福井 智子
税務大学校
研究部教授
将来の資産譲渡価格を事前に合意することは、取引の予測可能性と安定性の確保する観点から意義があるといえる。しかし、この合意価格が法人税法上の「時価」として認められるか明確な基準はない。特に、権利内容が多様で非上場の種類株式は市場価格が形成されにくく、法人税・所得税における時価評価の統一手法が確立されていない。国税庁は限定的ながらも、投資契約に基づく買戻しが行われる種類株式の税務上の取扱いに関する文書回答事例を公表している。
本研究では、当事者が事前に合意した価格が、法人税法上、譲渡時点における時価として認められる要件や論点を整理する。また、法人税法上の時価算定に会社法上の価格決定手続の判断枠組みを援用できるかについて検討する。その上で、取得請求権や取得条項が付された種類株式について、発行会社が定款に基づき取得する際の対価(普通株式または金銭)が、法人税法上の「譲渡時の時価」として認められるかを考察する。
(1)種類株式の概要と価額の算定
種類株式は、資金調達や会社支配における多様なニーズに対応するため、会社法に基づき、剰余金配当や残余財産分配、議決権の範囲、譲渡制限など9つの事項について異なる権利内容とすることが認められた株式である。
代表的な種類株式には、株主が会社に取得を請求できる取得請求権付株式や、一定の事由を条件に会社が取得できる取得条項付株式がある。これらの発行には、対価の内容や数若しくは金額又は算定方法を定款で定める必要がある。実務では、元本償還機能や優先配当機能の付与、IPOをトリガー事由とするなど、多様なバリエーションで利用されており、特にスタートアップでは、残余財産分配権、普通株式を対価とする取得請求権、IPOトリガーの取得条項付普通株式が多く利用されている。
種類株式の評価方法について、法人税法や会計実務に明確な規定はない。しかし、実務上、日本公認会計士協会の研究報告が一定程度参照されている。同協会の研究報告においては、企業価値全体を種類株式の優先順位に従って配分するという基本的な考え方が示されている。また、同協会の研究報告では、種類株式のうち、金銭や社債等への転換可能性が高い種類株式は、当該金銭等の評価額に基づき、オプション評価理論も考慮して評価されるべきであるとされている。一方、普通株式等への転換可能性が高い種類株式はエクイティとしての性質を持つため、普通株式の評価額と合算して評価されると考えられる。法人が発行する種類株式が非上場であり、当該法人の普通株式が上場されている場合には、当該普通株式との権利内容の優劣や数値化可能な比率を用いて評価を算出する考え方にも合理性があるとされている。なお、普通株式が非上場である場合であっても、企業価値算定実務によって普通株式の時価を算出した上で、かかる比率を用いて評価することにも一定程度の合理性があると考えられている。
(2)有価証券の譲渡時の時価
法人税法上、有価証券の譲渡損益は、譲渡時点の「通常得べき対価の額」、すなわち時価に基づいて算定される。時価とは、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額を指す。取引相場のない株式の時価の算定は複雑であり、法人税基本通達に評価方法が示されているものの、他の合理的かつ客観的に妥当な算定方法も採用される余地があり、時価には一定の幅が存在し得ると解される。
また、当事者間で合意した取引価額は、常に時価と一致するとは限らない。当事者が合意した価額が税務上の時価として認められるかについて、関連する裁判例を検討した。裁判所は、取引の目的、経緯、当事者間の関係性、価額算定時の情報収集・検証過程を総合的に勘案して判断しており、形式的に第三者間の取引であるとしても、取引に至った動機や取引に関する情報収集の状況などから、取引価額の一般性・客観性がないことを理由に時価と認められないと判示している。したがって、当事者が合意した取引価額の時価該当性の判断においては、対等な当事者間の自由な交渉がなされたか、また、価額を算定するための経済的要素が適切に考慮されたか、といった価額形成過程の合理性を裏付ける客観的事情の有無が重要であると考えられる。
(3)将来の譲渡価額を合意した場合の時価
法人税法では、資産譲渡時の収益は譲渡時点の「時価」で認識すべきとされる。時価とは、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額であり、純然たる第三者間の取引価額も時価となり得る。
もっとも、定款や契約上の特約といった私法上の制約が、法人税法上の時価の算定に影響を及ぼすかという点については議論がある。この点、私法上の制約が問題となった裁判例を検討したが、私法上の制約が時価の算定に影響を及ぼすかについては明確にはならなかった。なお、学説においては、私法上の制約を考慮して収益の額を認識すべきであるとの見解もある。しかしながら、収益認識の前提となる時価該当性の判断に当たっては、価額形成における過程の合理性を裏付ける客観的事情の有無が重要であることからすれば、私法上の制約が価額形成にいかなる影響を及ぼすかという点もまた、時価の算定に当たって考慮すべき要素となり得ると考える。
また、将来の譲渡価額に関する事前の合意がある場合については、更に検討が必要となる。先行研究においては、合意がarm’s lengthであるといえるか否かが重要であり、さらに、私法上の契約の拘束力があることを主張することで時価と認められる余地があるのではないかとの見解が示されている。しかし、事前の合意はあくまでも合意時点の評価に基づくものであり、その合意に将来の価格変動を完全に織り込むことは不可能であることなどからすれば、事前に合意した価額が直ちに譲渡時の時価であるとは認め難いものと考える。したがって、事前に合意した価額が直ちに譲渡時の時価とはいえず、譲渡時点における合意価額の時価として認められるか否かについての検証は不可欠であると考えられる。
国税庁の文書回答事例は、事前に合意されたのが買戻価額そのものでなく、価額決定方法である。この場合には、事前に合意された価額決定方法の妥当性を検討し、それに基づいて定められた価額が時価として認められるかという二段階の判断が必要とされる。なお、資本関係がある当事者間でも、実質的に独立した交渉がなされれば合意価額が時価と認められる余地があることも示唆されている。
結論として、将来の譲渡対価について事前の合意があっても、その合意価額が直ちに譲渡時の時価となるわけではない。事前の合意は時価算定の一要素に過ぎず、譲渡時点での時価の検証とその検証に基づいた時価としての妥当性が認められる必要があると考える。
(4)会社法における価格決定
会社法における株式の価格決定手続は、少数株主保護のため、裁判所が公正な価格を決定する。この公正な価格には、組織再編がなければ存在したであろう価格(ナカリセバ価格)に加え、企業価値が増加する場合にはシナジー効果を反対株主にも分配した価格(シナジー分配価格)が含まれる。
裁判所は公正な価格決定において「一般に公正と認められる手続」を重視する。「一般に公正と認められる手続」としては、株主への適切な情報開示や適法な株主総会での承認などを経なければならず、さらに、利益相反がある場合には、第三者委員会の設置や専門家意見の取得など、実質的な手続的保障が求められる。
価格の算定においては、対象となる株式が上場株式の場合には市場株価が参照されるが、組織再編の影響排除のため、公表前の参照株価や平均値などによる調整が裁判所の裁量で行われる場合がある。一方、取引相場のない株式は、複数の評価方法と個別事情を考慮し裁判所が算定するとされている。また、2段階キャッシュアウト取引における公正な価格は、公正な手続を経て公開買付けが実施された場合、公開買付価格と同額と判断される傾向にある。
一方、法人税法上の時価算定は、公平かつ適正な課税を目的とする。そのため、法人税法における時価とは客観的な交換価値であり、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われた場合に成立する価額をいう。また、法人税法の所得には、原則として、将来の不確実な損益を反映することはできないと解される。したがって、会社法上の「一般に公正と認められる手続」を経たか否かは、法人税法上の時価の算定において考慮される事情とはなり得るものの、当該手続を経た上で決定された株式の価格が直ちに時価と認められるわけではない。また、2段階キャッシュアウト取引における公開買付価格も、法人税法上は譲渡(取得)時点での時価該当性についての検証が必要であると考えられる。
以上のとおり、会社法と法人税法は目的が異なるため、会社法上の公正な価格の判断枠組みを法人税法の時価の算定にそのまま援用することは困難であるといえる。しかし、会社法上の適正な手続を経て導かれた価格は、法人税法上の時価の算定においても考慮される事情として参照し得るものと考えられる。
(5)発行会社が取得条項付株式等を取得する場合における時価
発行会社が取得条項付株式等に関して定款に定める取得対価は、実際の取得(譲渡)時点における時価と当然には一致しない。もっとも、法人税法上、独立した当事者が対等な立場で交渉し、譲渡人に発生している増加益を客観的に評価するのに必要な経済的要素が適切に考慮された価額もまた、時価と認められるものと考えられる。
本研究においては、発行会社が当該株式の取得と引換えに交付する対価が普通株式の場合と金銭の場合について、単純化した規定例を設定して考察することとした。具体的には、取得条項付株式等の取得の対価として、定款に定められた交換比率によって算定された普通株式を交付することとしている規定例(ケース1)及び定款に「払込金額相当額」の金銭を交付することとしている規定例(ケース2)を設定して検討した。
ケース1は、取得条項付株式等と引換えに交付する普通株式の交換比率は、定款で「当初取得価額」として定めた金額に依拠することとなる規定例であった。このように定められた交換比率は、譲渡時における取得条項付株式等の時価を反映した交換比率とは乖離が生じ得る。そうすると、仮に当該交換比率が、発行会社が経済合理性を考慮して設定したものであったとしても、それ自体が直ちに譲渡時点における「客観的交換価値の比率」として適切であるとは限らないと考えられる。なお、法人税法上、取得条項付株式等の取得の対価として発行会社の株式のみが交付される場合には、原則として簿価譲渡とされ、課税は繰り延べられるが、譲渡される取得条項付株式等と交付される株式の価額が「おおむね同額」でないと認められる場合には、原則どおり取得条項付株式等の譲渡損益を益金又は損金の額に算入することになる。ここでいう「おおむね同額」とは、「通常のオプションプレミアム程度の価額」とされているが、当初定められた交換比率のみからでは、当該判断を行うに足る具体的な価額を算出することは困難であるように思われる。
ケース2については、定款に交付される金額が明示されていたとしても、その金額が法人税法上の時価として直ちに認められるものではなく、取得条項付株式等の譲渡が行われる時点における時価を算定する必要があると考えられる。
結局、取得条項付株式等と引換えに交付される取得対価が、普通株式であるか金銭であるかを問わず、原則として、譲渡時における取得条項付株式等の評価は必要になるものと考えられる。そして、種類株式は多様な設計が可能で画一的な評価基準がなく、多様な要素を考慮し慎重な判断が求められる。算定される評価額には幅が生じ、いかなる評価額が「適正な時価」として認められるかは慎重な判断を要する。
ただし、一定の条件下では定款に定められた取得対価が譲渡時点の時価として認められる余地があるように思われる。例えば、発行された取得条項付株式等の全部と引換えに定款で定められた金銭が交付される場合については、当該株式は譲渡の時点において、一定の価額で買い取られる資産と解され、独立当事者間での自由な取引においても、その取得価額以外の価額で売買されることはあり得ないと考えられる。また、株式評価理論の観点からみても、取得請求権又は取得条項の発動が確定するため、算定される評価額が定款に定める取得対価の額に近似する蓋然性が高いと考えられることからすれば、定款に定められた取得対価が譲渡時点の時価として認められるように思われる。なお、その場合でも、定款の定めが経済合理性に基づき、独立した第三者間で合意されるような内容であったか、慎重に検討する必要がある。
本研究では、将来の譲渡価額を合意した場合に、譲渡時の時価と認められるかという点を検討対象としたが、取引相場のない株式の評価方法や種類株式の特性が時価に与える影響など、詳細な検討課題が残されている。また、会社法における公正価格の決定と法人税法上の時価の算定については、判断枠組みが異なるため、両者に乖離が生じる可能性があり、取引の予測可能性や安定性の観点からも問題である。特に取引相場のない種類株式では、画一的な評価が困難であることから、企業価値評価や時価算定に高いコスト負担を伴う。これらの課題には、理論と実務の両面からの更なる検討が必要である。
| 項目 | ページ |
|---|---|
| はじめに | 79 |
| 第1章 種類株式の概要と価額の算定 | 81 |
| 第1節 種類株式の概要 | 81 |
| 1 種類株式とは | 81 |
| 2 取得請求権付株式 | 82 |
| 3 取得条項付株式 | 83 |
| 4 利用されている種類株式のバリエーション | 84 |
| 第2節 実務における種類株式の株式評価 | 85 |
| 1 株主に帰属する株式価値 | 86 |
| 2 取得条項付株式等の評価 | 87 |
| 第2章 有価証券の譲渡時の時価 | 90 |
| 第1節 法人税法における有価証券の譲渡損益の算定 | 90 |
| 1 法人税法の規定 | 90 |
| 2 取得条項付株式等の課税関係 | 90 |
| 3 有価証券の譲渡により通常得べき対価の額 | 91 |
| 4 取引相場のない株式の時価 | 92 |
| 第2節 当事者が合意した取引価額と時価 | 94 |
| 1 第三者間取引で通常付される価額 | 94 |
| 2 東京地裁平成27年3月27日判決 | 95 |
| 3 東京高裁令和3年5月20日判決 | 98 |
| 4 当事者が合意した取引価額の時価該当性 | 101 |
| 第3章 将来の譲渡価額を合意した場合の時価 | 103 |
| 第1節 私法上の制約が問題となった裁判例 | 103 |
| 1 大阪高裁昭和59年6月29日判決 | 104 |
| 2 東京高裁平成26年6月12日判決 | 107 |
| 3 私法上の制約と時価 | 112 |
| 第2節 事前合意による価額が譲渡時の時価といえるか | 113 |
| 1 arm’s lengthと私法上の契約の拘束力 | 114 |
| 2 事前に合意した価額と譲渡時の時価 | 115 |
| 第3節 文書回答事例の検討 | 116 |
| 1 文書回答事例の概要 | 116 |
| 2 検討 | 118 |
| 3 事前に合意した内容と譲渡時の時価との関係 | 121 |
| 第4節 小括 | 122 |
| 第4章 会社法における価格決定 | 124 |
| 第1節 公正な価格の決定 | 124 |
| 1 公正な価格についての判断枠組みと算定方法 | 125 |
| 2 ナカリセバ価格とシナジー分配価格 | 125 |
| 3 一般に公正と認められる手続 | 126 |
| 4 株式の価値算定 | 128 |
| 5 2段階キャッシュアウト取引における公正な価格 | 130 |
| 6 小括 | 131 |
| 第2節 法人税法における時価の算定との比較 | 133 |
| 1 一般に公正と認められる手続 | 133 |
| 2 公正な価格の決定 | 134 |
| 3 小括 | 135 |
| 第5章 発行会社が取得条項付株式等を取得する場合における時価 | 137 |
| 第1節 定款等で定められる取得対価の規定例 | 137 |
| 1 普通株式を対価とする規定例 | 138 |
| 2 金銭を対価とする規定例 | 141 |
| 第2節 定款等で定められた取得対価の時価該当性 | 141 |
| 1 ケース1の検討 | 141 |
| 2 ケース2の検討 | 143 |
| 3 取得条項付株式等の譲渡時における評価額 | 144 |
| 第3節 小括 | 146 |
| 結びに代えて | 148 |
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