立石 信一郎

税務大学校
研究部教授


要約

1 研究の目的(問題の所在)

 デリバティブ等金融商品の時価評価については、デリバティブ取引等を利用した利益調整の防止などのため、企業会計における時価評価の導入に併せ、平成12年度税制改正により導入されたが、銀行等金融機関については、銀行法等の改正により平成9年4月からデリバティブ等の時価評価が認められ、税務上も租税特別措置法(法人税法に規定されたため廃止)により時価評価を認めてきた。
デリバティブ取引は、金利先物等取引所で取引される「市場デリバティブ」と金利スワップ等取引所外で主として金融機関により相対で取引される「店頭デリバティブ」に区分される。市場価格がない「店頭デリバティブ」の時価評価については、「合理的に算定された価額」によることとされ、割引現在価値による方法やオプション価格モデルによる方法等が認められている。それゆえ、時価評価における「時価」の概念は、実際の取引に基づく市場価格(”mark-to-market”)だけではなく、様々な仮定に基づいたプライシング・モデルによる理論的な計算結果(”mark-to-model”)を含む幅広い概念になっており、納税者の裁量が大きく影響する推定の世界へと拡大している。
現実に時価評価等のために納税者によって様々なプライシング・モデルが使用されており、また時価算定のために適用するボラティリティ等のマーケット・データにも選択の幅があることなどから、税務上はあらかじめ定めた合理的な方法を使用して時価を算定することを規定しているにとどまっており、租税負担に幅を認める結果となっている。さらに、トレーディング目的で大量にデリバティブ取引を行う金融機関においては、現在のところ主として会計上の問題であるが、信用リスク等に係る時価評価の調整の問題がある。これは、時価評価により将来の損益を評価時点で認識することから、信用リスク、将来の管理費用などの将来発生するリスクやコストを時価評価損益から控除するものである。これらの調整について、現状金融機関は基本的に税務上損金としていないが、税務上の適用を求める意見もある。
米国においては、金融機関が金利スワップの時価評価において税務上行った信用リスク等に係る時価評価の調整を米国内国歳入庁が否認したことから10年以上にわたり現在も争われている裁判例があり、第一審である租税裁判所は、税務上信用リスク等の時価評価の調整は認められると判示している。また、本裁判の影響もあり、納税者及び税務当局双方の時価評価という困難な問題に対処する負担を軽減するため、平成19年6月、一定の条件のもと時価評価の調整も含め納税者が行った財務会計上の時価評価を税務上も認めるセーフハーバーを定めた財務省規則が発出された。米国がこのように納税者の会計上の処理を税務上も認める方向に大きく舵を切った結果が今後わが国の税務に影響を及ぼすことも予想される。
さらに、国際会計基準とのコンバージェンスから、会計上時価評価の対象となる金融商品が今後拡大していくことは避けられない状況にあり、これが会計上の問題にとどまらず、税務上も時価評価を受け入れることについて判断を迫られるものと考えられる。
本研究においては、このようなデリバティブ等の時価評価を取り巻く環境の変化に適切に対応し、租税負担の公平性の確保や課税の明確化を図っていくため、時価評価に関する税務上の基本的な考え方を整理するとともに、時価評価に関する税務上の規定の必要性等について検討を行うものである。金融機関として銀行を対象に検討を行うが、金融機関のみならずデリバティブのトレーディングを行う一般事業法人も対象とする。

2 研究の概要

(1) 店頭デリバティブの時価評価に関する論点
店頭デリバティブについては、割引現在価値による方法やオプション価格モデルによる方法により時価評価が行われるが、これらの時価評価にあたっては、1使用するプライシング・モデル、2適用するボラティリティ等のマーケット・データ及び3信用リスク等に係る時価評価の調整のそれぞれの合理性が問題となる。
店頭デリバティブの「時価」について、日本公認会計士協会が公表している「金融商品会計実務指針」は、市場デリバティブに比べ流動性が低く保守的な評価が必要と考えられるため、「保有するデリバティブ取引を解約すると仮定した場合の価額」としている。なお、時価評価に対する調整として、信用リスクは原則見積もるほか、重要性があれば流動性リスク、モデル・リスク等も考慮すべきとしている。このように、「時価」を「取引を解約すると仮定した場合の価額」としているものの、実際の時価評価額はプライシング・モデル等を使用し将来の各種リスク等の調整を行った結果であり、合理的という判断のもと様々な異なる結果が導かれる可能性がある。
法人税法上は、デリバティブの「時価」を「決済したものとみなして財務省令で定めるところにより算出した」と規定し、「みなし決済」という概念を採用しているが、法人税関係法令・通達において規定する店頭デリバティブの時価評価の方法は、「金融商品会計実務指針」等が規定している割引現在価値による方法等と同じである。したがって、税務上は、この会計上認められている方法を受け入れているものと考えられるが、当然のことながら銀行等金融機関が行ってくる様々な異なる会計上の処理を税務上そのまま認容するものではない。
会計と税務は目的が違うことから、同じ規定振りであってもその合理性の程度が異なる結果、それぞれの時価評価額が異なるのは当然であるとすることも考えられる。しかしながら、法的安定性及び予測可能性の確保という観点からは、税務上異なる取扱いをするためには、それらについて具体的な規定等を設ける必要がある。現状会計上の時価と税務上の時価の差異は、主として時価評価の調整に関するものであるが、税務上はこの時価評価の調整の取り扱いについて特に規定を置いておらず、この時価評価の調整の問題も含め、店頭デリバティブの時価評価について税務としての考え方を明確にする必要があるのではないかと考える。

(2) 米国におけるデリバティブの時価評価に関する動向

イ 判例における時価評価を巡る問題点
我が国では、デリバティブの時価評価の適否そのものが争われた判例等はないが、米国では10年以上にわたり銀行が行った金利スワップの時価評価が裁判で争われているJP Morgan Chase事件(第一審時は合併前のBank One事件)がある。本件は、銀行が金利スワップの期末時価評価にあたって行った信用リスク及び将来の管理費用に係る調整を米国内国歳入庁が「利益の繰延べ」にあたるとして否認したものである。第一審である租税裁判所は、税務上それらの調整は認められるとして内国歳入庁の処分を退ける一方、銀行が適用した調整額の算出方法も適切でないと結論付けた。
租税裁判所は、信用リスクの調整については、担保やネッティング契約などの信用補強手段を考慮すべきことなどを、また将来の管理費用については、一般的な総費用のような固定費用ではなく、新規のスワップ契約により増加することとなる費用を基礎として計算すべきことなど、税務上認められる調整額の算出方法を判示している。なお、税務上調整を認める基準については特に考え方は示されていない。

ロ 時価評価に関するセーフハーバー規則の概要
平成19年6月、納税者が行う財務会計上の時価評価を税務上も認めるセーフハーバーを定めた財務省規則が発出されたが、それを認める要件としては、1U.S.GAAP(米国の「一般に公正妥当と認められた会計原則」)に従って処理を行うこと、2(損益計算書への計上を義務づけることによる緊張感が税務上の評価の信頼性を高めるため)時価評価損益を損益計算書において認識することなどが規定されている。また、信用リスク、将来の管理費用、モデル・リスクなどの時価評価の調整については、それらが重複して調整されないことを条件に認めるとしている。
なお、納税者が記録の保存及び提出を行わなかった場合には、米国内国歳入庁が時価である「公正市場価値(fair market value)」を決定することができる旨の規定が置かれ、適正申告を担保するための手段が講じられている。

(3) 時価評価に対する基本的な考え方
時価評価は、基本的に期間損益の問題であり、税務執行の効率化等の観点から、米国のように一定の条件のもと時価評価の調整も含め納税者の会計上の処理を税務上も認めるという選択肢もある。しかしながら、1利益調整の防止のために導入した時価評価において、時価評価の調整という名目で、より簡単でより多額の利益調整を認めることとなること、2納税者の裁量を大幅に認めるものであり、納税者の負担の公平という観点から問題があること、3会計上の取扱いを追認するという姿勢を示すことは将来時価評価の分野において深刻な影響を残すこと、さらに4挙証責任等の問題から米国のように違反した場合の強行規定を設けることが困難であり適正申告を担保できないことから、現状このようなアプローチをとることは適当ではない。
一方、利益調整の防止、租税負担の公平等を追及する場合には、税務当局が、使用すべきプライシング・モデルを作成又は特定し、適用すべきマーケット・データや行うべき時価評価の調整の方法等を詳細に規定することにより、納税者に画一的な時価評価を求めることが必要となる。しかしながら、税務当局が最新のマーケット動向を把握し、それを反映させた時価評価方法を頻繁に改訂し、納税者に使用させることは実際上不可能であり、かつマーケットに介入する結果となることから不適切である。また、税務申告のためにのみ別途時価評価を計算させることも納税者に過度の負担を与えることとなる。
したがって、銀行等金融機関が様々な規制に従い、リスク管理、財務管理、税務申告等の観点からそれぞれ独自の時価評価方法を採用していることを前提に、税務上の「時価」を決定するために、どのようなものを担保する必要があり、またどのような調整を行うべきかについて検討していくことが現実的かつ適切である。

(4) 時価評価に関する個別の検討

イ プライシング・モデル
自社開発や市販のものなど様々なプライシング・モデルがあるが、モデルは固定的なものではなく、新しい金融商品の出現とも密接に関連し、実態に合ったより精緻なものへと変更されていく状況がある。納税者によって現実に使用されているモデルを受け入れることに問題がなければ、これを受け入れることが現実的である。
モデルの違いが税務上の時価評価に受け入れがたい影響を及ぼすかについては、1金融技術の発展・普及に伴い、時価評価を求めるための基礎となるイールド・カーブやプライシング・モデル等に対する共通認識が相当程度まで形成されており、モデルに大きな差異はないこと、また、2モデルの差異によりデリバティブの価格等に差異が生ずれば、価格差を利用した裁定取引が働き、その価格差は縮小し、またモデルの差異も調整されていくことから、大きな問題となることはない。
税務執行面においては、納税者が取引価格の決定、リスク管理、財務会計、税務申告等のすべての目的において同じモデルを使用するなど、利益調整を目的としていないことを確認することにより、税務上の合理性を担保することが可能である。

ロ マーケット・データ
ボラティリティ等適用するマーケット・データの妥当性については、幅があるとしても、特定のブローカーなどが提供するものを継続して使用することなどを定めた内部規程があり、それに沿ったものであれば、1実際のマーケットに基づくものであり、2事後の検証が可能であり、また3意図的な利益操作を目的としていないことから、これを認めることに問題はない。
一方、期末のマーケット・データについては、例えば、取引の集中等のため瞬間的に異常な値が出る場合がある。この場合、取引を担当しているディーラーの相場観との乖離が生ずる可能性がある。このような場合でも、情報の信頼性及び検証可能性という観点からは、公表されているマーケット・データを使うべきであり、事後の検証が不可能な一担当者の相場観といったようなものを適用することは適当ではない。

ハ 時価評価の調整
会計上デリバティブの「時価」を求めるためには、時価評価の調整が必須とされている。調整項目としては、理論上信用リスク、将来の管理費用など様々な調整が存在し、その計算方法も定まったものがない。また、どのような調整を行うかは、納税者のデリバティブの取引状況や調整項目の重要性により異なる。
したがって、店頭デリバティブの時価評価が推定によらざるを得ないという現状を考慮しても、税務上行き過ぎた裁量を認めることは、利益調整を認める結果となり、これらの調整を税務上無制限に認めることは適当ではない。一方、リスク等の発生可能性や調整額の算出困難性をあまりに問題視し、税務上時価評価の調整を一切認めないという姿勢をとることも適当ではない。
税務上時価評価の調整として時価評価損益からの控除を認めるためには、1リスク等の発生可能性から調整することに理論的な合理性があり、2金額をある程度合理的に算出できることのほか、3取引の契約・解約時の価格決定の際に考慮される時価の調整要素であり、単なる費用の引当てではないことが必要であると考える。

3 結論

 税務が果たすべき目的を達成し、デリバティブの時価評価という困難な問題に対処するためには、会計上の取扱いを追認するという姿勢をとることは適当ではない。また、税務上拠り所となる規定がない状況において、税務執行面においてその合理性を議論することは非常に困難であり、できる限り具体的な規定等を設け、税務上の時価評価の合理性を担保することが重要である。
店頭デリバティブの時価評価において、納税者が採用するプライシング・モデルや適用するマーケット・データについては、その恣意性を排除したうえで税務上受け入れることが現実的である。
信用リスクについては、取引価格に影響を与える重要な要素であることなどから、時価評価にあたり調整を行う合理性があるが、利益調整の防止等の観点から税務上一定の限度を設けてこれを認めることが適当である。その場合、担保やネッティング契約を考慮した実際の債権・債務額の算出や実績率の使用など精度を高めた論理的な算定方式を用いる必要がある。なお、対象を金融機関に限定する理由はないことから、適正な時価評価を行うために信用リスクの調整を必要とする納税者に対しこれを認めるべく、現行の貸倒引当金の枠組みの中で認めていくことが適当である。
将来の管理費用、モデル・リスクについては、理論的合理性、発生可能性などの観点から問題があり、税務上調整を認めることはできない。流動性リスク等の理論的な合理性があり、発生可能性の高いリスクについては、今後の企業会計及び実務における成熟具合を見守り、その調整の可否を検討していくことが必要であるが、調整を認める場合でも税務上一定の限度を設けることが適当である。
なお、適正申告を担保するため、時価評価の算定に誤りがあった場合、それを是正する手段として、再計算を行うために必要となる期末評価時点の取引データの保存義務や再計算が困難な場合の推計計算の規定等が将来的には必要となるものと考える。

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。

論叢本文(PDF)・・・・・・471KB