井上 亜己
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

グローバル化の進展とデジタル技術の急速な普及は、国境を越えた租税回避スキームを多様かつ複雑にした。これにより、税収減少や社会的不公平が深刻化しており、税制への信頼維持には適正な対応が不可欠である。
 経済協力開発機構(OECD)は、2015年にBEPSプロジェクトの一環として、義務的開示制度(MDR)の導入に向けた設計の枠組を勧告した。MDRは、租税回避スキームの開発・販売を行うプロモーター及び利用する納税者に、税務当局へスキームに関する情報の報告を求める制度である。
 我が国は現在、MDR の導入の要否を検討する段階にある。本稿は、OECDにおける税の透明性向上及び MDR に関する議論を整理した上で、諸外国の制度と課題を参考に、我が国が導入を検討する際の留意点や論点を明確化し、今後の議論の方向性及び必要な視点を提示することを目的とする。

2 研究の概要

(1)OECDにおける税の透明性とMDRに関する議論の進展

イ コンプライアンス維持戦略の限界と変容

従来、税務当局は、アグレッシブ・タックス・プランニング(ATP)への対策として、税務調査を主体とする戦略を採用してきた。しかし、この戦略はコストや公平性に限界があり、有効な対抗策として、MDRが各国で導入されつつある。OECDは、一連の報告書により、税務仲介者の役割、富裕層の税務リスク及び情報開示の重要性を強調し、税務調査からリスク判定を重視する戦略への転換を示唆した。

ロ BEPSプロジェクト

21世紀初頭には、多国籍企業による国際的な二重非課税が顕在化し、税源浸食と利益移転(BEPS)の問題は、政治的にも重要な議題となった。OECDが、2012年に開始したBEPSプロジェクトは、従来の国際課税原則である二重課税排除から脱却し、新たなルールの策定を目指した。2013年に公表されたBEPS行動計画は、実質性・透明性・予見可能性の三本柱で構成される、包括的なパッケージとして15の行動を示した。
 2015 年の「MDR、行動 12-2015 最終報告書」(MDR 最終報告書)は、ATP への早期対応を可能とする MDR の導入に向けたガイダンスと各国の法体系に則した柔軟な制度設計を勧告している。MDR を導入する目的は、ATP 情報の早期取得、迅速なリスク評価、効果的な法執行、プロモーターや利用者への抑止効果の発揮にある。MDR の制度設計においては、開示義務者、開示基準(ホールマーク)、開示時期、義務内容、開示効果、義務違反に対する規定、情報活用方法が基本要素とされる。他の情報収集手段と比較して、MDR は全ての納税者と第三者を対象とし、スキーム識別番号や顧客リストを活用して、新たなリスク指標を提供する点で優位性を持つ。国際租税スキームや BEPS リスクに対応する開示基準の開発が必要とされるものの、税の透明性向上と ATP 抑止のため、MDR は極めて有効な戦略的手段として位置付けられる。

ハ モデル義務的開示規則と自動的情報交換

OECD は、共通報告基準(CRS)による金融口座情報の自動的情報交 換制度を導入したが、報告逃れや匿名性の高い取決めによる報告の回避が確認された。対抗策として、OECD は、2018 年に CRS 回避取決め等を対象とするモデル義務的開示規則(モデル MDR 規則)を公表し、自動的情報交換の国際的枠組(MDR-MCAA)も整備した。
 OECDのMDRに関する取組は、米英を中心とした既導入国の制度の研究に始まり、BEPSプロジェクトでは各国の知見を集約した勧告の策定を経て、CRS回避への対処を契機としたモデルMDR規則の策定という、一連の進展が見られる。MDR最終報告書とモデルMDR規則は、国際協調の枠組と制度設計のモデルを示すものであり、本稿では、これらを前提とした制度設計図を提示した。

(2)我が国における議論の現状

MDR 最終報告書を受けて、政府税制調査会は、MDR を納税環境整備の一環として位置付け、2015 年から導入の必要性と制度設計について検討している。国内企業の国際競争力維持と適正な課税権確保の両立を前提に、客観的な開示基準の採用、既存制度との整合性確保、国際的な制度との整合性保持を重視する姿勢が示された。加えて、富裕層や多国籍企業による過度なタックス・プランニング対策として、MDR 導入の意義が強調されている。
 自由民主党・公明党税制調査会でも、税制改正大綱において、MDRの導入要否を検討する方針が継続して示された。MDR最終報告書や諸外国の制度運用実態、租税法律主義との関係を考慮し、既存の制度との最適な組み合わせを模索している。産業界からは、日本経済団体連合会と日本貿易会のMDR最終報告書の公開草案に対する意見が把握され、日本税理士会連合会は、2022年の答申において、MDRが我が国の税制及び税務専門家に与える影響を考察している。

(3)諸外国の導入状況と課題

イ 米国

1984年にタックスシェルター対策としてMDRが法制化された後に、対象取引の明確化や納税者への義務拡大、罰則強化を経て、2004年の制度改正により現行の執行体制が整備されている。制度の特徴は、納税者及び「重要なアドバイザー」が開示義務を負い、指定取引や損失取引など5類型が対象とされる。
 運用上の課題として、過剰開示の問題と行政手続法との整合性の問題が把握された。CIC事件連邦最高裁判決を契機に、IRSによる新たな報告対象取引の通知が無効とされ、今後の制度運用への影響が懸念される。

ロ 英国

2004年財政法で租税回避スキームの開示制度(DOTAS)を導入した。プロモーターに一義的な開示義務があり、納税者の義務は限定的である。開示対象の前提条件に「主要利益テスト」(税務上の利益を主目的とした取決めの当否)を採用する。開示後はHMRCがスキーム識別番号を付与し、利用者の確定申告で追跡可能とする。
 欧州連合離脱に伴い、モデルMDR規則を導入した際には、遡及開示の適用期間を巡って事務負担とのバランスが問われた。

ハ 欧州連合(EU)

EUは、2018年にMDR最終報告書等とモデルMDR規則を踏まえ、DAC6と称される開示制度を導入した。制度の特徴は、国境を跨ぐ取決めに限定し、広範なATPを開示対象に取り込み、加盟国間の自動的情報交換の枠組を備える点にある。
 EU及び欧州会計検査院は、租税回避への対策としてMDRの枠組を評価しつつも、加盟国間の法解釈のばらつきや実効性の確保に関して改善を勧告している。実務上は、開示範囲の明確化、事務負担、情報の効果的な活用が課題とされる。

(4)我が国への導入を検討する際の論点

イ 開示対象範囲の明確化

米国の MDR における過剰開示の問題は、IRS が指定する取引に加え、「実質的に同様な」取引にも開示義務を拡大した不明瞭な開示範囲に起因する。このような規定は、義務違反回避のための予防的過剰開示を招き、結果としてリスク判定の遅れや納税者コスト増大を引き起こした。MDR の開示対象範囲は、租税回避を捕捉する「包括性」と、開示義務者にとっての「明確性」の両方を考慮し、その境界を明確に定める必要がある。

ロ 税の透明性向上と基本的権利の保護

EU司法裁判所(CJEU)がDAC6について下した二つの裁決は、税の透明性向上と基本的権利のバランスに関する指針を示す。
 C-694/20判決は、LPPの保護を積極的に認めた一方で、C-623/22判決は、LPPの保護対象を弁護士に限定し、会計士等への拡張を否定した。これは、OECDの厳密なLPPの解釈を踏襲する姿勢を示している。OECDのモデルMDR規則や租税条約にも、LPP保護の理念は反映されており、一貫した取扱いが求められる。我が国では、弁護士法上の守秘義務は存在するが、LPPは一般的に認められておらず、制度設計に際しては、OECDの見解と国内法の整合に留意が必要である。
 C-623/22判決は、制度の適法性を確保するには開示対象や義務の範囲を明確に定義する必要があるとし、DAC6の規定は、法的確実性を満たしていると認めたものの、加盟国間の解釈の差異や複雑さから、欧州会計検査院は、欧州委員会にガイドラインの策定を勧告している。したがって、制度設計の段階から、法令とガイドラインの役割を峻別し、詳細かつ一貫性のある指針を整備することが、実務的な明確性の確保に不可欠である。
 C-694/20判決がLPP保護を重視したのとは対照的に、C-623/22判決は、DAC6の目的の正当性とその手段が適切かつ必要であるかを検討し、比例原則への適合性を認めた。この比例原則に基づく判断基準は、税の透明性向上と個人の基本権保護のバランスを図る上で、我が国にも示唆を与える。開示対象取引の設計に際し、情報の重複や納税者の事務負担の程度を考慮し、OECDが勧告する主要目的テストなどの前提条件の採用を検討することが考えられる。

ハ プロモーターの義務違反に対するペナルティ

MDR最終報告書が勧告する、プロモーターの報酬に比例するペナルティの導入について、先行研究では、独占禁止法の課徴金制度を参考にMDRへの導入可能性を論じる。しかし、その実現には租税回避の定義の法制化が不可欠であり、容易ではないと指摘されている。
 近年の課徴金制度は、不当な利益の剥奪から、制裁としての性格を強めており、MDRの経済的制裁も同様に、不当利得の算定に固執せず、義務の確実な履行に重点を置く必要がある。
 現行税法の罰則では、高額な報酬を得るプロモーターに対する抑止効果が不十分である。MDRに実効性を持たせるには、罰則による予防機能を維持しつつ、プロモーターの義務履行を確保できる水準の経済的制裁が必要であり、金商法の規定を参考に、プロモーターの報酬額に連動する規定と固定額の規定を併用した課徴金制度の設計が考えられる。

ニ 遡及立法と予測可能性

OECDは、限定的遡及効がATPへの対策として有効であると認めており、遡及規定は、EU、英国及び米国の開示制度で導入されている。
 我が国における租税法規の遡及立法について、予測可能性と法的安定性を担保するため、その禁止は憲法84条から導かれる原則とされる。学説では、遡及立法は全面的に否定されておらず、遡及課税を正当化するには、比例原則に基づき、その必要性と納税者の不利益を比較衡量することが不可欠とする見解がある。
 我が国がOECDのモデルMDR規則や諸外国の制度を参考に、遡及効のある開示義務を導入する場合、法施行前の行為に対して報告義務を課すことは、行為者の予測可能性を損なう可能性がある。しかし、上述の見解に立てば、報告義務の必要性・目的とプロモーターが負う罰則・事務負担といった不利益を勘案することで、遡及規定の導入を検討する余地があると考えられる。

ホ 行政手続法における適法性と実効性の両立

米国の CIC 事件判決の差戻し審では、IRS の通知は、プロモーター等に情報開示義務を課し、違反には制裁を伴うため、通達や告示といった簡便な方法ではなく、法律や政令に基づき適正な手続を経る必要があると判示された。一方で、日々進化する租税回避の手法に対応するには、税務当局に迅速かつ柔軟な対応が求められるため、開示対象の基準や範囲を法令で逐一定めることは非現実的である。
 MDRの制度設計は、法的安定性と機動性の両立を図る仕組みが必要であり、具体的には、基本的な枠組を法令で定め、具体的な運用指針や専門的基準は、意見公募手続を経た告示等で補完することが考えられる。これにより、適正な手続を確保した運用が図られる。

3 今後の議論に必要な視点

OECD における MDR の枠組は、2018 年のモデル MDR 規則公表と自動的情報交換の実施へと拡大しているにもかかわらず、国内の議論には十分に反映されていない。MDR の導入を検討する際には、モデル MDR 規則が示す具体的な課題解決策を議論の基盤に加えることが有益である。
 モデル MDR 規則は、国際的な規範として、EU の DAC6 や英国の国内法が採用し、租税回避への国際的な圧力として機能している。我が国がモデルMDR 規則を議論の基盤に加えることは、国際合意に沿ったものであり、検討期間の短縮や執行面での予見可能性を向上させるものと考える。
 しかし、モデル MDR 規則は、報告対象取引の範囲が限定的で、ATP への対抗策としては不十分である。DAC6 は、ATP の特徴を網羅的に捉え、BEPSにも対応しているため、DAC6 の知見を参照することは税務リスク管理の高度化に資すると考える。ただし、モデル MDR 規則と DAC6 を活用する際は、我が国固有のリスク評価を踏まえ、開示範囲と項目の精査、ガイドライン策定の検討が不可欠であると考える。
 本稿で挙げた論点からは、行政手続における適正性確保の重要性を読み取ることができる。開示対象の明確化、基本的権利の尊重、比例原則及び納税者の予見可能性といった基本原則は、制度の有効性と正当性を支える要素である。CJEU が判示した、制度に不可欠な「適切さ」には、これらの基本原則が内包されると考える。MDR は強力な情報収集権限を伴うからこそ、基本原則に配慮し、手続きの適正性を保障する必要がある。
 CRS 回避取引等に関する情報の自動的情報交換への参加の検討は、MDR導入の検討と並行して行う必要がある。参加する場合は、モデル MDR 規則への準拠が必須で、法整備やシステム構築等が不可欠となるためであり、導入後に参加を決めた場合には、追加的な行政コストが生じる可能性がある。


目次

項目 ページ
はじめに 262
第1章 OECDにおける取組の進展 264
第1節 コンプライアンス維持戦略の限界と変容 265
1 諸外国におけるMDR導入の背景 265
2 「税務仲介者の役割に関する研究」 265
3 「富裕層の税務コンプライアンスに関する取組」 267
4 「透明性と情報開示による積極的なタックス・プランニングへの取組」 268
第2節 BEPSプロジェクト 269
1 国際的二重非課税の顕在化 269
2 BEPSプロジェクトの進展 270
3 BEPS行動計画 271
4 BEPS最終報告書の公表と位置付け 273
5 MDR最終報告書の勧告内容 274
第3節 モデル義務的開示規則と自動的情報交換 281
1 共通報告基準(CRS)に基づく金融口座情報の報告回避スキーム 281
2 モデル義務的開示規則の公表 282
3 自動的情報交換(AEOI)の実施枠組 284
第4節 OECDの勧告を反映した制度設計 285
1 OECDにおける制度設計の進展 285
2 制度設計図 286
第2章 我が国における議論の現状 288
1 政府税制調査会 288
2 自由民主党・公明党税制調査会 290
3 産業界の意見 291
4 日本税理士会連合会による検討 292
5 OECDにおける議論の進展との関係 293
第3章 諸外国の導入状況と課題 294
第1節 米国 294
1 制度設計の概要 295
2 米国会計検査院による情報収集プロセスに関する評価 298
3 課題:過剰開示の問題 299
4 課題:報告対象取引の指定と行政手続法(CIC事件判決) 300
第2節 英国 301
1 制度設計の概要 302
2 英国会計検査院による評価 305
3 課題:モデルMDR規則の導入に伴う開示期間の遡及 307
第3節 欧州連合 308
1 制度設計の概要 308
2 EU税制・関税同盟総局によるDACの第二次評価 314
3 欧州会計検査院によるDAC6の評価 315
4 課題:情報の活用を想定したシステムの設計 317
5 課題:弁護士秘匿特権(LPP)の保護と通知義務(CJEU判示) 318
第4章 我が国への導入を検討する際の論点 320
1 開示対象範囲の明確化 320
2 税の透明性向上と基本的権利の保護 320
3 プロモーターの義務違反に対するペナルティ 323
4 遡及立法と予測可能性 326
5 行政手続法における適法性と実効性の両立 327
第5章 今後の議論に必要な視点 329
1 OECDの枠組の拡張と我が国への導入 329
2 モデルMDR規則の限界とDAC6の有効性 330
3 行政手続における適正性の保障 331
4 自動的情報交換(AEOI)への参加の検討 331
結びに代えて 332

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。