多仁 照廣

租税資料室


はじめに

 『税務大学校論叢』13号において、拙稿「江戸幕府出羽国寛文検地條目について」として、山形県西村山郡西川町入間(いりま)の入間清右衛門家旧蔵史料の一部を紹介した。もっとも、13号において既述したように、寛文検地条目を含む、昭和53・54年度租税資料室受贈の入間文書は、入間家より故紙として売却され、それが米沢市の酒造家であった浜田宏輔氏の手を経て、租税資料室に寄贈されたものであった。この浜田氏よりの史料寄贈と、前記の史料紹介がきっかけになり、御当主の入間幸補氏の御希望によって、昭和55年6月、入間家に残された史料を、租税資料室が一括して受け入れることとなった。租税資料室では、7月下旬より約1ケ月を費し、中央大学国史学専攻の学生諸君の協力を得て、入間文書の整理に着手し、慶長8年の最上家親知行宛行状を含む約3000点の文書を整理して資料受入台帳に登載した。昭和53・54年度受け入れ分は、昭和56年3月発行の『租税資料目録』第3集に収録され、今度の受け入れ分約3000点については、昭和57年3月発行の『租税資料目録』第4集と、第5集(未刊)に掲載して、広く好学の徒に利用の便を供する事が計画されている。入間文書の全貌については、上記の『租税資料目録』に期待されたい。
拙稿においては、史料を寄贈して下さった入間家や浜田家、ならびに史料輸送と調査などの労をとって下さった山形税務署と寒河江税務署の御好意に報い、また、地元の西川町の歴史研究の一助とするために、租税資料室の租税史研究の一端として、前号に引き続いて入間文書中より史料紹介を行いたい。
さて、拙稿においては、寛政7年正月14日「(佐藤常右衛門)書残」(税大租税資料室昭53−仙台−232)を取り上げる。この史料は、入間村名主であった佐藤(入間)常右衛門が、自身が経験した村の出来事と、その事に対する処し方を、子孫へ参考のために書き残したものであり、「他家へは見せ申間敷」性格の文書である。作者の常右衛門自身が文末で断っているように、なかなか難読の文章であるが、全文を紹介し、併せて、その文中に見える、宝暦−天明期における幕府の年貢増徴政策に対する名主の対応の仕方について、若干の指摘をして置きたい。

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