酒井 秀行
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的

少子高齢化の進展に伴い、死亡者数は増加の一途を辿っており、相続手続等に係る国民の負担軽減と利便性の向上は喫緊の課題となっている。政府における社会全体のデジタル化・オンライン化の推進を踏まえ、相続(相続税)に関する手続についても、デジタル化等の恩恵を最大限に享受し、より効率的かつ円滑な手続の履行を可能とするための仕組みや制度の整備を進めていく必要がある。
 本研究は、近年社会的な課題として顕在化している相続手続の複雑性とともに、相続税の申告手続を中心とした簡素化・効率化の必要性に着目し、現状における課題と相続手続等に係る見直しの方向性等について多角的に考察するものである。

2 研究の概要

(1)死亡と相続

本研究に当たっては、まず、死亡及び相続に関する基本的な概念を整理した上で、死亡・相続に伴い必要となる行政・民間手続の全体像を概観するとともに、必要書類等の確認を行った。相続手続等に関しては、行政機関や民間の機関において提供する情報及び提出する書類の重複が見られ、情報提供の非効率性等が遺族(相続人)に多大な負担を強いることとなっており、その現状を把握した。
 特に、戸籍については、出生から死亡までの連続した戸籍を収集し、法定相続人を特定する必要があり、相続手続において不可欠な役割を果たすものであるが、転籍や改製により複数の市区町村に請求しなければならず、除籍謄本や改製原戸籍の取得が煩雑な状況であるとともに、システムによる法定相続人の特定等が困難な現状(電算化以前の戸籍情報は画像データとして保存)であることを確認した。これらの課題は、相続手続全般において煩雑とされる要因となっていると考えられる。

(2)政府における取組等

政府における各種施策の検討・実施状況等に関しては、デジタル庁の設置及び「デジタル社会の実現に向けた重点計画」の策定に代表されるデジタル社会実現への動き、地方公共団体情報システムの標準化、そして行政手続のオンライン・ワンストップ化に資する「ベース・レジストリ」の概念と活用推進など、デジタル化・オンライン化に向けた取組状況に主眼をおいて考察を行うとともに、マイナンバー制度や所有者不明土地問題への対応の状況等について確認した。
 ベース・レジストリとは、法人情報や不動産登記情報など、行政機関が共通して利用する基盤となるデータベースであり、これらを整備して相互に連携させることで、国民からの重複した情報提供を不要とすることが可能であり、諸外国においてはこれらの仕組みの活用により、個人の死亡情報が行政機関間で共有され、年金・福祉給付が自動停止されるなど、実効的なワンストップ化が実現している状況にある。わが国における相続手続に必要な情報の多くを個々の納税者からの書類提出に依存している現状を踏まえると、諸外国の取組を参考とし、ベース・レジストリ等を活用した行政機関間における情報連携等の基盤が整備されれば、納税者負担の大幅な軽減に繋がると考えられる。また、死亡情報や相続人情報とともに、金融機関が保有する預貯金等に関する情報など、現状では個別に収集・把握する必要がある情報について、マイナンバー制度を基盤として公的機関において一元的に管理・連携させる仕組みが構築されれば、納税者による財産調査や個別の情報収集等の負担が軽減されるだけでなく、相続税申告の適正性の向上にも資すると考える。

(3)相続税申告等

相続税申告に関しては、申告手続を中心とした簡素化・効率化に資する検討の一環として、諸外国における相続手続や情報連携の先進事例を調査し、その知見をわが国の制度設計に応用することの有効性を検討した。特に、デジタル先進国におけるワンストップサービスの提供状況や、公的機関による資産情報の把握・提供の仕組みは、わが国における今後の取組に向けた具体的な方向性として示唆に富むものであるとともに、他国の状況を通じて、わが国の相続手続等が抱える課題が、必ずしも固有のものではないことを認識した。

(4)個人情報の保護に関する論点

個人情報保護の観点については、相続関連手続との関係性に焦点を当てた。相続人が被相続人の財産情報にアクセスするためには、各機関の個人情報保護に関する厳格な取扱い等に対応する必要があり、遺族による情報取得が制限される場面も少なくない。特に金融機関では、全相続人の同意がなければ詳細な取引履歴を開示しない取扱いが多く、これが情報の偏在・申告漏れの一因となる可能性もある。今後は、被相続人の生前に情報の第三者提供に関する意思表示を行える仕組みの構築や、行政機関間の共同利用を可能にする法制度の整備が求められる。

(5)論点の整理・考察

これまでの検討を踏まえ、具体的な改善策として、情報連携の強化と納税者支援の拡充の側面から考察を行った。情報連携の強化としては、基礎的情報のベース・レジストリ化を推進し、行政機関間でのシステム連携を可能とすることで、納税者による添付書類の提出を原則不要とすべきであり、これにより、相続税の申告手続等に必要となる情報の収集に関する負担が解消され、手続の簡素化が期待できる。
 また、相続財産に係る情報(不動産、預貯金、有価証券等)については、マイナンバー制度の活用とともに、公的第三者機関による情報の把握・提供制度を構築することを提案した。これは、不動産登記情報や金融機関、証券会社の情報等を、相続開始時点で公的機関が把握するとともに、相続人においても情報提供を受けることが可能とする仕組みであり、相続人による煩雑な財産調査の手間が省かれるだけでなく、申告漏れや誤りの防止にも繋がり、相続税申告の精度向上に貢献すると考えられる。
 納税者支援の拡充については、遺族(相続人)が直面する多岐にわたる手続を円滑に進めるための「ワンストップ型行政サービス」の提供が望ましいと考える。具体的には、相続に関するあらゆる情報を集約し、手続の進捗状況を一元的に確認できる「相続ポータルサイト」のような基盤の整備を行い、死亡届の提出から、社会保険関係手続、不動産登記、相続税申告など、各種の手続において各人に必要な情報を的確に提供し、オンラインでの手続申請を可能とすることが望ましく、その実現に当たっては、個人情報の適正な取扱いと本人同意の取得方法の明確化が不可欠である。
 更に、e-Taxの機能拡充も重要であり、単なる申告書提出ツールに留まらず、納税者が必要とする税務情報を、より分かりやすい形で提供する機能や、過去の申告履歴、税務上の特例制度に関する情報などを積極的に提供するインフラ強化を推進すべきであろう。これにより、納税者の手続に関する疑問や不安が解消され、よりスムーズな相続税申告が可能となる。
 なお、これらの検討を進めるに当たっては、国民の個別事情の尊重、公平性の担保、そしてプライバシー保護への最大限の配慮が不可欠である。特に、相続手続においては、遺産分割協議のように手続の厳格性や真正性が強く求められる領域も存在するため、画一的な簡素化や効率化のみを追求するあまり、法制度の理念や国民の信頼を損なうことのないよう、慎重な検討と丁寧な制度設計・運用が求められると考える。
 情報の一元化やシステム連携は利便性を高める一方で、不適切な情報利用等のリスクも内在するため、厳格な運用の下、個人情報保護に関する法制度との整合性の確保が不可欠である。

3 まとめ

本研究は、相続税申告手続の簡素化・効率化の観点を主眼におきつつ、広範な相続手続全体における課題の整理と、行政のデジタル化等を通じた国民の利便性向上という視点から考察を行ったものである。デジタル化等によって被相続人の財産把握を効率化することは、国税当局における適正課税の実現や調査コストの削減につながるとともに、相続人(納税者)にとっても漏れのない財産把握と迅速な遺産分割・申告納税に資するため、官民双方にメリットがある取組であり、プライバシー保護との調和に留意しつつ、多様な視点から各種手続のデジタル化・効率化を図っていくことが期待される。


目次

項目 ページ
はじめに 176
第1章 死亡と相続 178
第1節 死亡・相続の概要 178
1 死亡 178
2 相続 179
第2節 死亡・相続に関する手続等 180
1 死亡に関する手続 180
2 相続に関する手続 182
第3節 死亡・相続手続と戸籍 192
1 戸籍の概要 192
2 戸籍の活用と問題点 196
第2章 政府における取組等 198
第1節 デジタル化・オンライン化に向けた取組等 198
1 デジタル社会の実現に向けた取組 198
2 地方公共団体情報システムの標準化 200
3 ベース・レジストリの活用と推進 201
4 行政手続等のオンライン・ワンストップ化 207
5 相続税申告のe-Tax利用・促進等 208
6 相続税に関する死亡届の情報等の通知 209
第2節 マイナンバー制度の状況等 211
1 マイナンバー制度の概要 211
2 マイナンバーの利用状況等 212
第3節 各種制度の状況等 216
1 所有者不明土地問題への対応 216
2 預貯金等の払戻しに関する制度 218
3 固定資産税の賦課・徴収 219
第3章 相続税申告 222
第1節 相続財産等の把握 222
1 国税当局における情報収集等 222
2 納税者等による財産等の把握 225
3 諸外国における財産情報の収集状況等 227
4 小括 229
第2節 相続税申告固有の問題 230
1 相続税の課税方式と申告手続 230
2 相続税申告における特例適用と添付書類等 234
第4章 個人情報の保護に関する論点 237
第1節 個人情報の開示等 237
1 個人情報保護法の概要 237
2 個人情報の保護に関する基本方針 238
3 行政機関における個人情報の利用等 238
4 相続手続等と個人情報の開示 239
第2節 各機関における個人情報の取扱い等 240
1 具体的な事例 240
2 個人情報の利用・開示に係る課題等 243
第5章 考察とまとめ 246
1 論点の整理と考察 246
2 まとめ 247
結びに代えて 250

Adobe Readerのダウンロードページへ

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。Adobe Readerをお持ちでない方は、Adobeのダウンロードサイトからダウンロードしてください。