井上 一郎

租税資料室
研究調査員


まえがき

 昭和63(1988)年は、税痛をじかにともなう税負担の在り方に対し、税痛を軽減してもなお、かつ有効に税収入がえられる消費税の導入がはかられた年であり、シャウプ税制改革以来の税制の大改革が行われた年として、税制史上位置付けられる。
所得税(法)は、それにもかかわらず、全租税(法)体系中、体系の背骨(バックボーン)として重要な税制としての位置は、少しのゆるぎもみせず、むしろ消費税の導入にあたって、所得税の在り方に深い関心がよせられるとともに、税負担の在り方について、国民的な拡がりを持つ効果すらあったのではないかとさえ思われる。
税負担の在り方は、公平でなくてはならぬという命題は、古くからいわれており、今後においても、その真意をめぐって論議されることであろう。その際、所得税は恰好の素材を提供する。これらの面からみても、所得税の租税体系中における位置付がわかろうというものである。
さて、所得税がわが国に導入されて一世紀を経過した。これを記念して、先に、本校研究部の山本洋・織井喜義教授、本多三郎教育官によって「明治前期所得税法令類集」が編纂され、また、本誌20号において、所得税の草創期に関する論考が発表されたことは、未だ記憶に新しいところである。
右のそれらの業績は、たんなる懐古趣味と片付けるには、余りも本旨の理解にうといものといわなければならないであろう。ただ古いものとしてのみでなく、所得税は、その後わが国では恒久税として、明治32年、大正9年、昭和15年、同22年に大きく改正はされたものの、その内容は、課税実体についていえば、経済の発展動向にそくして、所得の意味が深められ、実体と法制上の乖離の調和がはかられ、また課税手続についていえば、その合理化に求められてきたものであって、結局は、所得税は創設以来一貫して存在しつづけており、草創期を知ることは、古くからいいならわされている「温古知新」に通じる。要するに、現行所得税(法)を知る手掛りともなるのである。

 ところで、新税の創設時には、その普及と定着をはかるため、多くの解説書の出現、或いは定着をはかろうとする側からの呼びかけ等については、平成元(1989)年の春から秋へかけての消費税の場合の状況をみれば、一目瞭然であろう。
明治期といえども、現在と、かような状況はあまり変りないものと思われる。すなわち、明治20年3月23日に所得税法が官報に掲載公布されると、4月6日には、牧村謙吉の手によって、「国民必携所得税法註解 完」が、25ページものとして出版された。以後4月中に7冊、5月中に6冊、6月に8冊、7月4冊、8月2冊、同年の11月に1冊、現在までのところ、以上29種類の解説書が知られている。大部分は東京府を出版地とするが、6月に滋賀県、大阪府を出版地とするもの各1冊、7月に徳島、岐阜の各県を出版地とするもの各1冊、11月に新潟県を出版地とするもの1冊というように出版された。
所得税の課税実務が地方庁で行われる建前であったから、出版地の分布も、以上のような状況を呈したものといえようか。

 本稿では、それらの解説書のうち、後掲別表の発行順の(2)、(9)及び(16)の解説書を、逐条解説の形式で、紹介しようと思う。すなわち、
安井講三 所得税法解釈 東京正文堂 明治20年4月6日出版 44頁
今村長善 所得税法詳解 全 大倉孫兵衛発兌 明治20年5月10日 80頁
鍋島成善 実際手続日本所得税法註釈 完 須原鉄二出版者 明治20年6月10日御届 122頁
がそれである。なお、現在までに知られている明治20年所得税法解説書は、次の一覧表のとおりである。本表は、税経通信1989年11月号の「租税史をたずねて」の稿所収に、手を入れたものである。また、明治20年所得税法の立法経過に関し、その動静を一覧表にしてまとめておいた。さらに附録として、最後に『朝野新聞』の社説を掲載しておいたから参考にされればと思う。

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