牛米 努

税務大学校
租税史料館研究調査員


要約

 明治29年に導入された営業税は、その執行に専門的な税務の知識を要する税であり、それが税務管理局官制(税務署)成立を必然化したとされている。確かに、営業税の課税標準は複数の外形標準を組み合わせる複雑なもので、その執行にあたっては全国的な反対運動も惹起した。しかし税務管理局官制は府県収税本部を税務管理局に再編することを主眼にしており、税務署は収税署を改称したに過ぎない。さらに営業税と税務管理局官制は成立時期にズレがあり、必ずしも営業税の執行が税務管理局官制を「必然化」したわけではなかった。営業税と税務管理局官制の関係は、帝国議会開設前後の税制改正と府県収税部機構の改革の検討から導き出されるものであり、従来の研究史の不充分性を指摘せざるを得ない。
帝国議会開設前後、地租軽減および政費節減をめぐる世論のもとで、税制と徴収機構の改革が模索される。地租軽減問題の過程で、代替財源としての営業税の導入や地租賦課法の改正など直接税の見直しが進められるようになる。明治10年代の間接税を中心とする増税策は犯則取締などを強化させ、租税検査機能を中心とする府県収税部機構を整備したが、これが間税は「苛酷」であるとの批判を招いた。地租軽減問題のなかで直接税の見直しが進められるのは、間接税のこうした現状があったためである。
地租軽減問題は、代替財源も含めた直接税の見直しを進めるとともに、政費節減による徴収機構の再編をもたらした。そのなかで大蔵省は、地方間税局構想から地方税務局構想へと、間税部門だけでなく直間税両部門の直轄化を志向することになる。そして徴収機構の再編は、明治26年の収税署体制に帰結する。大蔵省の地方税務局構想は実現しなかったが、直税部門の府県移管論を退けて、直間税両部門の縮小統合により収税署は成立したのである。明治29年の税務管理局官制は、基本的にはこのときの地方税務局構想の延長上にあり、明治29年改正税法の執行に加えて第二次松方内閣の成立という政治的な要因により実現したのである。

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