鈴木 芳行

租税史料館
研究調査員


要約

1 研究の目的

 明治20年(1887)に導入された所得税の執行体制は、郡区長の下調べ調査と調査委員会の調査との二つから構成されていた。調査委員会は単なる諮問機関ではなく議決機関であり、郡区長の下調べ調査よりも優越する性格が付与されていた。明治22年に市制町村制が施行されると、この下調べ調査は府県知事が管掌することになり、実務担当部署は明治22年府県収税部出張所、次いで23年直税署直税分署、26年収税署へと移ったが、調査委員会の優越的な性格にかわりはなかった。そして調査委員会は納税者の代表である所得税調査委員によって組織されたから、所得税調査委員は所得税執行体制の核心ということができよう。
この執行体制は明治29年に大蔵省直轄の税務管理局・税務署の国税組織が整い、税務署長などの調査権限が格段に強化され、次いで明治32年に法人課税などが導入されるまで維持された。本稿では明治20年から同31年までの期間を、所得税執行体制の初期と位置づけ、分析の対象期間とした。
所得税調査委員は所得税納税者のなかから、最初は互選により町村選挙人を選び、次いで町村選挙人の互選により所得税調査委員、補欠員を選ぶシステムであった。所得税調査委員の任期は4年、2年ごとに半数を改選し、欠員が生じた場合には、補欠員から補充した。所得税執行体制の初期に定期改選は6回行われ、欠員補充も含め、東京市では186人の所得税調査委員が選ばれた。
本稿の目的は、所得税導入の明治20年における全国および東京区部における執行体制の構築状況と、所得税執行体制初期における東京市186人の所得税調査委員を中心に分析を加え、所得税および所得税調査委員にみられるさまざまな特色を摘出するところにある。

2 研究の概要

(1) 初年度所得税執行体制の構築

イ 所得税新定の風説
所得税法は明治20年3月19日に公布され、同23日、「官報」に掲載され、翌24日各新聞がいっせいに特報したところから、国民の多くが所得税の新定を知るところとなった。しかしそれ以前から各新聞は競って所得税の新定を風説として流布しており、それらから判断すると、明治17年ごろからあった政府の所得税新定の意図を国民が知るようになったのは、明治19年秋から翌20年1月の閣議決定直後ごろからである。しかし大蔵省翻訳局を経て大蔵省翻訳官吏などの経歴があり、大蔵省の事情に詳しい経済学者の田口卯吉などは、政府が導入を検討し始めた明治17年ごろから、政府の所得税新定という意図を察知していたのである。

ロ 収税長会議の開催
所得税法公布後の3月下旬から4月上旬にかけて、府県の国税領収責任者である収税長が大蔵省に集められ、収税長会議が開催された。ここでは松方大蔵大臣の鹿鳴館における収税演説に触れながら、収税長会議の目的が同年5月5日公布の所得税法施行細則の議定にあり、同細則が税務当局の調査よりも優越する調査委員会の調査権限を規定したこと、および会同した収税長の多くが明治17年創設時からの初代収税長で占められ、初年度所得税執行体制の構築はこうした税務行政の熟練者により推し進められたことなどを明らかにした。

ハ 所得税法マニュアル
明治20年中に民間から出版された所得税法マニュアルは、確認できるものだけでも31冊ある。これらマニュアルは所得税法の公布時、所得税施行細則の公布時、所得金高届期限に間に合わせるなど、それぞれ時宜を得た出版であり、マニュアルの内容とともに、所得税法解釈や所得税知識の普及に果たした役割は高く評価できよう。またマニュアルの著者は多くが代言人(弁護士)であり、かつ代言人による所得金高届の代理業務なども出現し、所得税の導入は、税理士発祥史の上でも注目される施策であった。

ニ 所得税調査委員選挙・調査委員会細則の制定
所得税調査委員の選挙や調査委員会の細則は、府県知事が定める規定であった。府県別のこれらの制定は明治20年5月末日から7月半ばにかけて終わり、その後、同年12月中までに順次各府県の所得税調査委員選挙が実施され、調査委員会も開会され、全国的に初年度の所得税執行体制が構築されることになった。
また所得税執行体制の構築は、収税長を中心に、収税部収税属、郡区長・郡区書記などが担い、府県内は勿論、一定地域を単位として、統一的に遂行された。

(2) 東京15区の初年度所得税執行体制

イ 所得税調査委員選挙の実施
明治初期の地方税はすべからく東京府の税制を規範としたが、国税である所得税の導入でも、地方の規範であった。その東京15区に焦点を絞って、所得税導入初年度の執行体制構築を検討し、所得税調査委員選出の基礎である町村選挙人選出システムの「部」が、区会議員選出システムを踏襲したものであったことを明確にした。

ロ 町村選挙人と所得税調査委員
所得税調査委員と区会議員との兼職割合が極めて高いことが判明したが、これは選出システムがほぼ同様なことから生じる必然的な結果であった。また当該期の区会議員や府会議員などの社会的活動者は、資格要件が地租であったためすべて地主で占められたが、所得税を資格要件とする所得税調査委員選挙では、非地主も多数選出されることになった。所得税調査委員選挙には、非地主にも所得税調査というかたちの社会的活動に参加する機会を拡げる意義がみとめられた。

ハ 所得税執行の様相
所得税調査委員選挙システムも含め導入初年度の東京府所得税執行体制の構築を主導したのは、初代収税長田中正道であった。東京府の執行体制の構築は全国の「枢機」という規範の位置にあった。したがって明治20年12月における東京府の所得税調査委員選挙および調査委員会開会をもって、全国的な執行体制の構築は完了したといえる。
また郡区長が行う下調べ調査とは、所得金高届の更正事務が中心を占めたことも明らかとなった。

(3) 東京市の導入初期所得税執行体制

イ 所得税執行体制の沿革
明治20年から同31年までの初期執行体制下では、明治22年の市制町村制の施行による東京市の誕生(東京15区に市制を施行)、明治23年の直税署直税分署間税署間税分署の創設、明治26年の三多摩東京府編入、同年の収税署発足、明治29年の税務管理局・税務署の発足などがあり、当初定められた郡区長の所得税調査委員選挙事務は手続き的な事務に縮小されたのに対し、東京府知事のもと東京府収税部あるいは直税署などの選挙事務は拡大した。
ここでは、所得税執行体制の変革にともない変容を余儀なくされた所得税事務の変遷をまとめた。

ロ 東京市の所得税位置
所得税導入初期の各年における東京府および東京市の国税・所得税・地租・営業税などの管内徴収額や納税者数などを求めた。
導入当初の所得税は予算の上でも、国税収入全体の上でも小さな規模であった。しかし首都でありかつ巨大都市である東京市においては、所得税導入による増税割合は極めて高かく、また所得税は区部の都市のほうが郡部の農村よりも課税割合が高くなったことから、一般的に、所得税は都市を中心に課税される性格であることが確認できた。

ハ 東京市の所得税構造
所得税納税者の納税額などを知る史料は極めて少ないが、明治24年に発足する東京商業会議所の選挙人資格は、所得税4等級以上であった。東京商業会議所選挙人名簿(『東京市史稿』所収)を整理して、商業・俸給・無職・庶業・金融・工業・雑業別に所得税を分析した。当該期の所得税は都市を中心に課税される性格であったが、その都市で所得税を主体的に支える納税者は商人であったことが明らかにできた。

(4) 東京市の初期所得税調査委員

イ 所得税調査委員の選挙
初期所得税執行体制下の東京市では計6回の所得税調査委員の定期改選が実施された。市制町村制施行時の第2回からは、町村選挙人に区を単位とする定員制が採用される予定であったが、東京市は市制施行の準備中だったため、初回と同様に行われた。町村選挙人の定員制は第3回選挙から実施された。そして第3回からは、選挙は数区ごとのブロック制を採用し、統一的に実施されるようになった。
定期改選と欠員補充のための選挙結果を精査し、当選者の悉皆的な掌握に努めた。

ロ 所得税調査委員の一覧
東京市の初期所得税調査委員186人について、初回当選年、当選回数、氏名、営業、所得等級、地価、区会議員兼職有無などを調べ上げ、一覧表にして明示した。

ハ 所得税調査委員の特色
東京市の初期所得税調査委員の特色は、任期の比較的長期におよぶ熟練者が多く、所得規模では所得者中層に属し、土地所有も大規模で、営業では老舗や江戸時代以来の家業に従事する商人で、自営業の取引慣行や維新後に台頭する銀行などの新興営業にも通じ、同業団体の組合長などを務めることで同業者の指導者的な存在でもあり、かつ区民の代表として区会議員を兼ねるという、多面的な要素をあわせもつ所得税調査委員像が結ばれることにあった。

3 結論

 明治23年7月、全国いっせいに行われた第1回衆議院議員選挙では300人が当選し、地租および所得税の直接国税15円以上を選挙の納税要件としたところから、非地主にも帝国議会議員となれる可能性が拓かれた。
明治20年から始まる所得税調査委員選挙は、当初全国560郡区を対象とし、仮に定員3人を適用すれば、全国で1680人、以降2年ごとにその半数800人をこえる所得税調査委員が選ばれる計算となる。所得税調査委員選挙は全国的な選挙規模でも、社会的な活動範囲を拡げた意味でも、帝国議会衆議院議員選挙の先駆けとなった意義をみとめることができる。
首都であり巨大都市でもある東京市の東京府全体に占める所得税規模などを分析した結果、所得税は都市を中心に課税される性格であることが一般化できた。その都市で、所得税を主体的に支える納税者は商人であったことも明らかにできた。
東京市の区会議員は府税である家屋税を議定するため、区内の家屋所有者を調査した。所得税調査委員は所得税納税者の代表として、所得税納税者の所得を調査し、所得税を議定する使命があった。所得税調査委員に区内の家屋所有者を調査し、家屋税を議定した経験のある区会議員をできるだけ多く確保することは、所得税議定の基礎である調査力を高め、所得税の正確な執行に寄与する。所得税調査委員経験者をできるだけ多く確保する意図は、所得税調査委員を選出するシステムに区会議員選出と同じシステムを採用することで、実現の可能性は高まる。
所得税調査委員に区会議員との兼職者が多数を占める理由は、選出システムの同一性による結果であるが、それはまた税務当局による政策的な選択の結果でもあったのである。
東京市の所得税調査委員は営業的にも社会的にも都市名望家であり、地域では「名誉職」に位置づけられている。所得税調査委員には調査委員会における調査・議定という社会的活動で知り得た納税者の資産や所得に関する事項は、外部に漏らしてはならない守秘義務が強く求められた。
所得税調査委員が名誉職に位置づけられる理由は、都市名望家による個人の所得調査という守秘的で公職性の高い社会的活動に対して、社会的地位の高さを示す称号を付与することにより、その職責を称えたからであるといえよう。

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