井上 文
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

近年、消費税の不正還付事案など、課税調査中に財産が散逸され、税額が確定した時点では、既に滞納処分を執行する財産がなくなっている事案が散見されている。そこで、本研究では租税債権の保全における問題点について、現行制度の制定経緯と諸外国の類似制度を考察し、対応策を示して今後の法改正の一助となることをその目的とする。

2 研究の概要

(1)租税債権の保全措置

租税債権の保全措置は、通則法及び徴収法に規定されている。なお、滞納整理の現場において「繰上請求」は頻繁に適用されているが、その余については、後述する理由から適用事例は僅かである。

イ 保全差押え

徴収法159条の保全差押えは、民事執行・民事保全法制において確定判決等の債務名義を得るまでに行う強制執行のための仮差押え(民保20)に類似する制度とされる。

(イ) 保全差押えの犯則調査対象要件

納税義務があると認められる者が不正に国税を免れ、又は国税の還付を受けたことの嫌疑に基づき、通則法11章(犯則事件の調査及び処分)又は刑事訴訟法の規定により調査手続等を受けた場合をその適用要件とする(犯則調査対象要件)。なお、通則法11章の対象となるのは、狭義の租税犯とされ、各税法に規定される、ほ脱犯、受還付犯、無申告ほ脱犯等である。

(ロ) 保全差押えの対象となる国税(法定申告期限後・「確定」は特定の手続による)

狭義の租税犯は、いずれも「法定申告期限後」に成立すると解されるため、法定申告期限後の国税が対象となるが、その確定は特定の手続によるものに限定され、申告、更正又は決定のほか、源泉徴収等による国税(税通2二)の納税告知を含む。したがって、賦課課税方式により確定する加算税はその対象となる一方、いわゆる自動確定方式による延滞税及び利子税は、その対象とならない。

(ハ) 保全差押えの手続とその効果

対象税額は、確定前に、「確定をすると見込まれる税額のうち」必要と認められる金額(保全差押金額)であるが、その判断は容易でなく、実務においては、複雑な取引の解明及び証拠の収集など、犯則調査の進捗により、複数回に渡り保全差押金額が決定されている。
 手続とその効果は、民事保全法に類似した規定が多く、税額が確定する前は保全財産の換価が制限され、納税者に通知をした日から1年を経過した日までに税額が確定しない場合は保全措置が解除される。また、確定した税額が保全差押金額に満たない場合で保全差押えにより納税者等が損害を受けたとき、国は無過失賠償責任を負う。

ロ 繰上請求

通則法38条1項の繰上請求は、確定後の租税債権を対象とする。

(イ) 繰上請求の客観的要件

納税者の破産手続開始決定、納税管理人を定めない個人・法人納税者の出国等、滞納処分の対象となる財産の散逸、滞納処分自体が不可能となり得る場合のほか、ほ脱行為又は滞納処分免脱行為の存在など、いずれも外形的事実によって、ある程度、徴収できないことが客観性を伴って明らかにされたものが客観的要件とされている(税通38@各号)。なお、これに仮装、隠ぺいにより重加算税を賦課されたときを含むとする見解もある。

(ロ) 繰上請求の具体的要件とその効果

具体的要件は納税者の資力不足により納期限までに完納されないと認められる場合であり、その効果として、繰上請求書により日時をもって指定した納期限までに完納されないときは直ちに滞納処分をすることができる。

ハ 繰上保全差押え

通則法38条3項の繰上保全差押えは、法定申告期限前の租税債権を対象とする。

(イ) 繰上保全差押えの要件

客観的要件は、通則法38条1項の繰上請求と同様であり、具体的要件は、納税義務の成立した国税等について、確定後にはその「徴収を確保することができないと認められる」と規定するところ、実質的には、繰上保全差押えと繰上請求の要件は、対象となる国税を除けば、同じであると解される。

(ロ) 繰上保全差押えの対象となる国税(法定申告期限前)

「法定申告期限前に、その確定すると見込まれる」国税の全部又は一部を対象とする旨規定され、基本通達も対象国税につき法定申告期限前としており(通基通38-4)、一般的にも、繰上保全差押えは課税権行使ができない時期である法定申告期限前等においてするのに対し、保全差押えは法定申告期限後等においてすることから、両者は重なり合うことはないと説明される。
 また、「納税義務の成立した」国税として、所得税及び法人税は、基本的に課税期間の終了後(税通15A一、三)、相続税及び贈与税は、財産の取得後(税通15A四、五)をその対象とする(税通38B一)。
 一方、消費税は、課税資産の譲渡等若しくは特定課税仕入れをした時等に成立するが(税通15A七)、課税期間内の課税仕入れであれば、売上げに対応するか否にかかわらず仕入税額控除の対象となること等から、課税期間経過後がその対象となりうる(税通38B二、三)。
 なお、加算税については、法定申告期限経過の時に成立する(税通15A十四)ことからその対象とならず、自動確定の租税である所得税予定納税(税通15B一)及び源泉所得税(税通15B二)も対象とならず、このうち、源泉所得税については、納税告知の上、直ちに繰上請求を行えばよいとされる。

(ハ) 繰上保全差押えの手続と効果

繰上保全差押えの手続と効果については、保全差押えの規定を準用する(税通38C)。

ニ 共助条約における読み替え後の保全差押え

我が国と諸外国との間において、租税徴収の執行を可能とする税務行政執行共助条約においても、要請国において租税債権が争われているとき等の保全措置として保全共助(共助条約12)が認められており、徴収法159条の保全差押えの規定が読み替えて適用されている。

ホ 小括

上記のとおり、保全差押えと繰上保全差押えは、(繰上)保全差押金額のいわば見込みによる決定行為と、それに基づく保全行為とに大別することができる。そして、実質的にほとんど変わりない構造を有する両制度を、徴収法と通則法とに分けて二本建てとして規定しているといえる。
 そのため、保全差押え創設の後に、補充的に創設された繰上保全差押えは、当時、その規定ぶりから通則法ではなく、むしろ徴収法の保全差押えの規定を改正して制定すべきだったとの批判があったが、半世紀以上の時を経てその声は掻き消されている。

(2)保全制度に関する歴史的考察

保全制度はなぜ通則法と徴収法に分かれて規定されているのか、適用事例の極端な少なさは制度設計そのものに起因しているのではないか。かねてからのこの疑問を歴史的考察により明らかにしたい。

イ 旧民事訴訟法の仮差押えの影響

徴収法の保全差押えは、旧民事訴訟法に規定されていた「仮差押え」に準じた制度として設けられた。

(イ) 民事法制における仮差押えについて

仮差押えの制度は、明治24年(1891年)施行の旧民事訴訟法によって我が国に導入され、平成3年(1991年)の民事保全法施行まで実質的な改正がなかったが、民事保全法の制定により、命令手続の適正・迅速化が図られている。

(ロ) 保全差押えと旧民訴の仮差押えの類似性

保全差押えと仮差押えの要件は類似しており、保全差押えにおいて、最終的に更正処分により租税債権が確定したときの効果は、仮差押えにおける保全執行の効力が本執行に移行するそれと似た構造を有している。更に、保全差押えにおける納税者保護規定の多くが、仮差押えにおける債務者保護規定を模したものとなっている。

(ハ) 保全差押えと仮差押えの相違点

民事法制の強制執行は、法秩序の維持という目的をもって私人の権利の実現のために国の機関が力を貸すものである一方、租税の滞納処分は、債権者の立場も兼ねた執行機関が自力執行に基づき自ら強制徴収を行うもので行政処分そのものであるという点が根本的に異なる。
 これにより、保全差押えにおける、事前通知の必要性及び国の無過失賠償責任等について、仮差押えとの相違が生じている。

ロ 保全差押え創設の経緯

保全差押えは、昭和34年(1959年)の徴収法全文改正に際し創設された。

(イ) 保全差押え制度の必要性

かつて租税収入の構成割合は、酒税及び地租が中心であり、保全措置も間接諸税の保全担保制度が唯一のものであったといえるが、終戦後、その割合は大きく変化し、直接税が5割を占めるに至った。
 そのため、直接税の保全措置が検討されるのは自然な流れであったと推測され、加えて、租税優先権の後退に伴う徴収回避行為への対応も、保全差押え創設の必要性を高めた。

(ロ) 租税徴収制度調査会における議論

昭和30年(1955年)に設置された租税徴収制度調査会の答申に基づいて、徴収法の全文改正が立法されたが、保全差押えに関してはこの答申が現行規定を形作ったといえる。上記調査会では、当初、直接税のより広範囲な保全担保制度も視野に入れた説明がされていたが、各委員から、間接税は消費者から先取りしたもので納付しないとある意味横領であるから、保全担保が認められているが、それを直接税にも導入する考えなのか、全国民に根担保の可能性となると話が強くなりすぎる、等の指摘が相次ぎ退けられている。
 また、当初、犯則調査対象要件は例示に過ぎず、調査課及び署の特調事案等も対象と説明されていたが、これも各委員から、抽象的すぎて実際適切に運用される保証はない、条文化も技術的に困難との意見が相次ぎ、更には、裁判所への仮差押え申請により客観性を担保すべきとの意見も出された。激論の末、保全の必要性の認定のみを裁判所にかけると全体の体系がこわれると懸念する三ヶ月幹事を中心に、まずは要件を絞るべきとの意見が大勢を占めていき、犯則調査対象要件を盛り込んだ条文案に落ち着いている。

(ハ) 創設から現在までの法改正

保全差押えは創設から65年間、実質的な改正がなかったが、査察調査期間の長期化を理由に、令和6年度改正で、税額未確定による保全差押え等の解除期限が「6月」から「1年」に延長されている。

ハ 繰上保全差押え創設の経緯

繰上保全差押えは、昭和37年(1962年)の通則法制定に際し設けられた。

(イ) 通則法制定前の徴収法における規定(昭和37年以前)

旧国税徴収法4条ノ1《繰上徴収》にも、現行の繰上請求とほぼ同じ客観的要件を有する規定が存在しており、昭和34年全文改正後の徴収法43条《繰上徴収》に引き継がれたが、この時点では確定した国税(申告・更正後の所得税、法人税等)と、成立しているが確定前の国税(物品に対する内国消費税等)」とを区別せず規定していた。

(ロ) 税制調査会の答申と通則法制定の経緯

納税義務の成立時期と確定方式について、通則法の制定前は解釈論によっており実定法の規定がなかったこともあり、各税の成立時期を明示した通則法が制定されるに至った。
 そして、納税義務の成立時期が明示されたことで、繰上請求とは別に繰上保全差押え(税通38)が創設され、保全差押え(税徴159)の手続規定を準用することで、繰上保全差押金額の仮決定という技術的な問題をクリアし、併せて納税者保護規定の導入を図ったと考えられる。なお、徴収法43条は通則法の施行に伴う整理法で削除された。

(ハ) 通則法基本通達の制定(昭和45年以降)

繰上保全差押えをすることができる終期については何ら定めがなく、制定当時は必ずしも法定申告期限前の国税に限定するものではなかったが、@法定申告期限後はいつでも更正決定等をすることができること、A法定申告期限後にする保全差押えが、犯則調査対象要件という厳しい要件を課していることから、運用に当たって慎重を期すべきとして、昭和45年(1970年)、同法基本通達制定時に、法定申告期限後の繰上保全差押えはできない(通基通38-4)と規程された。
 ところで、通則法制定に際しては、当時の税務当局に対する不信感、税務職員の態度に対する恨みや不満の反映からか、徴税強化であると経済界や税法学会から反対論が出たとされ、同法基本通達制定に際しては慎重にならざるを得なかったのではないかと筆者は推測する。

(3)現行の保全制度における諸問題

国税組織内の税制改正要望を参考に、保全制度の諸問題を整理する。

イ 繰上保全差押えと保全差押えの適用外となる事例

上記(2)ハ(ハ)の通則法基本通達の制定により、繰上保全差押えは、法定申告期限後の国税について行えないこととなり、通則法と徴収法の二本建て規定が鮮明となった。その結果、納税義務の成立から確定までの間に、犯則調査が開始された場合は(税通38@六、税徴159@)、何等かの保全措置が可能であるのに対し、破産手続開始決定、出国等の場合は(税通38@一ないし五)、法定申告期限後から納税義務確定の間のみ、保全差押えの犯則調査対象要件により、保全措置が講じられないという理解し難い状況が生じている。
 つまり、課税調査のみが行われる場合の国税は保全差押えの対象とならず、この場合、税務署長は確定すべき税額について直ちに更正決定等を行い、同時に繰上請求をすべきとされてきたが、現在では、以下の問題点が指摘されている。

ロ 保全制度に影響を及ぼす関係法令の改正

(イ) 税務調査手続(税通74の11《調査の終了の際の手続》D)(平成23年12月改正)

実体法上、法定申告期限から5年を経過するまでは、何度でも再更正ができるが(税通26)、課税調査(実地調査に限る)終了後の再調査については、新たに得られた情報に照らし非違があると認める場合に制限された。そのため、課税調査中に財産を保全しなければならないような事態が生じた場合、繰上請求及び差押処分を前提に、その時点で更正決定等により調査を終了して税額を確定すると、その余の部分の再調査が制限されるとも解されよう。このことを踏まえると、保全差押え制定当時の理由がそのまま当てはまらないとも考えられる。

(ロ) 犯則調査対象期間と課税調査期間の実務上の不一致(規定上は平成22年度改正により解消)

ほ脱犯に対する訴追権は公訴時効期間(刑訴250A)に、「偽りその他不正の行為」に係る更正決定等の課税権は除斥期間(税通70D)に、各々制限が設けられており、現在は共に7年とされ、法規上の責任追及期間の不均衡は解消されている。
 ところが、犯則調査の告発は、各税法(法人税159@等)により「偽りその他不正の行為」がその対象となるものの、実務的には、証拠の収集状況等により、課税調査で7年遡及になっても、その全部が犯則調査の対象となる訳ではない。その場合、犯則調査の対象外の税目あるいは年分の国税は保全差押えができないこととなる。

ハ 消費税不正還付事案への対応

(イ) 我が国の消費税制度

それまで個別消費税しかなかった我が国も、平成元年(1989年)に一般消費税を導入し、仕入税額控除を採用した。そのため、いわゆる輸出取引等は免税とされることから、輸出業者等から恒常的に還付申告が行われることとなった。この仕入税額控除は、控除対象仕入税額を多く計上すれば、納付税額を減額することができ、更には、売上税額より仕入税額を多く計上すれば、税金の還付すら受けられることから、脱税や節税スキームに利用されることがしばしば生じている。

(ロ) 不正還付に対する刑事罰と課税調査

不正に還付を受けた者には、犯則調査により刑事罰(消費税受還付罪(消費税64@二))が科されるほか、課税調査による重加算税等の行政罰が課される。現在、還付保留による還付審査が行われており、必要と認められれば課税調査に移行しているが、近年になり増加した消費税の輸出免税を悪用した不正還付は、相手方が国外事業者で取引事実の確認が困難であることが多く、したがって、消費税不正還付事案に対する課税調査期間は、今後も長期になると想定される。

(ハ) 徴収部における対応と課題

還付審査を経て還付をしても、後日、関連する情報から申告の当否について課税調査で確認するものがある。この場合、徴収部において、支払済還付金等に対して保全措置を行いたいところであるが、犯則調査対象要件を充足せず、保全差押えの対象とならない。一方、そもそも意図的な偽装が明白である事案については、還付金支払の時点で、もはや回収は不可能であるとの指摘もあり、その対応は容易ではない。

(4)保全制度に関する比較法的考察

保全差押えの創設に際して参考にしたドイツ及び戦後の我が国の租税制度に影響を与えたとされる米国との比較法的考察を行う。

イ ドイツ租税法における物的仮差押え

昭和34年(1959年)当時、ドイツのライヒ租税法における物的仮差押えを参考に創設された保全差押えは、多くがドイツのそれと類似している。しかし、ライヒ租税法では、犯則調査対象要件に類似する制限はなく、「利子、加算金、経費」をも対象としていると思われ、緊急を要する場合には、仮差押命令の交付前においても保全措置が認められていた。
 そして、上記の規定は1977年に施行されたドイツ租税通則法の物的仮差押えにその概要を変えることなく引き継がれている。

ロ 米国内国歳入法における繰上査定及び緊急査定

(イ) 納税者による申告と内国歳入庁による査定

我が国の申告納税制度の源流ともされる米国の申告納税制度であるが、納税者による申告書の提出は税額の確定効果を持たない。
 米国の内国歳入法では、申告税額が適正であると認められる場合の略式査定か、税務調査により申告税額が過少であると認められる場合の不足税額査定を経て、初めて徴収手続が可能とされ、不足税額査定に際しては、不足税額通知書が送付されてから原則90日、査定を禁止して納税者の権利を保護している。

(ロ) 繰上査定及び緊急査定

内国歳入法は、上記(イ)の通常の査定とは別の特殊な徴収として、繰上査定及び緊急査定等を規定しており、これらの査定の要件は、@納税者の出国又は逃亡、A納税者による財産の国外持ち出し、隠ぺい、消費、第三者への譲渡、B納税者が支払不能となる、であり我が国における保全措置の要件と類似する。
 そして、繰上・緊急査定においては、事後的に不足税額通知書を送付すれば足り、90日の期間を経ず直ちに査定ができ、通常の滞納処分手続における、査定・督促通知から10日間及び差押予告通知から30日間の差押禁止も適用されず、直ちに差押処分が可能となる。なお、緊急査定では、利息も追及可能である。

(ハ) 我が国の保全制度と米国の繰上・緊急査定における日米比較

米国における通常の滞納処分は、度重なる法改正により納税者への事前通知及び聴聞手続が整備されている点に特徴があり、我が国における実務上の運用及び処分後の不服申立てを中心とする対応とは対照的である。
 繰上・緊急査定に関しても、複数の司法上の争いが契機となり納税者の適正手続を保障する規定が追加的に導入されてきたが、上記(ロ)のとおり事後の通知が許容されており、かつ、差押処分も直ちに行い得ることから、適正手続の保障に関しては、例外的に我が国同様となっているといえよう。また、司法による救済措置に関していえば、米国において繰上・緊急査定及び差押処分の双方につき争い得るとする点、我が国においても保全差押金額決定通知、それに引き続く滞納処分、更には事後になされる更正処分についても争い得る点は同じである。

(5)保全制度の問題及び改正に関する考察

イ 継ぎ目の無い保全制度の実現(繰上保全差押えの適用期間の見直し)

(イ) 問題の所在

納税者につき破産手続開始決定、出国等の客観的要件(税通38@)が生じても、法定申告期限後から納税義務確定の間は、保全差押えによるしかなく、犯則調査対象事案しか保全措置を講じられない。そのため、法定申告期限を経過すると、更正処分等による税額確定を経るしかないが、近年の課税調査の長期化及び終了手続に係る法改正から、財産の保全を視野に、短期間かつ単発で更正処分を行うことは容易でない。

(ロ) 通則法基本通達38条関係4の廃止

上記(2)とおり、昭和34年に保全差押えが、昭和37年の通則法制定に伴い繰上保全差押えが各々創設されたが、昭和45年の通則法基本通達制定により、法定申告期後の繰上保全差押えの制限が明記されている(通基通38-4)。これには、法定申告期限後については、保全差押えの犯則調査対象要件が既に規定されており、それより要件を広げることに慎重に成らざるを得なかった時代背景がある。そのため、現代では、この制定経緯を礎とする通則法基本通達38条関係4を廃止等の上、繰上保全差押えを法定申告期限後も可能とすべきであろう。

ロ 悪質な課税調査対象事案への対応(犯則調査対象要件の見直し)

(イ) 問題の所在

上記(2)ロのとおり、保全差押えの犯則調査対象要件は、裁判所からの許可状を介することによる国税庁の恣意性の排除、言い換えると、納税者の権利保護のために設けられたと解される。
 しかし、現在は昭和30年代と比して、税務行政のガバナンスに係る制度の充実、税務職員のコンプライアンス意識の向上から、より高度な税法の統一解釈や統一的事務運営の確保が可能である。かつ、課税調査対象事案においても、調査期間の長期化を奇貨とした、悪質な納税者による財産の散逸が見られることから、保全差押えの犯則調査対象要件の見直しを検討すべく、以下(ロ)〜(ニ)を提言する。

(ロ) 消費税不正還付事案を保全差押えの対象とする

保全差押えは、直接税の保全を視野に導入されたが、現在、税収に占める割合が最も多いのは消費税であり、消費税の仕入税額控除に係る控除不足額の還付(消費税52)は、納税者の既納付額を超えて還付を受けること等が予定されている。
 したがって、国庫金の詐取ともいえる消費税の仕入税額控除に係る不正還付に対しては厳正に対処すべきところ、その実地調査は年間6,335件だが、刑事告発は年間16件に留まる。よって、優先的に犯則調査対象要件を見直して、支払済還付金額を限度として保全差押金額を見込みで決定する規定を新設(税徴159の2(仮))すべきである。

(ハ) 犯則調査対象事案の犯則調査対象外の国税も保全差押えの対象とする

更正決定等の除斥期間の延長の要件(税通70D)と、ほ脱犯適用の構成要件(法人税159@等)は、「偽りその他不正の行為」と同じ文言であり、これらの各期間は法規上は共に7年であるが、実務上は課税調査で7年遡及になっても、その全部が犯則調査の対象となるわけではない。
 この階差は、ほ脱犯訴追は社会的非難が高く可罰的違法性の大きいものが選定されざるを得ないであろう処理上の問題等により生じていると考えられる。よって、現実的な対応として、徴収法159条1項を改正の上、犯則調査対象事案については、課税調査のみが行われる税目及び年分も、保全差押金額に含めるべきである。

(ニ) 重加算税賦課後の繰上請求事案に対する再調査制限の見直し

上記(ロ)(ハ)のほか、重加算税の賦課要件である「隠ぺい又は仮装行為」(税通68@)が見込まれる事案も保全措置の対象とするのが望ましいが、課税調査の着手時点では調査結果が見通せない場合が多い。
 そのため、課税調査中に隠ぺい又は仮装ありと判断された場合に、財産の散逸のおそれがあるため、一応の証拠に基づく課税処分及び通則法38条1項の繰上請求をした納税者に対しては、終局的な課税処分に向けた調査の続行を可能とし、複数回の更正処分並びにそれに引き続く繰上請求及び差押処分ができるよう、通則法74条の11《調査の終了の際の手続》5項を改正の上、同税目かつ同年分の再調査を許容すべきと考える。

ハ 要件拡大に伴う納税者の権利保護策の再検討

(イ) 適正手続の保障(デュー・プロセス)について

不利益処分の際の事前の通知と弁明等の機会の保障について、国税の滞納処分は原則その適用外(税通74の14@)である。この点、期限の利益を例外的に奪うこととなる保全制度の適用拡大にあたり、今一度検討するに、租税の保全制度に関しては、上記(2)イの仮差押えと同様、「緊急性」が担保されて初めてその効果を見込めるものであること、上記(4)のとおりドイツ及び米国でさえも事後の通知が許容されていること等から、現行規定の手続保障で足りると考える。

(ロ) 司法上の権利救済について

司法上の救済措置についてみるに、(繰上)保全差押金額決定通知書による各保全金額の決定、あるいは繰上請求書の送達を経なければ、滞納処分を行うことはできないところ、上記各通知には行政処分性があり、納税者は争訟が可能であるほか、後続の各滞納処分も争訟が可能である。そしてこれらの争訟によっても原則、各行政処分は執行不停止(税通105@柱書、行訴25@)であるが、不服申立ての間は、差押財産の換価が制限される(税通105@ただし書)。これは言い換えると、差押財産の換価以外の滞納処分つまり、差押処分等を止める術が納税者にはないことを示している。
 この点、適法な滞納処分の取消訴訟と共にされる執行停止の申立てがあるが(行訴25A)、不服申立前置により審査請求を経ないと執行停止の申立てはできない(税通115@本文)。そこで、改正案の一つとして、納税者の期限の利益を例外的に奪うものであることに鑑み、(繰上)保全差押金額決定処分を不服申立前置の例外とすることで(通則法115@三の改正)、同処分の取消訴訟提起と共に、後続の滞納処分の執行停止申立てを可能とする方法が考えられよう。

ニ (繰上)保全差押金額決定に関する考察

(イ) 納税義務の成立と確定について

納税義務は、各税法に定める課税要件が充足することにより成立するが、確定手続を経て具体化される段階的構造を有しており、この成立から確定の間のブランクこそが、租税債権において事前的保全措置を要する理由となっている。ところで、現在の各保全措置は、納税義務の成立及び確定並びに課税方式に基づき各々区分けされているが、これらは、徴税技術上のことであり、必ずしも厳密な区分けではない。

(ロ) 自動確定方式による租税の取扱いについて

自動確定の租税は、当初は保全差押えの対象ではなかった。しかし、源泉所得税の納税告知は徴税確保の観点から保全差押えの対象とされている(税徴159@。なお、創設当時は明記なし。徴基通159-7)。であれば、繰上保全差押えについてもその対象とすべきと考える。
 また、延滞税及び利子税についても、本税に附帯する債務であり単独での保全処分は不可能であること、上記(4)のドイツ及び米国では利息も保全の対象としていることから、保全差押えの対象とすべきである。

(ハ) (繰上)保全差押金額の決定方法について

(繰上)保全差押金額の決定は、いわば暫定的な税額決定である(繰上賦課ではない)。通常、納税義務の確定に関しては、多数の課税要件事実の網羅的で正確な把握ができて初めてその算定が可能となり、記帳・記録の提出、取引の規模に応じた算定期間を要すると解されるが、(繰上)保全差押金額の決定においては、緊急を要し暫定的な税額決定であること(納税義務の確定ではない)から、より簡易な金額決定もやむを得ないと考える。例えば、上記ロ(ロ)の輸出免税を悪用した消費税の不正還付事案の場合、不正の端緒をつかんだ課税仕入れに係る税額だけを保全差押金額とすることも考えられるが、事案によっては、支払済還付金の全額を保全差押金額とすることも許容されよう。

3 結論

我が国の繰上保全差押え及び保全差押えは、通則法基本通達制定から55年を経ても、適用事例が少なく、裁決事例及び訴訟事例も殆どないまま、それ故世間の目に晒されることもなく現在に至っている。本研究は、そのような現状のなか、国税組織内部の税制改正要望を手掛かりに、問題点を明らかにし、議論の下地を作ることを意識した。
 検討の結果、各保全差押えは、民事法及びドイツ租税法の「仮差押え」に準じた制度を目指しながらも、昭和30〜40年代の議論を受けて、@保全差押えの犯則調査対象要件、A客観的要件があっても法定申告期限から納税義務確定の間は保全ができない、といった現在も足枷となっている重大な修正が入り、その後の法改正等によりB要件の細部は必ずしも首尾一貫したものでなく見直すべき事項がある、との問題点が明らかになった。
 本研究は上記の問題点に対し、いくつかの改正案を提示したが、結びに当たっては、まずは典型的な事案を想定し、現実に適用できるよう制度を改正した上で、司法機関及び学会等からの評価と批判を糧に更に検討を重ねるべき、との有力な指摘があった旨を申し添えたい。


目次

項目 ページ
はじめに 24
第1章 租税債権の保全措置 26
第1節 各保全措置の位置づけ 26
1 納期限の到来前における徴収(徴収の繰上) 26
2 租税債権の保全措置 28
第2節 保全差押え 29
1 保全差押えの犯則調査対象要件 29
2 保全差押えの対象となる国税(法定申告期限後・「確定」は特定の手続による) 30
3 保全差押えの手続とその効果 31
4 その他の納税者の権利保護(無過失賠償責任) 33
第3節 繰上請求 34
1 繰上請求の客観的要件 34
2 繰上請求の具体的要件 35
3 繰上請求の手続と効果 36
第4節 繰上保全差押え 36
1 繰上保全差押えの要件 36
2 繰上保全差押えの対象となる国税(法定申告期限前) 37
3 繰上保全差押えの手続と効果 38
第5節 共助条約における読み替え後の保全差押え 39
第6節 小括 40
第2章 保全制度に関する歴史的考察 41
第1節 旧民事訴訟法の仮差押えの影響 41
1 民事法制における仮差押えについて 41
2 旧民事訴訟法から民事保全法へ 42
3 旧民事訴訟法の仮差押えと徴収法の保全差押えとの対比 43
第2節 保全差押え創設の経緯 45
1 保全差押え制度の必要性 45
2 租税徴収制度調査会における議論 46
3 国会での審議内容と改正法の成立 51
4 創設から現在までの法改正 51
第3節 繰上保全差押え創設の経緯 53
1 通則法制定前の徴収法における規定 53
2 税制調査会の答申と通則法制定の経緯 54
3 通則法基本通達の制定 55
第3章 現行の保全制度における諸問題 58
第1節 繰上保全差押えと保全差押えの適用外となる事例 58
1 問題の所在 58
2 繰上保全差押えの適用期間の問題 59
3 保全差押えの犯則調査対象要件の問題 60
第2節 保全制度に影響を及ぼす関係法令の改正 61
1 税務調査の終了の際の手続の改正(平成23年12月改正) 61
2 犯則調査期間と課税調査期間の不一致(平成22年度改正により解消) 63
第3節 消費税不正還付事案の対応 64
1 我が国の消費税制度 64
2 不正還付に対する刑事罰 64
3 行政罰と課税部の課税調査 66
4 徴収部における対応と課題 68
第4章 保全制度に関する比較法的考察 69
第1節 ドイツ租税法における物的仮差押え 69
1 ドイツライヒ租税法378条《物的仮差押え》 69
2 ドイツ租税通則法324条《物的仮差押え》 72
第2節 米国内国歳入法における繰上査定及び緊急査定 72
1 納税者による申告と内国歳入庁による査定 73
2 繰上査定及び緊急査定 75
3 繰上・緊急査定における納税者の権利保護とその導入経緯 77
4 我が国の保全制度と米国の繰上・緊急査定における日米比較 78
第5章 保全制度の問題及び改正に関する考察 80
第1節 継ぎ目の無い保全制度の実現(繰上保全差押えの適用期間の見直し) 80
1 問題の所在 80
2 通則法基本通達38条関係4の廃止 80
第2節 悪質な課税調査対象事案への対応(犯則調査対象要件の見直し) 81
1 問題の所在 81
2 消費税不正還付事案を保全差押えの対象とする 83
3 犯則調査対象事案の犯則調査対象外の国税も保全差押えの対象とする 84
4 重加算税賦課後の繰上請求事案に対する再調査制限の見直し 86
第3節 要件拡大に伴う納税者の権利保護策の再検討 87
1 適正手続の保障(デュー・プロセス)について 87
2 司法上の権利救済について 89
第4節 (繰上)保全差押金額決定に関する考察 91
1 納税義務の成立と確定について 91
2 自動確定による租税の取扱いについて 92
3 (繰上)保全差押金額の決定方法について 95
結びに代えて 98

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