(1)


砺波 久幸

大阪国税局
徴収部管理課


はじめに

1 生命保険制度の意義

 保険の制度は、偶然の出来事によって、経済生活の均衡が破壊され、資力が弱化した場合に、一定の経済生活を維持しようとするものであり、私有財産制と個人主義を基調とする経済社会においては、公的な救済制度(災害救助・生活保護等)や各種の社会保障制度と並んで文化的生活を保障する機能を果している(1)
その中で、生命保険は、人の死亡又は一定時期までの生存に際して、保険会社が一定の金額(保険金)を支払うものであるが、特に、死亡保険の場合には、人の死亡によって相続人及び利害関係人の経済生活が破壊してしまう可能性が高いことから、個々人の経済的不安定を保険会社が介在することによってその危険を分散し、損失をカバーするものである(2)

2 生命保険の二面性

 生命保険は、保険契約者自身の老後又は死後における被扶養者の生活資力を確保するという「生活保障」としての側面を有するとともに、他方では、生命保険より受ける経済的利益が財産的価値のあるところから(3)、保険契約者等の「責任財産」としての側面を有している。「生活保障的側面」からみれば、保険契約者等の債権者が生命保険より受ける経済的利益に対して干渉することは、政策的には必ずしも好ましいとはいえないのに対し、「責任財産的側面」からみれば、保険契約者等の債権者がそれに対して一切干渉し得ないとすることも必ずしも妥当ではない。
このように、生命保険は、「生活保障的側面」と「責任財産的側面」という二面性を有しており、このことから、保険契約者等の保護とそれらの者の債権者の保護をいかに調和させるかは、生命保険制度における宿命的課題であるといわれている(4)

3 生命保険の現代的役割

 最近の我が国における生命保険は、契約数で22,645万件、契約金額で242兆5,514億円という膨大なものとなっている。
ところで、今日においては、生命保険より受ける経済的利益が財産価値を有していることに着目して、生命保険を貯蓄又は投資等の目的とし、また、資金を調達する手段として担保又は信用保証等の目的で利用されるケースが多くなってきており、生括資力を確保するという生命保険の本来的特質が希薄になってきている(5)

(1) 貯蓄・投資的役割
生命保険契約において、保険契約者は、一定期間ごとに保険会社に対して、保険料を支払うことを義務付けられている(商法673条)。払い込まれた保険料は、保険会社において積立てられ、保険事故が発生した場合の保険金の支払又は生命保険契約者が解約した場合の解約返戻金の支払等に充てられる。保険契約者は少額の保険料を継続して払い込み、その結果、保険金又は解約返戻金を受け取ることができることから、生命保険が貯蓄と類似の性質を有していると考えられる(6)
また、企業においては、給与対策及び福利厚生のため、会社役員又は従業員等を被保険者として生命保険契約を締結し、それらの者の死亡又は退職の際に、企業が支払うべき弔慰金又は退職金を確保し、また、企業経営に必要な人物を失うことによって受ける企業の損失をカバーするために生命保険が利用されている(7)。これは、企業における人材の確保及び従業員の定着を図ることを目的としており、生命保険が一種の投資的機能を果たしているということができる。

(2) 担保・信用保証的役割
保険約款において、保険契約者は、生命保険の現在価値すなわち生命保険契約を解約すれば得られるであろう解約返戻金の範囲内で、いつでも自由に保険会社から貸付けを受けることができ(8)、それを自己又は事業のための資金に運用することが可能である。また、資金の調達又は債務の支払等のため、既に締結している生命保険契約に質権を設定し(9)、あるいは、債権者を保険金受取人として指定することも行われている(10)。このように、現在の経済社会では、生命保険の有する経済的利益は、担保の目的とされ、また、取引の借用保証の手段として利用されている(11)

4 問題の所在

 現在の経済社会において、生命保険が果たしている役割を考えると、当然の帰結として、生命保険より受ける経済的利益が強制執行(滞納処分)の対象ともなり得るということができるのであるが、我が国においては、現行法上、生命保険契約に基づく権利の処分・差押えについて何ら特別の措置が講じられておらず、解釈論として解決しなければならない問題となっている(12)
このような状況下において、徴収実務上、生命保険契約に基づく権利に対して滞納処分を行った事例は、私の経験からしてあまり多く行われていないように思われる。この主な原田は、1生命保険契約が通常長期にわたるものであることから、被差押債権(条件付権利)が具体化して現実に取り立てることができるのはいつであるか予測がつかず、長期になる場合には、国税債権の早期確保を目的とする滞納処分の趣旨に合わないこと、2生命保険本来の目的である「生活保障的側面」が重視され、「責任財産的側面」がやや軽視されていること、などが考えられる。しかし、生命保険より受ける経済的利益が必ずしも少額に止まらず(13)、また、現在の経済社会における生命保険が「責任財産的側面」の色彩が強くなってきていることを考えれば、滞納処分においても、より積極的に生命保険を処分対象財産として取り込んでいく必要性があると考えられる。
本稿では、生命保険契約に基づく権利関係を明らかにし、生命保険より受ける経済的利益のうち、生命保険金請求権及び解約返戻金請求権を取り上げ、現行法上、どのような徴収手段が講じられるか考察を試みようとするものであるが、特に、生命保険金請求権については、他人のためにする生命保険契約において、保険契約者が滞納者である場合の徴収手段、解約返戻金請求権については、被差押債権を取り立てるため、解約返戻金請求権を具体化する方法について検討し、滞納処分実務の手掛りとするものである。
また、現行法上では、生命保険の有する現在価値からの徴収手段については、法律論的にも解釈論的にも問題のあるところから、何らの徴収手段が講じられず、不合理な結果を招くこととなっているため、その是正につき、生命保険の有する「生活保障的側面」と「責任財産的側面」の二面性を考慮したところの政策的な判断の必要性を提言するものである。


(1) 大森忠夫「保険法」一貫。本文に戻る

(2) 水野忠恒「生命保険税制の理論的問題(上)ジュリスト753号110頁。本文に戻る

(3) 後述するような生命保険金請求権及び解約返戻金請求権のほか、積立金払戻請求権、契約者配当請求権(相互保険会社の場合には、社員配当請求権)及び保険契約者貸付請求権などがある。なお、各権利の説明については、山下孝之「生命保険の財産法的側面(4)」NBL,257号43頁以下が詳細である。本文に戻る

(4)  大森忠夫「生命保険契約に基づく強制執行」生命保険契約法の諸問題(以下「諸問題」という。)」106頁。本文に戻る

(5) 昭和57年3月31日現在の保有契約高で、個人、個人年金及び団体保険の死亡保険の普通死亡及びその他の条件付死亡と生存保障の満期、生存給付その他の合計額である(昭和57年度「保険年鑑(生命保険協会・日本損害保険協会共編)」)。本文に戻る

(6) 保険料を一時に全額を支払って、短期(通常5年)の生命保険契約を締結し、満期時には、支払った保険料と積立配当金(利息)の合計額又は契約期間内に被保険者が死亡したときは、満期時と同額の保険金を受け取ることができるとするものがある。この種の生命保険(通常「貯蓄型生命保険」という。)は、5年満期の定期預金と実質的には同様のものということができる。本文に戻る

(7) いわゆる「事業保険」がこれである。本文に戻る

(8) 保険契約者貸付(証券貸付)と呼ばれるもので、詳細については後述(第3章第2節)する。本文に戻る

(9) 生命保険契約に基づく権利の質権設定については、糸川厚生「生命保険と担保」別冊NBL.10号担保法の現代的諸問題165頁以下が詳細である。本文に戻る

(10) 長崎地裁佐世保支部昭45・10・26判決(訟務月報17巻2号270頁)の事例は、保険契約者(債務者)の債権者を保険金受取人として指定した生命保険契約である。本文に戻る

(11) 例えば、住宅ローンの貸付けに際して、ローン借入者の死亡によりローンの返済が不能となる場合に備えて締結する団体信用生命保険はその典型である。また、最近では、金融業者や信販業者が、債権回収の手段として団体信用生命保険に目を付け、小口(10万円から20万円)の生命保険契約数が激増していると〔いわれる(昭58・11・6「日本経済新聞」朝刊)。本文に戻る

(12) 大森忠夫・前掲論文「諸問題」107頁、山下孝之「生命保険金請求権の処分と差押」ジュリスト753号103頁。本文に戻る

(13) 保険金はいうまでもなく、解約返戻金も契約年数が相当経過しているものであれば金銭的価値は高い。本文に戻る

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。

論叢本文(PDF)・・・・・・2.27MB