小島 信子
税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的

 移転価格税制(租税特別措置法66条の4)は、法人が国外関連者との間で行う国外関連取引に係る移転価格が、独立企業間価格と異なっていることにより我が国から所得が流出している場合に、当該取引は独立企業間価格で行われたものとみなす規定である。同条2項において規定されている独立企業間価格の算定方法から、独立企業間価格はポイントとして算定されるものと理解されている。
日米租税条約交換公文3は、両締約国はOECD移転価格ガイドライン(以下「ガイドライン」という。)に従って移転価格調査あるいは事前確認取決めの審査を行なうと規定しており、1995年ガイドラインが幅の概念を採用していることから、我が国の独立企業間価格算定においても一定の「幅(レンジ)」を認めるべきとの見解がある。平成22年度税制改正大綱も「今後『幅(レンジ)』の概念のあり方などについて検討を行う」としているため、ガイドラインに則った幅の概念の導入について検討することとした。
具体的には、我が国の移転価格税制における独立企業間価格の概念を確認し(第1章)、次に幅の概念を最初に導入した米国及びOECDの考え方(第2章)、さらに諸外国の規定(第3章)を概観した上で、我が国が幅の概念を採用する場合に考慮すべき点について整理を行う(第4章)。なお、OECDについては2009年9月に公表されたガイドライン改訂案(第1章〜第3章:以下「改訂案」という。)までを検討の対象としている。

2 研究の概要

(1)我が国の移転価格税制における独立企業間価格
昭和61(1986)年に導入された我が国の移転価格税制は、OECDモデル租税条約9条に規定される「独立企業の原則」に基づき1979年ガイドラインを参考として制定された。租税特別措置法66条の4は、独立企業間価格を法文上定義することにより法人税法の適用の基礎となる価格として実体法的に確定しているが、これは予測可能性確保のためと説明される。独立企業間価格は、法文上差異の調整まで盛り込んで一義的に計算するよう規定されていることから、幅のある概念ではなくポイントとしてとらえられている。

(2)「独立企業間レンジ」の概念及び導入の背景

イ 米国財務省規則
幅の概念は、最初に米国で採用された。米国は、無形資産取引等の比較対象取引が見出せない取引に対して移転価格税制を適切に適用するために、「無形資産の譲渡又は実施権の供与に係る所得金額は、その無形資産に帰すべき所得の金額と釣り合いの取れたものでなければならない」とする「所得相応性基準」を1986年に採用し、これを具体化する方法として、無形資産の価値を、経済理論に基づき利益比準法(CPM)等を用いて算定した基本的利益を差し引いた後の残余利益として認識する方法、あるいはこの残余利益を利益分割法(PS法)により双方の関連者の寄与に応じて分割する方法を考案した。
そして、この考えに基づき財務省規則を改正し、いわゆる利益法(CPM及びPS法)を従来の「第四の方法」から正式な移転価格算定方法に引き上げ、有形資産及び無形資産取引の双方に適用される一般的な移転価格算定方法とした。同時に、移転価格の算定は、所与の事実と状況の下で最も信頼できる方法により決定する「最適方法ルール」と共に、複数の比較対象取引からなる幅の概念である「独立企業間レンジ」及び幅が生じた場合の調整ポイントが規定された。
なお、所得相応性基準の適用に当たり、無形資産を移転した後、無形資産に係る所得、関連者が果たした経済活動及びリスク負担が大幅に変化した場合には、「定期的な調整」により対価に反映しなければならないとされたが、OECDは、これは納税者が取引時点で知りえなかった情報に基づく「後知恵」となる可能性が高いとしている。

ロ OECDガイドライン

(イ)1995年ガイドライン
1995年ガイドラインは、CPM同様営業利益に着目する取引単位営業利益法(TNMM)を導入した。1995年ガイドラインにおいて、TNMMは、所得相応性基準を具体化する方法ではなく、独立企業間価格比準法(CUP法)等の「伝統的な取引基準法」の延長としてとらえられているが、営業利益を指標として用いるために価格設定要因以外の要因に影響される可能性があり、価格や粗利益を指標とする伝統的取引基準法に比較して潜在的な不正確さが存在するとして、PS法と共に「最後の手段」と位置づけられた。
同時に幅の概念が導入された。幅は、1同じ程度に比較可能な比較対象取引が複数見出される場合及び2データの信頼性にばらつきがある場合に生じるとされるが、その際の調整は、「関連者間取引にかかわる事実と状況を最大限に反映させるよう幅の中の各ポイントに対して行われるべきである」と述べるにとどまり、具体的な調整ポイントを示していない。

(ロ)改訂案における最適方法ルールの採用及び幅の概念の明確化
取引単位利益法(TNMM及びPS法)が「最後の手段」として予想された以上に実務上使用されている現状から、改訂案は「最適方法ルール」を採用し、比較可能性及びデータの信頼性から取引単位利益法が最適な場合には、これを受け入れることとした。また、「データの信頼性にばらつきがある」と表現されていた幅の概念を「比較的同等で高い比較可能性を有する」複数の結果からなる場合と「比較可能性の欠陥が残っていると考えられる数値の幅がある」場合に区分した。

(ハ)改訂案における幅の概念
改訂案は、単一の十分に比較可能な比較対象取引が見出される場合も否定しない。一方で、幅が形成される場合、実績値が幅に収まっていれば調整を行なうべきではないとする。幅は、比較的同等で高い信頼性を有する複数の結果により構成される場合にはそのすべてにより(以下「すべての結果からなる幅」という。)、比較可能性の欠陥が残っていると考えられる数値の幅がある場合には四分位等の中心傾向(central tendency)を考慮して形成される(以下「狭められた幅」という。)。そして、実績値が幅を外れた場合には、算術平均値等の中心傾向を示す点まで調整を行うことが比較可能性の欠陥による誤りのリスクを最小化するために適切とされる。このように、幅の概念は、比較対象取引を選定した結果生じるもので、移転価格調整を行うか否かの判定のために使用されている。

(ニ)無形資産取引(比較対象取引が見出せない取引)に対する考え方
取引単位利益法が実務上多く使用されてきた理由の一つに、比較対象取引を見出すことが困難な無形資産を含む取引への対応が考えられる。無形資産取引等に対し、OECDは所得相応性基準を後知恵の恐れありとして批判する一方で、米国同様TNMM等により通常の利益を算定し、無形資産から生じる利益を残余利益として認識する方法(PS法との併用を含む)の適用を認めている。また、取引の再構築という概念を使用し、さらに、ガイドラインに記載された5つの移転価格算定方法以外の算定方法(以下「その他の方法」という。)が適用される可能性を否定していない。

(3)諸外国の取扱い
英国、カナダ、豪州及びドイツについて概観した。このうち前三者の移転価格税制は「独立企業の原則」を総論として立法し、幅の概念を含む独立企業間価格の算定方法等については1995年ガイドラインに沿ったものを通達上規定している。
ドイツは2007年改正により、正確な比較対象取引が見出される場合、正確でない比較対象取引が見出せる場合、比較対象取引が見出せない場合を想定し、事業移転等比較対象取引が見出せない場合には「健全な事業経営者の判断」に基づき理論値としての独立企業間対価の算定を行ない、これを所得相応性基準により検証することとし、また、それぞれの場合に応じた幅の概念を導入した。ドイツの改正はある意味、米国と同様に比較対象取引が見出せない場合を包括して移転価格税制を再構成したものと考えられる。

(4)国内法の観点からの検討

イ 租税条約の適用と我が国の移転価格税制
我が国の移転価格税制は1979年ガイドラインを基礎として制定されたが、その後独立企業の原則の適用場面の拡大とともにガイドラインもその姿を変えており、幅の概念も改訂案における最適方法ルールの採用に伴って明確化されたものといえる。このようなガイドラインによる独立企業の原則の適用指針の変更は、その適用範囲にも影響を及ぼすと考えられるが、1979年ガイドラインに基づく我が国の国内法が、改定案の示す独立企業原則の適用範囲を制限している可能性も生じる。特に今回のガイドラインの改訂は、日米租税条約(交換公文を含む)が改訂された2004年4月以降初めての基本的な改訂となるため、この点についても併せて検討した。

ロ 独立企業の原則の適用

(イ)「独立企業の原則」
我が国の国内法は、独立企業の原則を独立企業間価格と関連取引に係る移転価格との差として表現し、独立企業間価格の算定は法令に規定された方法に限られていることから、法の規定に基づく方法で独立企業間価格が算定できない場合には、移転価格税制を適用することはできないだろう。しかし、事業再編における事業そのものや機能の移転等のように、我が国の移転価格税制制定時には想定されなかった形で独立企業の原則を適用すべき場面が生じており、このような状況は今後増えていくものと考えられる。ガイドラインも既定の算定方法のほかに「その他の方法」を認識しているが、我が国の独立企業間価格の算定方法はガイドラインよりも厳密に規定されており、現在規定されている算定方法によって独立企業の原則を適用すべき事象のすべてに対処できるかは疑問である。
改訂案は独立企業原則が示す「条件」は価格に限定されないとしていることから、この改定案の文言を受けて、租税特別措置法66条の4により明確な形で「独立企業の原則」そのものを示すことを提案する。具体的には、現在の「価格」アプローチにモデル租税条約9条の規定に準じて独立企業間の配分に基づいた「配分」アプローチを加えると共に、現在の独立企業間価格の算定方法に「その他の方法」を含めること、さらに、ガイドラインがモデル租税条約9条に基づく移転価格調整として認めている「取引の再構築」の概念を国内法に導入することを検討すべきであると考える。

(ロ)「最適方法ルール」の導入
改訂案は最適方法ルールを採用するために幅の概念を導入しているため、我が国でも改訂案に従い最適方法ルールを採用すべきだろう。その際には、データの信頼性及び比較可能性が「最適方法」の判断基準となることを示す必要がある。
なお、最適方法ルールの適用に当たり、他の方法が最適でないことを証明する必要性については、同ルールにおいては争う側が当該方法より適切な方法の存在を証明することによって当該方法が最適でないことを示すべきと考えられるため、適用した方法以外のすべての方法が最適でないことを証明する必要は生じないと考える。

(ハ)「独立企業間価格の算定方法」の修正は必要か
現行法令上規定されている差異の意味が、「対価(あるいは利益率等)の差に影響を及ぼすことが客観的に明らかであるものに限られる」のであれば、営業利益を指標に用いるTNMMについては1995年ガイドラインの意味においてこのような差異の調整を行なった後にもなお価格要因以外の要因による比較可能性の欠陥が残り得ると考えることができるかもしれない。そうすると、改訂案が意味する比較可能性の信頼性の程度の相違は現行法令上表現されていると考えられるため、独立企業間価格の算定方法の定義を修正する必要は生じないだろう。差異の概念がこれ以外の概念を含む場合には、米国財務省規則同様、改訂案で示された「比較的同等で高い信頼性を有する結果」と「信頼性の欠陥が残っている場合」を区別して定義する必要が生じるが、この定義によると判断基準が非常にあいまいになるため、上述のように差異の概念を明確化することの方が望ましいだろう。ただし、TNMMにおける利益水準指標についてはガイドライン同様、資産に係る指標を加えることを検討すべきであろう。

ハ「幅」の概念の採用について
改訂案の幅の概念(移転価格調整の可否判定のための幅)は我が国の事務運営指針上の幅の概念(移転価格上の問題点の有無検討のための幅)と異なり、課税権を制限するものであるため、ガイドラインを遵守するという意味において、改訂案で示された幅の概念を採用することが望ましい。

ニ 採用すべき幅の類型
上記2(4)ロ(ハ)の検討から、採用すべき幅の類型は、基本三法に対してはすべての結果からなる幅を認め、TNMMに対しては差異の概念が「利益率に影響を及ぼすことが客観的に明らかであるものに限る」ことを示した上で、狭められた幅を適用することが適切と考える。

(イ)「幅」は課税要件か
比較対象取引が1つだけとなり幅が形成されない場合もありうるため、「幅に収まっていない」ことを一般的な課税要件とすることは適切ではない。しかし、幅が形成される場合には幅に収まっていないことを課税要件とすべきである。

(ロ)調整ポイント
我が国の独立企業間価格の算定方法が立法上規定されていることから、幅が生じた場合の調整ポイントについても立法により定める必要があろう。エッジを採るか中心傾向を採るかについては、我が国の場合には中心傾向(算術平均値)を用いることが過去の取り扱いからみても妥当と考える。

(ハ)事前確認との関係
事前確認において実績値が幅を外れた場合の修正は、当該手続きを経ていることを考慮し、中心傾向ではなくエッジまでとする考えも可能かもしれない。しかし、エッジでの調整を目指して常に実績値が幅を外れる等課税上問題が生じると認められる場合には、当該事前確認に対して何らかの措置を行なうべきであろう。
なお、二国間の事前確認の場合は、相手国の権限のある当局との合意が必要である。

3 結論

 租税条約9条の独立企業の原則について、ガイドラインが示す適用指針は1979年当時に比べその適用の範囲も方法も変わってきている。幅の概念も最適方法ルールの採用に伴い明確化されたものであるため、このような適用指針の変更に伴い、ガイドラインが示す独立企業の原則と我が国の国内法の適用範囲についても幅の概念と併せて検討を行った。
結論として、改訂案が「最適方法ルール」の導入のために「幅」の概念を明確化したことから、我が国でも最適方法ルール及び幅の概念を導入すべきこと、「価格」に限定している我が国の「独立企業の原則」の概念をモデル租税条約が示すより広い(価格に限定されない)概念に近づけること、及び「幅」については基本三法を適用する場合にはすべての結果からなる幅を、TNMMを適用する場合には差異の概念が「利益率に影響を及ぼすことが客観的に明らかであるものに限る」という条件の下で狭められた幅を採用することが適切と考える。


目次

項目 ページ
はじめに 349
第1章 我が国の移転価格税制における独立企業間価格 351
第1節 独立企業の原則とOECD移転価格ガイドライン 351
1 独立企業の原則 351
2 OECD移転価格ガイドライン 352
第2節 我が国の独立企業間価格の考え方 356
1 我が国の移転価格税制 356
2 我が国の移転価格税制の制度設計 360
3 「ポイント」としての独立企業間価格 362
4 我が国の執行におけるガイドラインの位置づけ 363
5 執行上の「幅」の概念と「比較対象取引が複数ある場合の独立企業間価格の算定」 364
第3節 我が国の移転価格裁判例 367
1 船舶事件 368
2 電子部品事件 373
3 グラフィック・ソフト事件 374
4 金利事件 375
第4節 「幅」が意味するもの 377
1 「幅」が意味するもの 377
2 「幅」を支持する見解 379
3 調整ポイントに対する見解 381
4 執行上の指針と「幅」導入の見解 382
5 その他の要因 383
第5節 小括 383
第2章 独立企業間レンジの概念 385
第1節 米国における「独立企業間レンジ」の概念 385
1 米国内国歳入法第482条 385
2 移転価格白書 388
3 米国財務省規則 394
4 米国財務省規則における「幅」の概念 397
5 米国移転価格税制に係るその他の側面 400
第2節 OECDにおける「独立企業間レンジ」の概念 404
1 「独立企業間レンジ」とは 404
2 改訂案までのレンジに関する考え方 405
3 改訂案における幅の概念 409
4 税務執行上のアプローチ 418
第3節 OECDにおける無形資産取引へのアプローチと移転価格算定方法 422
1 無形資産取引に係る移転価格問題 422
2 無形資産取引(あるいは比較対象取引が見出せない取引)に関する考え方 423
3 所得相応性基準 427
4 ガイドラインの意義 431
第4節 小括 432
第3章 主要国の移転価格税制 435
第1節 主要国の移転価格税制の概要 435
1 英国 435
2 ドイツ 438
3 豪州 445
4 カナダ 449
第2節 所得相応性基準に係る各国の考え方 451
1 英国、カナダ及び豪州 452
2 ドイツ 452
第3節 小括 453
第4章 「幅」の概念の採用-国内法の観点からの考察 455
第1節 租税条約の適用と我が国の移転価格税制 455
1 課税要件と証明責任 455
2 租税条約と国内法の関係 457
第2節 独立企業の原則の適用 461
1 独立企業の原則 461
2 最適方法ルール 469
3 独立企業間価格の算定方法 477
4 文書化規定 487
第3節 「幅」の概念の明文化 489
1 立法上「幅」の概念を採用すべきか 489
2 「幅」の類型-比較対象取引の信頼性に応じた幅の概念 489
3 「幅」は課税要件か 491
4 調整ポイント 492
5 セーフ・ハーバー 494
6 事前確認との関係 495
第4節 小括 496
おわりに 498

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