原 省三

税務大学校
研究部教育官


要約

1 研究の目的

 平成18年7月5日に企業会計基準委員会が公表した「棚卸資産の評価に関する会計基準」(以下「新会計基準」という。)では、原則として平成20年4月1日以後開始する事業年度から、企業が通常の販売目的で保有する棚卸資産の評価について、これまでの原価法と低価法の選択適用を見直し、低価法を強制適用することとしている。
法人税法は、棚卸資産の評価について、従来から企業会計と同様に原価法と低価法の選択適用を認めてきたところであるが、本研究では、新会計基準の適用を前に、新会計基準に対する法人税法の調整の方向性について検討することとした。
なお、平成19年度税制改正において、低価法を適用する場合における時価を、従来の「取得のために通常要する価額(再調達原価)」から、「事業年度終了の時における価額」に改めるとともに、トレーディング目的の棚卸資産(短期売買商品)については、時価法により評価することとされており(原則として平成19年4月1日以後開始する事業年度から適用)、この改正の内容も踏まえて検討を行った。

2 研究の概要

(1) 棚卸資産の評価に係る法人税法と商法、企業会計の従前の取扱い
棚卸資産の評価方法については、三者とも原価法と低価法の選択適用を認めてきた。
低価法における時価については、法人税法は「再調達原価」を採用し、企業会計は「正味実現可能価額」が適当であるとしつつも「再調達原価」などの価額によることも認めていた。低価法適用後の処理については、法人税法、企業会計ともに「洗替え方式」と「切放し方式」の選択適用としており、両者の取扱いは、ほぼ一致していた。商法は、低価法の適用関係について具体的な規定を持っていない。

(2) 棚卸資産の評価に係る法人税法と商法、企業会計の取扱いの沿革
昭和40年度税制改正により三者の取扱いはほぼ一致したものとなったが、これは、「三位一体」関係と呼ばれた従来の相互依存型のトライアングル体制の下、棚卸資産の評価についても、三者間において調和を重視した調整が行われた結果と言える。

(3) 棚卸資産の評価に係る国際的な会計基準の取扱い
国際会計基準、米国会計基準とも低価法を強制適用しているが、低価法における時価と低価法適用後の処理については、国際会計基準が「正味実現可能価額」と「洗替え方式」を採用しているのに対し、米国会計基準は「再調達原価」と「切放し方式」を採用している。

(4) 棚卸資産の評価に係る基本的な考え方の考察
法人税法、商法及び企業会計の三者とも、棚卸資産の評価の原則を財産法に基づく時価主義ではなく、損益法に基づく取得原価主義(原価(取得時の価格)を基準として資産・負債を評価する考え方)によることとしている。つまり、企業が投資した資産の支出額ないし取得原価を、その投資の成果が確定(実現)する期間に配分するという考え方に立っている。
しかし、低価法は下方修正のみではあるが、原価以外に決算期末の時価を使用することから、低価法と取得原価主義との整合性につき、従来から議論が行われてきた。これらの議論を整理すると、低価法の根拠論は、次の3説に分けられる。

1 保守主義説・・・低価法は古くから行われてきた慣行的評価思考であり、保守主義による取得原価主義の例外として認めたものとする考え方である(連続意見書第四)。

2 有効原価説・・・その財貨から生み出される将来純収入の現在価値すなわち用益潜在力をもって棚卸資産の評価額とすべきという考え方で、期末時価が取得原価を下回る差額部分は失われた用益潜在力の貨幣評価額として切り捨て、将来収益対応分として残った有効原価のみを期末評価額とするものである。この考え方によれば低価法における時価は再調達原価とされる(米国会計基準)。

3 回収可能原価説・・・通常の営業過程において回収可能な金額を棚卸資産の評価額とすべきという考え方で、期末時価の下落分は回収不能原価分とみて切り捨て、回収可能額のみを期末評価額とするものである。この考え方によれば低価法における時価は正味実現可能価額とされる(国際会計基準、新会計基準)。

 回収可能原価説に立つ新会計基準を、取得原価主義の枠内と位置付けることに疑問を呈する論者もいるが、金融商品に適用される時価評価とは異なり、未実現利益の計上を強制するものではなく、減損会計基準と同様に、取得原価主義の枠内と位置付けることができるものと考える。

(5) 新会計基準の内容分析
新会計基準の内容で注目すべき点としては、1中小企業には「中小企業会計指針」が適用され、新会計基準の適用は強制されないこと、2品質低下・陳腐化評価損と低価法評価損を収益性の低下の観点からは相違がないものとして取り扱うこととされたこと、3低価法を適用する場合の時価は原則として「正味売却価額」(従来の「正味実現可能価額」と同義)とし、製造業における原材料等についてのみ継続適用を条件として「再調達原価」を認めることとしたこと、4トレーディング目的で保有する棚卸資産については時価評価することとされたことが挙げられる。

(6)法人税法の調整の方向性

イ 法人税法が新会計基準に合わせて低価法を強制適用することの是非
低価法を取得原価主義の枠内と位置付ける考え方によれば、法人税法が低価法を強制適用することとしても、損益法による期間損益計算を原則としてきた所得計算を歪めるものではない。
しかしながら、新会計基準は中小企業に強制適用されるものではないため、すべての法人が会計実務において新会計基準を適用し、低価法を採用するとは考えられないことや、課税庁が、低価法を適用していない法人に対し、低価法によって所得金額を算定するためには膨大な事務量を要し、執行が困難となること等を勘案すると、法人税法が低価法を強制適用することは現実的でなく、従来どおり選択適用を維持すべきであると考える。
なお、平成19年度税制改正においても、法人税法が低価法を強制適用することとはしておらず、妥当な改正であると思われる。

ロ 新会計基準が適用された場合の執行上の問題点と法人税法の調整の方向性

(イ) 低価法と強制評価減の区分
法人税法上の評価減における時価(「実現可能価額」)と新会計基準の時価(「正味売却価額」)が異なるため、調査等においては、評価減によるものと低価法によるものを区分した上で、評価額の適否を検討する必要があるが、「実現可能価額」と「正味売却価額」の差異は、見積追加製造原価及び見積販売直接経費を含むか否かであるので、「実現可能価額」を算定し、更正することは可能である。評価減の計上はすでに実現した損失を顕在化させるものであり、低価法による評価損とは区分すべきである。

(ロ) 時価の定義
低価法を適用する法人が、会計上、「正味売却価額」を採用している場合には「再調達原価」で再計算して申告調整を行う必要がある(従前も同じ。)が、法人と課税庁の双方ともに実務上の負担が大きいことから、継続適用を要件に、「再調達原価」だけでなく、「正味売却価額」での評価も認めるべきである。
なお、平成19年度税制改正においては、低価法における時価(法令281二)を、「事業年度終了の時における価額」と規定しているが、この時価の規定振りは、評価減における時価(「事業年度終了の時における当該資産の価額」(法法332))とほぼ同じであり、現行通達(法基通9−1−3)の解釈からすると、「実現可能価額」を指しているものと思われる。しかし、上記(イ)のとおり、低価法における時価と強制評価減における時価は異なるものであり、また、原則として「正味売却価額」を時価とする新会計基準とも整合性を欠くこととなる。
いずれにしても、法人税法上の低価法における時価が、「実現可能価額」、「正味売却価額」、「再調達原価」といった時価の概念のいずれを指すのか、明確に示す必要があろう。

(ハ) トレーディング目的で保有する棚卸資産
新会計基準上の「トレーディング目的で保有する棚卸資産」は、企業が商品先物取引等により投機目的で保有する金地金等を指すものと思われるが、このような棚卸資産については、法人税法上も売買目的有価証券の取扱いに準じて、時価法により評価することにより、法人の事業活動の成果を的確に所得に反映させるべきであると考えられる。
平成19年度税制改正においては、新会計基準の取扱いに合わせて、「金、銀、白金その他の資産のうち、市場における短期的な価格の変動又は市場間の価格差を利用して利益を得る目的で行う取引に専ら従事する者が短期売買目的でその取得の取引を行ったもの」等を「短期売買商品」とし(法令118の4)、これらの資産については、時価法により評価することとしており(法法612)、妥当な改正であると思われる。

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