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     織井 喜義

 税務大学校
前研究部教授
現・神奈川税務署
副署長

   山本 洋

税務大学校
前研究部教授
現・芝税務署
副署長


はじめに

 「所得」の概念を定義づけることは難問とされているが、「所得」という語の生成の由来、また、それが今日的な意味で用いられるようになったのはいつごろのことであろうか。
漢和辞典によれば、「取其所得、以作奔器(「春秋左氏伝」襄公十九年)(1)」、「入佛法賓山、都無所得(「智度論」)(2)」など、「所得」という語の出典は中国古典とされているが、日本の文献にも「此布一匹、取ラセタレバ、男、思ハズナル所得シタリト思ヒテ(「宇治拾遺」)(3) 」、「攝津守ノ富二如カズ、イザヤ、大勢ヲ催シ、カノ宿所二乱入テ所得セント云ヒケレバ(「前太平記」)(4)」というように古くから用いられているという。
しかし、江戸時代以前には、今の所得税に相当する税を課徴しておらず、したがって、「所得」が英語の「INCOME」やドイツ語の「EINKOMMEM」と結びつけられたのは明治初期のことと解してよい。
明治初期における外国租税書の翻訳文献から「lNCOME」あるいは「EINKOMMEM」の邦訳をみると、

「収入」としているもの(明治4年 何礼之訳「英國賦税要覧」、同8年、古賀保高訳「巴華釐亜國税法」)

「家入」としているもの(同5年 立嘉度訳「合衆國収税法」)

「歳入」としているもの(同6年 林正明訳「租税全書」、同15〜19年 大蔵省租税局訳「租税論」)

「所得」としているもの(同7年 福井信編「会計問答一名財政摘要 (5)」、同10年 山崎直胤訳「租税説」)

「入額」としているもの(同11年 米田精訳「佛國収税法」)

というようにまちまちであり、この時期には「所得」という用語の統一はとれていない。

 そこで、「所得」という語が用いられている文献を遡ると、明治7年家禄税施行の際に、「内務大蔵両省ヨリ地方官へ内達(7年4月日闕)」のうち「禄税ノ儀ハ所有物又ハ所得物等ノ儀ヲ以テ課賦候譯二無之全ク世襲軍職ヲ被解候上ハ固ヨリ軍費ヲ資クヘキ義務アルヲ被賦侯儀ニテ…」と課税の趣旨を明らかにしたものがある。これは、内務省が左院に「家禄賦課ノ方法ハ所有物税又ハ収得物税等卜一般ノ賦税二有之侯哉」と伺を出し、左院の指令「元来家禄ヲ賜ル者ハ必ス軍職ヲ帯フ巳二軍職ヲ解レ侯上ハ禄ヲ賜ル者亦軍費ヲ資クヘキノ義務アリ佛テ陸海軍費ノ為課税候儀ニテ他所有物又ハ収得税等トハ自カラ相異り侯事」に基づいたものである。(6)ここでは「収得」と「所得」が混同された形で用いられている。
また、明治11年7月22日地方税規則を定めた際の「地方官会議議長伊藤博文上申」(7) (11年4月15日) には、「府県税二至テハ明治8年2月二雑税ヲ廃シ其取締ニ係り差向キ収税ヲ要スル者ハ府県限徴収セシム、同年9月国税以テ国費二供シ府県税以テ府県費二供スルノ公令アリ、是二於テ各府県旨ヲ承ケテ処分スル同一ナラス、或ハ旧賦金雑税ヲ拡充シテ百余種二至ルアリ、或ハ専ラ警察取締ノ税二止メ一、二十種二過キサルアリ、或ハ私二所得税ノ類ヲ設ケテ各戸ノ入額二課スルアリ」とあり、ここでは「所得税」という語が出てくるが、今日の「所得」を意味する語は「入額」と表現されている。(句読点は筆者)
法律の学語については、「現時用いている法律学の用語は、多くはその源を西洋の学語に発しておって、固有の邦語または漢語に基づいたものは極めて少ないから、洋学の渡来以後、これを翻訳して我邦の学語を鋳造するには、西学輸入の率先者たる諸先輩の骨折はなかなか大したものであった。……蘭学者がその始め蘭書を翻訳したときの困難は勿論非常なものであったが、明治の初年における法政学者が、始めて法政の学語を作った苦心も、また一通りではなかった。」(8)ということであるが、「所得」という用語統一のいきさつは解明できるのであろうか。
このような歴史への興味を含めて、昭和62年が我が国の所得税法施行以来100年目に当たることから、創成期の所得税制に関しての研究会が、税務大学校租税資料室井上一郎氏の指導のもとに十数回開かれたのである。
本稿はそのまとめ、あるいほ、その延長線に立って考察を展開したものであり、第1章においては、所得税法創設の趣旨、理由及びその準備過程などについて今日までに研究されているところを明らかにするため、先学の業績をその著作により紹介して、これに若干の考察を加えることとし、第2章では、「元老院会議筆記」(9)を基に、所得税法の成立に携わった人々が時代をどう捉え、いかなる考え方で所得税法案の審議に当たったかを、その審議過程を再現することにより眺めることとし、第3章では、これらの人々の考え方の拠り所となった外国の税制や思想が、日本の所得税法にどのように影響しているかを探ることとしている。そして、第4章は趣を変えて、所得税制の運営、執行をめぐって、その考え方や問題を検証、整理しようとするものであり、全体としては、創成期の所得税制に込められた思想、あるいは、当時の人々の租税観などを浮き彫りにしたいと考えたものである。
折しも、昭和の時代が終焉を告げ、新元号が平成となり、歴史の時代評価の区切りとなった。本年は新税制消費税の導入の年でもある。現代税制といえども歴史に培われた古い税制の連続線上にあり、時には振り返ってみなければならないものであり、その整理も必要である。本稿が税制史整理の一端を担えれば幸いである。(平成元年1月8日)

〔注]

(1)  諸橋轍次「大漢和辞典」巻5 昭和32年 大修館書店
服部宇之吉、小柳司気太共著「修訂増補 詳解漢和大辞典」 昭和27年 富山房
大槻文彦「大言海」 昭和8年 富山房
「春秋左氏伝」は「春秋」(孔子が整理したといわれている。)の注釈書。左丘明の作と伝えられている。30巻。本文に戻る

(2) 前掲「大漢和辞典」、「大言海」。「大言海」は「一入佛法賓山、都無所得(大智度論)」本文に戻る

(3) 前掲「大言海」本文に戻る

(4) 前掲「大言海」本文に戻る

(5) 大淵利男「明治期西欧財政学摂取史−わが国財政学前史に関する一研究−」 八千代出版
「凡ソ公費ハ尽ク国内人民ヨリ収徴スルモノト雖トモ之ヲ収徴スルノ方法二アリ一ハ即チ其国内二於テ一額ノ土地ヲ国王自ラ所有シ其所得ヲ以テ支給スル是ナリーハ人民所得ノ利足二就テ取立ル是ナリ之ヲ方今各国二於ル所ノ普通ノ方法ナリトス尚オ此他益金卜云フ一種特別ノ納法アリ此益金モ亦先二説ケル公領ヨリ取立ルモアリ又時トシテハ人民所得ノ利足二就テ取立ルモアリ」 268頁(「会計問答」7丁)
「第二条政府其国民ヨリ取立ル税ハ其財本ヲ損ハシム可カラス須ラク其所得ノ利益ヨリ取立ヘキヲ要ス」 272頁(「会計問答」経済学二於ケル亦五条ノ条款)本文に戻る

(6) 「法規分類大全 租税門 雑税 禄税」 24頁本文に戻る

(7) 「法規分類大全 租税門 地方税」 39頁本文に戻る

(8) 穂積陳重「法窓夜話」 岩波書店170頁本文に戻る

(9) 国立公文書館所蔵「元老院会議筆記」534号議案本文に戻る

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