佐藤 正男
税務大学校
研究部教授
明治新政府は、税の中心を「年貢」から「地租」に変え、課税方法や負担者などが大きく変わり、地租は租税収入の大部分を占める重要な「税」であった。明治以降社会は大きく変化し、経済も驚異的な発展を遂げ、地価は大幅に上昇した。一方、土地にかかわる税は、地租が固定資産税として生まれ変わった。
明治から昭和前期までの土地にかかわる主な「税」について、制定の目的などを概観するとともに、課税標準となる土地評価の歴史について研究する。
日露戦争の戦費調達策として、明治38年に相続税が創設された。
原案では、土地の評価額を「賃貸価格ノ20倍」を乗じて算出することとなっていたが、時価と比べると高過ぎる等の意見が出され、「時価」に修正された。
明治42年の主税局通牒をみると、当時から詳細な土地の評価基準が作成されていたことがうかがえ、また、大正14年12月に出された相続税事務規定の様式編からは、その当時から路線価方式の考え方があったことが推測される。
昭和25年の相続税法改正により、土地評価は、「取得した時における時価により」評価し、課税時期における「客観的に想定される交換価値」としている。実際には、賃貸価格倍数方式あるいは固定資産税基準額を基礎とする倍率方式で評価していた。しかし、区画整理や戦後の復興で町並みが大きく変化しており、類似地区を比較しようとすると対象を細分化せざるを得ず、賃貸価格倍数方式は使えず、一方の固定資産税評価額は、地方の財政状況によって評価に差があり、土地の評価基準としては使えない。そこで、路線ごとに土地を評価する路線価方式が導入された。
地租導入以来、幾多の歴史的出来事があったが、地租の課税標準となる地価評価方法は、明治43年の宅地賃貸価格導入及び昭和6年の土地賃貸価格導入まで修正はなかった。また、税率は日清、日露戦争の戦費調達のため一時期引き上げた以外はほとんど変わっていない。
一方、第二次世界大戦後は、財産税、富裕税の導入により地価評価の重要性が増すとともに、評価方法が複雑化したので昭和30年に路線価方式を導入し整備した。
税制面においては、地価高騰に伴い地価抑制を目的として譲渡所得の分離課税、土地譲渡益にかかる重課税制度及び地価税などが導入され、一方では、住宅取得促進を目的に住宅取得にかかる減税制度が導入されるなど、土地にかかる「税」に対する考え方に大きな変化が見られる。
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