鈴木 芳行

税務大学校
租税史料館研究調査員


はじめに

 日露戦争は明治三十七年(一九〇四)二月、日本海軍の仁川・旅順作戦にはじまり、約一年半後の三十八年九月、米国においてポーツマス条約が締結され終局を迎えた。
第一次の非常特別税法は、開戦直後の明治三十七年三月三十一日に公布され、即日施行された。同法の目的が戦時財政の財源確保にあったことはいうまでもない。
第一次非常特別税法は、既設税目の税率引上げと新税の創設という二本立てによる増税に特色がある。税率引上げの対象税目には地租、営業税、所得税、酒税、砂糖消費税、醤油税、登録税、取引所税、狩猟免許税、鉱区税、各種輸入税と十一あり、新設税目には石油消費税と毛織物消費税があった。この毛織物消費税が織物消費税の端緒となる。
第二次の非常特別税法は、明治三十八年十二月三十一日に公布された。同法では、第一次非常特別税法の十一税目に売薬営業税と印紙税を加えた十三税目の税率を引上げ、さらに小切手印紙税、砂金採取地税、通行税、繭と米・籾輸入税を新設した。また毛織物消費税の課税範囲を織物一般に拡大、織物消費税と改称し、翌三十八年二月一日から実施した。
非常特別税は平和回復後の翌年末日限りで廃止される約定になっていたが、終戦後の帝国議会で、戦後経営を遂行する不可欠な財源として当分の間継続と変更になり、さらに非常特別税を含む一般税制の整理を意図に開会された明治三十九年税法審査委員会、四十年税法整理案審査会の検討を経て、織物消費税の恒久的な継続が決定、四十三年三月二十五日に織物消費税法が制定され、独立の税目となった。
織物消費税は第二次世界大戦後、シャウプ勧告を受けた税制改正により昭和二十五年(一九五〇)一月一日に廃止されたが、それまで四十五年間にわたり実施され続けたのである。
さて織物消費税が導入された時期、課税の対象となる織物種類には毛織物の外に絹織物、綿織物、絹綿交織物、麻織物、各種交織物、雑織物など多様にあり、しかも製織される個々の製品には極めて多くの種類があった。また在来織物産地には関東地方だけでも足利、真岡、佐野、桐生、伊勢崎、高崎、蕨、浦和、川越、所沢、越生、秩父、飯能、八王子、青梅、村山、都留、甲府など多数あって各地に散在し、一方東京方面では鐘淵紡績株式会社、東京紡績株式会社、富士瓦斯紡績株式会社、東京毛織株式会社など近代的機械制紡績工場や毛織物工場による多様な製品の大量生産があり、さらに東京の市街地などには群小の機業家によるモスリンやセルなど毛織物の小製造が存在した(1)
織物消費税は、織物製造場などから移出される際の引取価格を課税価格とする。しかし織物が取引される場所には製造場などに加えて、市場、仲買商店舗、呉服問屋、織物同業組合など種々あり、また市場内部でも仲買人などによる取引が数多くあった。さらに製造者にも元機・下機関係における下織などの小製造者も多数散在しかつ取引があり、取引慣行や形態も種類が多く複雑を極めていた。これらを一いち納税者とし、一いちの織物について課税事務を執り行うことは、課税の公平、統一的な執行、税務官吏の配置、事務処理能力、徴税費など諸種の面から事実上不可能であることは指摘するまでもないであろう。
多様多種で広汎な存在形態にありかつ税務当局による課税事務にも課題が山積していると予想された織物諸事情を前提に置いて、織物消費税納税システムの四大特色と位置づけられる民間納税施設、課税標準価格、納税事務補助、交付金制度などについて、成立背景や事情などを明らかにするところに、本稿の目的がある。
本稿で考察に用いた主な史料は、租税史料館が保存する例規である。例規は大蔵省や税務監督局など税務署の上部機関が発給する訓令、内訓、達、指令など、税務署が発給する上申、伺など、あるいは税務署間における照会など各種書類の総称であり、税務署の各種事務を細部にわたり規定する行政文書である。一般的に、上部機関あるいは他の税務署が発給する書類は本文が、税務署自体の発給書類は写などが、ともに発給年月日の順番に編綴され簿冊の体裁に整えられ、例規録・例規綴などの名称を付せられて税務署に備え置かれ、税務署職員による税務執行上の根幹資料として重要な役割を果したのである。
租税史料館が多数保存しかつ本稿が利用する例規は、税務署などから移管されたものだが、これら税務署は総て現在の東京国税局と関東信越国税局の管轄に含まれる。したがって本考察の対象地域も、両局が管轄する関東地方が中心となる。


(1) 当該時期の織物の諸事情については、当面、揖西光速編『現代日本産業発達史』XI繊維 上(1964年刊)、日本織物新聞社編『大日本織物二千六百年史』(1940年刊)、大蔵省編『明治大正財政史』第七巻 内国税(下)(1957年刊)などを参照した。

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