に際して払い込んだ金銭等の額との差額は収益計上することとされている。そして、この時価の算定については、法人税法上は明文の規定はなく、実際には、市場価格があれば当該市場価格によることになり、市場価格がない場合には、発行法人と同様に、「ストック・オプション等会計基準」等に示されている株式オプション価格算定モデル等の算定技法を利用して算定することになるものと考えられる。
現行の所得税法施行令第84条の「譲渡についての制限その他特別の条件が付されている」との適用要件については、権利確定の観点からみていまだ「収入すべき権利」が確定していないと認められるための要件となっていると考えられ、また、個人取得者の場合は、いったん課税が行われた新株予約権等について、その後失効したとしても、当該失効に係る損失が控除されないことにかんがみれば、個人取得者についてのみこのような要件を満たす場合に付与時課税を行わないこととし、法人取得者と異なる取扱いをするとしている点については、合理的な理由に基づくものであって不合理ではないと考えられる。
所得税法施行令第84条において「付与時において市場で取引が行われていない」ことを適用要件とするとの提言については、評価の困難性だけを理由にこの要件を設ける場合には、法人取得者と個人取得者とで異なる取扱いをすべき理由は見出し難いものの、他方、上述のように、法人と個人とで損失に係る控除の方法が異なっていることからすれば、個人取得者については、新株予約権を実際に換価できるのか(すなわち担税力を増加させる経済的利益の実現といい得るのか)といった観点からの検討も不可欠と考えられ、この観点からみれば、個人取得者と法人取得者とで異なる取扱いをすることになったとしても、必ずしも不合理とはいえないのではないかと考える。

(5)新株予約権自体が譲渡された場合に係る規定がないことについて
米国においては、付与時において容易に算定可能な公正市場価格がないために付与時課税が行われなかったオプションにつき行使されずに譲渡が行われた場合における課税関係については財務省規則1.83-7(a)に規定されており、当該譲渡に係る利益は、譲渡時に、キャピタルゲインではなく通常所得として課税することとされている。これは、そもそもオプションが役務提供に関連して与えられたものだからと考えられる。
このこと及び課税時期について検討した結果に照らせば、付与時において制限等の付されていた新株予約権自体を譲渡した場合における当該譲渡により得た利益の課税時期については、譲渡の時点とすることが適切であると考える。また、当該利益の所得区分については、譲渡所得としてではなく給与所得等として課税すべきと考える。それは、丸1そもそも新株予約権は報酬として与えられたものであるからであり、丸2新株予約権自体を譲渡する場合と行使即売却という方法を採る場合とで、経済的実質が変わらないと考えられる以上、両者は課税上も同様に取り扱われるべきと考えられるからである。
しかしながら、現行の規定のみでこのような課税を行うことは困難と考えられることから、我が国においても、このような課税を行うための立法措置を講ずるべきと考える。

3 結論

 新株予約権については、譲渡制限その他特別の条件が付されておらず、かつ、市場において取引が行われている場合に限り、付与時に課税すべきと考えられるところであり、今後、何ら制限等の付されていない新株予約権が付与される可能性がないとはいえないことにかんがみれば、所得税法施行令第84条には、付与時課税を行わないための条件として、新たに「又は付与時において市場で取引が行われていないもの」を追加することが望ましいと考える。また、付与時において一定の要件が満たされていたことにより付与時課税がされなかった新株予約権につき、それ自体が譲渡された場合における当該譲渡に係る所得の課税方法については、これを明確にするために立法措置を講ずる必要があると考えられ、その内容としては、当該所得について譲渡所得としてではなく給与所得等として課税するようなものとすべきと考える。


目次

項目 ページ
はじめに 88
第1章 会社法上の新株予約権 90
第1節 新株予約権の意義等 90
1 新株予約権とは 90
2 新株予約権の法的性質 91
3 新株予約権の内容 92
4 新株予約権の発行に係る手続等 95
5 新株予約権の譲渡 99
6 新株予約権の行使 100
第2節 平成13年11月改正前商法における新株引受権、会社法制定前の商法における新株予約権との比較
100
1 発行形態 100
2 発行価額(有利発行に該当するか否か) 101
3 発行価額の払込み 102
4 新株予約権者となる時期 102
5 行使価額の払込み 103
第3節 新株予約権の金銭的評価 103
1 新株予約権の価値及びその評価方法 103
2 株式オプション価格算定モデル等の算定技法を利用して算定される評価額について 104
3 小括 106
第4節 新株予約権の活用事例 107
1 インセンティブ報酬等 107
2 敵対的買収防衛策 114
3 資金調達手段 120
4 小括 125
第2章 現行の新株予約権に係る課税制度(所得税法施行令第84条)等 126
第1節 所得税法施行令第84条の制定趣旨及び改正の経緯 126
1 所得税法施行令第84条の制定趣旨及び昭和40年全文改正までの経緯 126
2 昭和48年改正(政令第53号による改正) 131
3 平成10年改正(政令第104号による改正) 133
4 平成14年改正(政令第103号による改正) 134
5 平成18年改正(政令第124号による改正) 135
第2節 現行の所得税法施行令第84条の内容 136
1 当該各号に掲げる権利が与えられた場合とは 137
2 その譲渡についての制限その他特別の条件が付されている場合とは 139
3 株主等として与えられた場合(当該発行法人の他の株主等に損害を及ぼすおそれがないと認められる場合に限る)を除くとは 140
第3節 発行法人における会計・税務の概要 145
1 会計 145
2 税務 148
3 小括 150
第4節 所得税法施行令第84条の合理性・妥当性についての問題提起 152
1 権利確定主義 152
2 課税時期を行使時としていることについて 160
3 適用要件について 163
4 新株予約権自体が譲渡された場合に係る規定がないことについて 166
5 小括 167
第3章 米国におけるストック・オプションに係る課税制度等の概要 168
第1節 内国歳入法典第83条制定までの歴史 168
1 1956年LoBue判決まで 168
2 LoBue判決 169
第2節 内国歳入法典第83条及び同条に関連する財務省規則 172
1 内国歳入法典第83条 172
2 財務省規則1.83-7 177
第3節 発行法人における会計・税務の概要 193
1 会計 193
2 税務 195
3 小括 196
第4節 小括 197
第4章 法人取得者における会計・税務の概要 199
第1節 法人取得者における会計の概要 199
1 基本的な考え方 199
2 取得時における会計 199
3 期末時における会計 201
4 権利行使時における会計 202
5 譲渡時における会計 202
6 失効時における会計 202
第2節 法人取得者における税務の概要 203
1 基本的な考え方 203
2 取得時における税務 203
3 権利行使時における税務 204
4 失効時における税務 205
第3節 小括 205
第5章 所得税法施行令第84条の合理性・妥当性の検証及び提言 207
第1節 課税時期の問題について 207
1 米国の制度との比較に基づく検討 207
2 法人取得者との比較に基づく検討 208
3 小括 209
第2節 適用要件の問題について 209
1 米国の制度との比較に基づく検討及び提言 209
2 法人取得者との比較に基づく検討 213
3 小括 214
第3節 新株予約権自体が譲渡された場合に係る規定がないことについて 214
1 米国の制度との比較に基づく検討及び提言 214
2 付与時課税が行われた新株予約権を譲渡する場合との関係の検討 215
3 租税特別措置法第29条の2が適用される場合との関係の検討 216
4 発行法人側に与える影響の検討 217
5 小括 217
第4節 残された課題 218
終わりに 220

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