金子 基史
研究科第45期
研究員


要約

1 研究の目的

 査察事務においては、経済取引のグローバル化に伴い、海外取引を利用した脱税事件が増加しており、その犯則手段も悪質・巧妙化している。この種の脱税事件については、国外における証拠収集が必要不可欠となるところ、国外で調査権を行使することは、外国領土内における主権侵害行為となり、国際法上、被行使国の同意がある場合を除けば一切認められないと解されている。また、国内法である国税犯則取締法の調査管轄権が域外(国外)においても行使しうるかという点も問題となる。一方、租税条約の情報交換規定については、同規定の対象とならない税目がある場合や、租税犯則事件には適用されない場合があるなど、直ちに情報入手が可能であるとは限らず、その犯則事実を立証し得るだけの証拠収集が困難となっている。
本研究は、このような状況の下、査察調査における国外証拠収集上の問題点について、1国際法の執行管轄権及び国内法である国税犯則取締法の適用範囲の面から、査察官の国外における権限行使が認められるための要件や範囲等について検討するほか、2租税条約に基づく情報交換制度の有効性及び証拠化対応策を検討し、査察調査における今後の国外証拠収集の在り方について考察を行うことを目的とする。

2 研究の概要

(1)査察官の国外証拠収集における法的問題

イ 国際法における国家管轄権
国際法上の国家管轄権である執行管轄権については、原則としてそれぞれの自国領域内に限り認められ(属地主義の優位)、外国の領域に立ち入って執行管轄権を行使できるのは、両国間に特別の条約がある場合、または相手国の明示・黙示の同意に基づく場合に限られると解されている。
我が国は外国の直接の調査活動を認めていないが、これは、我が国の領土内において外国が公権力を行使することは一切許されないという大陸法系の考え方に基づくものとされている。この考え方の下では、国際慣習である相互主義の保証ができないため、我が国が国外で調査活動を行うことの承諾を求めることも差し控えざるを得ない。しかしながら、脱税が国際化し、国外に証拠を求める租税犯則事件が増加している現在においては、一定の範囲の国外調査活動を相互に許容すべきではないか。具体的には、租税条約という枠組みの中で、調査対象者の権利保障の相当性を確保し、また、外国の権限行使を我が国の査察官の立会いのもとに認めるなどの手当てを行った上で、実力行使性の低い任意調査に限り外国税務当局の我が国における調査活動を認めると同時に、我が国の査察官が外国での任意調査活動を行うことの承諾を求めることを検討すべき時期にきているように考える。

ロ いかなる行為が執行管轄権の域外行使に該当するか
国際法上の執行管轄権については、いかなる行為を行えば執行管轄権の行使に該当するかが争点となっている。執行管轄権の行使に該当しない行為については、相手国の同意を得ずとも、執行管轄権に抵触することなく域外で行使することが可能である。
いかなる行為が執行管轄権の行使に該当するかについては、一説では、「法が禁止しない任意処分」であるか否か、あるいは「国内法上何らかの法的効果発生を伴うもの」であるか否かを基準とする。しかしながら、他国の領域での執行管轄権の行使が国際法上禁止されるのは、執行管轄権の行使が直接的・物理的な権力行使であるという点において、相手国の主権の侵害を犯しかねない問題を含んでいるからであり、その意味から、当該行為の「実力行使性の程度」という基準によって決せられるべきとする説を支持したい。
また、実力行使性の程度については、「相手方に対して物理的・直接的な力を行使するか否か」及び、一定の情報を伝達するに止まらず、「一定の行為を命じるか否か」により、判断すべきと考える。
但し、具体的にいかなる行為が実力行使性を伴う行為であり、国際法上禁止される執行管轄権の行使に該当するかは、各国間で解釈に差異がある。これを踏まえれば、OECD等の国際的な協力の場において、各国の考え方について相互に認識を深めるとともに、望ましい執行管轄権の域外行使のあり方を議論することが有意義と考える。

ハ 国税犯則取締法の調査管轄権の適用範囲
仮に、国際法上、国外での任意調査が認められることになった場合、国税犯則取締法の調査管轄権は国外に適用されるのであろうか。
国税犯則取締法の調査管轄権の適用範囲については、国外調査権の規定がないことや公法の属地主義原則により、我が国の領域内に限定されると解されてきた。しかしながら、同法制定当時の国家が自己完結性を維持し得た時代は過去のものであり、海外取引を利用した脱税事件が増加している近年においては、同様の解釈を貫くことには疑問がある。
この点については、刑事訴訟法の適用範囲は国外にも及ぶと解されていることから、刑事訴訟法における捜査手続規定と同様の目的、機能、性質を有している国税犯則取締法についても、刑事訴訟法と同様の解釈が可能ではないか。また、法人税法(所得税法)は内国法人(居住者)の課税標準を全世界所得と捉え、当該課税標準の的確な把握を担保するために、同法の質問検査権は国外にも及ぶと解釈する余地がある。そう考えるならば、租税に関する刑罰権を実現するという点で、各税法の手続法の関係にある国税犯則取締法についても、法人税法(所得税法)と同様の解釈が可能ではないか。以上の点から、国税犯則取締法の調査管轄権の適用範囲についても、国外に及ぶと解することができるとも考えられる。
しかしながら、刑事裁判において、国外証拠収集の違法性を争われるおそれがあるなど、種々の困難な問題の発生が予想されることから、一定の立法政策的判断を含む重要な問題は、立法による手当も考慮し、今後の法的対応策を議論していく必要があると考える。

(2)査察調査における租税条約に基づく情報交換の活用と得た情報の証拠化

イ 租税条約の情報交換規定の活用
現在、各国との間で締結されている租税条約の情報交換規定の中には、1同規定の対象とならない税目がある、2租税犯則事件には適用されない、3交換された情報を裁判で開示できない、4相手国の課税上の利益がない、5相手国国内法が銀行の守秘義務を規定している場合があるなど、必ずしも査察調査において、直ちに情報入手が可能な手段とはなっていない。したがって、締結年が古く、現行のOECDモデル租税条約の情報交換条項に規定された対象情報や開示可能範囲と異なっている租税条約については、その情報交換規定を改正することが望まれる。
また、外国によっては、司法当局が租税犯則事件を管轄しているため、税務当局が情報交換に応じることができない場合があることから、我が国が、租税条約等実施特例法を改正し、所要の整備を行ったように、外国に対して、情報収集権限の法令上の付与など、国内法の措置を講ずるよう働きかける必要がある。

ロ 租税条約に基づく情報交換により得た情報の証拠化
租税条約に基づく情報交換を利用して得た情報については、平成18年の租税条約等実施特例法の改正により、外国の租税犯則事件について、我が国において犯則調査手続による証拠収集が可能となった。そして、相互主義の下、相手国にも同様の手続を要請することが可能となり、刑事訴訟法上の「特信性の情況」の保障がなされることとなった。
また、特信性の情況的保障を立証するためには、相手国に対して、回答書の作成時に必要な記載事項を詳細に依頼するなどの方法も考えられるが、被要請国が調査を行う際に我が国の査察官が質問調査等に立ち会うことができれば、裁判で回答書の証拠能力が問題となった場合には、査察官自らが証人となって特信性等を立証することができるという利点がある。また、査察官自らが被質問者の供述から心証を形成できるほか、適宜補充的な質問すべき事項を被要請国の調査官に伝えることも可能となる。実力行使性の低い行為であるという点で、国際捜査共助における検察官等の立会いが実務上広く行われているところ、査察調査においても、特に、事案が複雑で、供述の微妙なニュアンスを的確に捉える必要がある場合や、提供を求める情報が極めて重要な意味を有する場合には、我が国の査察官が出張し、適宜相手国の税務当局と協議を行うとともに、調査に立ち会うことも積極的に検討すべきと考える。

(3)租税情報交換条約(協定)の締結の推進
租税情報交換条約は、租税情報の交換に特化した租税条約をいうところ、タックス・ヘイブンに対して課税管轄権配分上の特典を与えないという条約締結ポリシーを遵守しつつ、情報交換を可能ならしめる条約である。我が国としては、他のOECD加盟国がタックス・ヘイブンと締結した租税情報交換条約の運用実態や、とりわけ、タックス・ヘイブンが締結に応じるに至った経緯及び説得材料をモニターし、また、早期締結のためには、税務当局間での行政取極である租税協定という形式も考慮に入れて、タックス・ヘイブンとの間で締結を進めていくことが望まれる。

3 結論

 近年、海外取引を利用した脱税事件が増加し、その手段も悪質・巧妙化している。一方で、国外における証拠収集については、相手国の主権侵害の問題、国税犯則取締法の適用範囲の問題、租税条約に基づく情報交換の制度的問題及び証拠能力等の点で種々の隘路があり、制度的・手続的に限界があることは否めない事実である。しかしながら、税務行政が国民の付託に応えるためには、この種の事犯に対しても厳正な対処が必要であることから、国外証拠収集の問題については、法的対応策を講じることも視野に入れつつ対応を進めていく必要がある。


目次

項目 ページ
はじめに 391
第1章 査察官の国外証拠収集における法的問題 393
第1節 国際法における国家管轄権 394
1 国家管轄権の国際法上の意義 394
2 国家管轄権の分類と関連性 395
3 執行管轄権の域外行使の限界とその調整 396
4 国税犯則取締法と執行管轄権 400
第2節 いかなる行為が執行管轄権の域外行使に該当するか 401
1 国税犯則取締法上の質問調査の意義 401
2 国外への文書送達における議論 403
3 独占禁止法協力協定上の通報規定と執行管轄権の域外行使 406
4 まとめ 409
第3節 国税犯則取締法の調査管轄権の適用範囲 411
1 国税犯則取締法上の土地に関する効力 411
2 刑事訴訟法の調査管轄権の適用範囲についての考え方 412
3 国税犯則取締法と刑事訴訟法の関係 415
4 法人税法(所得税法)の質問検査権の適用範囲についての考え方 417
5 国税犯則取締法の調査管轄権の適用範囲 418
第2章 査察調査における租税条約に基づく情報交換の活用と情報の証拠化 420
第1節 国際租税情報交換の動向 420
1 諸外国における国際租税情報交換の動向 420
2 我が国の租税条約の締結、改訂の動向 424
3 租税条約等実施特例法の改正 426
第2節 租税条約の情報交換規定の活用 428
1 査察調査における租税条約の情報交換規定の有効性 430
2 租税条約に基づく情報交換により入手した情報の証拠化 434
第3章 査察調査における国外証拠収集についての今後の対応 445
第1節 国外証拠収集についての法的対応 445
1 国際法上の法的対応 445
2 国税犯則取締法上の法的対応 445
第2節 国外収集証拠の特信性の情況的保障 446
1 国際捜査共助における捜査立会い 447
2 我が国査察官の被要請国調査への立会いの可否 448
3 諸外国における調査立会いの動向 448
4 まとめ 449
第3節 租税情報交換条約(協定)の締結の推進 450
1 租税情報交換条約 450
2 行政取極による租税情報交換協定の締結の推進 453
おわりに 459

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