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木本 聡子

税務大学校
研究部教授


序論

 近年、金銭以外の形態による給与、即ち、フリンジ・ベネフィット(Fringe Benefits)(1)を勤務の対価として支給する傾向が顕著になってきている。これを我が国の平成3年の従業員1人平均1か月当たりの労働費用(現金給与+フリンジ・ベネフィット)について見ると、労働費用に占めるフリンジ・ベネフィットの割合は、約20%にも上っている。(2) また、その内訳を見ると、法定福利費(健康保険、厚生年金保険、雇用保険、労働者災害補償保険等従業員に対する社会保険料の雇用者負担分)、法定外福利費(住居に関する費用、文化・体育・娯楽に関する費用、食事に関する費用、医療・保険に関する費用等)、退職金等の費用等、非常に多岐に渡っている。これらの費用を昭和60年(1985年)と平成3年(1991年)の6年間で比較してみると、現金給与が1.25倍にとどまっているのに対し、法定福利費は1.40倍、法定外福利費は1.33倍、退職金等の費用は1.31倍となっており、フリンジ・ベネフィットの伸びが現金給与の伸びを上回っている。
労働費用総額に占めるフリンジ・ベネフィットの割合が増大している傾向は、我が国のみならず、米国、イギリス、ドイツ、フランス等の欧米各国でも同様である。(3)
このようなフリンジ・ベネフィットは、次のような従業員、雇用者の理由から、今後ますます増大していくものと考えられる。(4)
まず、従業員側の理由として、1フリンジ・ベネフィットが課税されないか、或いは課税上優遇される(5)ことから、フリンジ・ベネフィットの形態で得る所得部分を増加させることで、従業員の総報酬額に対する平均又は限界税率を軽減できること、2例えば、職場に近接した住宅の提供、会社が提供する車両の利用、大都市において無償で使用できる駐車場の提供、事業所内の食堂施設等は、従業員に対してより快適な環境を与えることとなること、3従業員が所得補償ベネフィット等の社会保障ベネフィットを得られる場合には、給与賃金の代わりにフリンジ・ベネフィットを多く得る傾向にあること、4例えば、社内における役員専用のレストランにおける食事や、運転手付の自動車の利用などによって社内或いは社会的地位を誇示することができることが挙げられる。
次に雇用者側の理由として、1フリンジ・ベネフィットが課税上優遇されている場合には、すべての報酬を現金で支払うよりも少ない支出で同等の税引後報酬を従業員に支払うことができるので、報酬にかかる総費用を削減することができること、2フリンジ・ベネフィットは、例えば、成績優秀又は特定の職種の従業員に対する褒賞の手段として、あるいは新規従業員の確保のために利用できること、3フリンジ・ベネフィットは、従業員を会社に隷属させることができること(これは、従業員研修に力を入れている会社では特に重要な点である。)、4例えば、従業員が従業員持株制度に参加することによって、生産性の向上に刺激が与えられること、5例えば、社有車等は、当然に報酬の一部として提供されるものだという従業員の期待と一致していることが挙げられる。
このようにフリンジ・ベネフィットが増大することにより生じる問題点として、次のようなことが考えられる。(6)
まず第1に課税ベースの浸食の問題がある。フリンジ・ベネフィットが課税上優遇されることにより、課税、ベースは浸食され、仮に報酬が完全に課税される現金給与の形で支払われるか或いはフリンジ・ベネフィットが正規に課税される場合に比較して、税収は減少することとなる。このことは、政府に所得税率を引き上げさせる動機となり、それによって納税者になお一層フリンジ・ベネフィットを利用するインセソティブを与えることとなる。
第2に租税回避の問題がある。課税上優遇されるフリンジ・べネフィットの増大は、納税者に租税回避の機会をより多く与える。雇用者と従業員にフリンジ・ベネフィットを課税当局に報告すべき法的義務がある場合にその報告を怠れば、脱税が可能である。しかし、実際問題として、これらの報告を強制的に要求することは困難であり、そのことによって生じる脱税を防ぐことは、課税当局に膨大な費用を負担させる結果となる。
第3に、公平性の問題が挙げられる。公平性には、同等の担税力を有する納税者は同額の税金を負担すべきであるという水平的公平及び高所得者はより高額の税を負担すべきであるという垂直的公平がある。フリンジ・ベネフィットが課税上優遇されることにより、雇用者から現金で報酬を受け取るよりもフリンジ・ベネフィットで受け取る方が給与所得者に有利に働くことになれば、フリンジ・ベネフィットを享受し易い大企業に勤務する者とそうではない中小企業に勤務する者との間の格差はますます拡大し、水平的公平は阻害される。(7)  また、フリンジ・ベネフィットは一般に高給従業員の方が享受し易いが、これらが適切に課税されないと累進性が損なわれることとなり、垂直的公平は阻害される。
第4に資源配分の問題がある。特定の財やサービスがフリンジ・ベネフィットとして提供される場合には、生産高と価格に影響を与えることになる。即ち、フリンジ・ベネフィットとして典型的に供給される特定の財やサービスに対する課税上の優遇措置は、過剰消費に拍車をかけることとなる。そのような過剰消費は、消費のパターンを歪め、そのような財やサービスの価格は、通常、上昇することとなる。
以上のような問題点があることを考えると、フリンジ・ベネフィットに対して適正な課税を行うことは、今後ますます重要な課題となっていくことと思われる。
そこで、フリンジ・ベネフィットに対してどのような課税を行うのが望ましいのか、課税のあり方を検討するため、本稿では米国のフリンジ・ベネフィットの課税体系を取り上げ分析することとする。米国は、我が国の所得税法第36条と同様、内国歳入法典第61条の一般的な総所得金額の規定においてフリンジ・ベネフィットを含めている こと、また、我が国よりも先んじてフリンジ・ベネフィット課税について見直しを行ったことから、米国におけるフリンジ・ベネフィットの課税体系を考察することは、我が国のフリンジ・ベネフィット課税のあり方を議論していく 上で資するところが大きいものと思われる。
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本稿では、フリンジ・ベネフィット課税のあり方について、米国における取扱いと我が国における取扱いの比較に重点を置き、次のように考察することとした。
第2章において、米国の内国歳入法典におけるフリンジ・ベネフィットの課税根拠規定、1975年から現在に至るまでのフリンジ・ベネフィット課税の変遷及び現行のフリンジ・ベネフィット課税の体系を中心に考察する。
第3章において、我が国の所得税法におけるフリンジ・ベネフィットの課税根拠規定、フリンジ・ベネフィット課税の変遷及び現行のフリンジ・ベネフィット課税の体系を中心に考察する。
第4章において、第2章及び第3章において考察してきたことを参考に、フリンジ・ベネフィット課税のあり方について、若干の提言を行う。

〔注〕

(1) フリンジ・ベネフィットは、租税法上、確固たる定義はないが、一般的には「現金給与以外に、雇用契約又はこれに準ずる関係に基づき、非独立的に提供された人的役務の提供の対価として雇用者から受け取る個人的利益」と考えられ、我が国所得税法第36条においては「経済的利益」と定義付けられている。一般的には社宅の貸与、会社の保養施設、低利の融資、食事の提供、社会保険料の雇用者負担分、年金に関する費用等がフリンジ・ベネフィットに該当すると考えられている。本文に戻る

(2) 平成3年の従業員1人平均1か月当たりの労働費用459,986円のうち、現金給与総額382,564円(構成比83.2%)、現金給与以外の労働費用は77,422円(構成比16.8%)となっている(労働省『平成6年版労働白書』258頁)。本文に戻る

(3) 米国、イギリス、西ドイツ、フランスにおける労働費用総額に占めるフリンジ・べネフィットの割合の変化は以下のとおりである。

国名
1973年 1984年
米国 13.5% 27.3%
イギリス 11.6% 16.9%
西ドイツ 20.0% 22.7%
フランス 28.0% 32.0%

(注) 米国は、1972年と1988年の数値である。

(出典) 米国:1972年は労働省"Handbook of Labor Statistics"

1988年は商務省"Statistical Abstract of the United States"

その他:EC統計局"Labor Cost in Industry"本文に戻る

(4) OECD、The Taxation of Fringe Benefits 1988, at 11-14 本文に戻る

(5) 課税当局が特定のフリンジ・ベネフィットを課税上優遇する理由としては、1フリンジ・ベネフィットの提供が政策目標 と一致している限り、政府はその遂行を促進するために租税の歳出を進んでしようとすること、2例えば、共用の食堂やリクレーション施設等、フリンジ・ベネフィットが従業員の労働条件の一部を構成するとみなされるならば、政府はそのような給付を従業員の課税所得の一部とは見なしにくいこと、3フリンジ・ベネフィットへの課税が多大な行政費用を伴う場合や、 恣意的な方法でしかなしえない場合には、そのようなフリンジ・ベネフィットは課税ベースから除外されることが考えられる(Ibid, at 14)。 本文に戻る

(6) Ibid, at 15-16本文に戻る

(7) 我が国の平成3年の労働費用の各項目について規模間格差を見ると、従業員5,000人以上の規模の企業の金額を100とした場合の従業員30〜99人規模の企業の比率は、現金給与は64.8、法定福利費は72.9であるのに対し、法定外福利費は32.3(内住居に関する費用10.3、医療・保険に関する費用8.4、食事に関する費用33.4、財形奨励金等の費用14.0等)、退職金等の費用は22.6となっており、大企業と中小企業間の格差は歴然としている(労働省『平成6年版 労働白書』259頁)。本文に戻る

(8) 糀光彦「フリンジ・ベネフィット課税の研究−ドイツ、イギリス及びフランスの課税体系との比較を中心としてー」(税務大学校論叢24)は、ヨーロッパ諸国と我が国のフリンジ・ベネフィット課税の比較検討を行っている。本稿は、この論文に引き続いて、米国と我が国のフリンジ・ベネフィット課税の比較検討を行うものである。本文に戻る

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