出田 潤二
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

相続税や贈与税(以下「相続税等」という。)の課税実務においては、課税価格計算の基礎となる財産の具体的な評価方法を、相続税法や財産評価基本通達(以下「評価通達」という。)に定めるほか、特定の財産については、個別通達を設けて評価方法等を定めている。
 そのうちの一つである昭和48年11月1日付直資2−189ほか2課合同「使用貸借に係る土地についての相続税及び贈与税の取扱いについて」(以下「使用貸借通達」という。)は、建物又は構築物の所有を目的として使用貸借による土地の借受けがあった場合、借地権の設定に際し、その設定の対価として通常権利金その他の一時金(以下「権利金」という。)を支払う取引上の慣行がある地域においても、当該土地の使用貸借に係る使用権の価額は零円として取り扱うなど、使用貸借に係る土地の価額等に関する取扱いを定めている。
 また、同じく個別通達の一つである昭和60年6月5日付直資2−58ほか「相当の地代を支払っている場合等の借地権等についての相続税及び贈与税の取扱いについて」(以下「相当地代通達」という。)は、@借地権(建物の所有を目的とする地上権又は賃借権)の設定に際し、権利金の支払に代えて相当の地代を支払う場合や、A借地権が設定されている土地について、法人税基本通達13−1−7に基づく「土地の無償返還に関する届出書」(以下「無償返還届出書」といい、当該通達に基づき、所轄税務署長等に対し、土地所有者が借地権設定等の契約に際して将来借地人等から無償で土地の返還を受ける旨の合意をした旨を届け出ることを、以下「無償返還届出」という。)が提出されている場合など、特殊な賃貸借契約により借地権が設定された土地又は借地権について相続や贈与等による移転があったときの借地権や貸宅地に係る評価等の取扱いを定めている。
 上記の使用貸借通達及び相当地代通達は、制定から既に約40〜50年経過していることから、課税事務上も定着した取扱いであるといえるにもかかわらず、比較的最近においても、その適用の可否や合理性を争点とする争訟が散発的に発生している。
 そこで、本研究では、使用貸借通達及び相当地代通達の趣旨や内容等を概括した上で、これまでの裁判例等を踏まえつつ、各個別通達に関する想定事例の検討を通じて、あらためて各個別通達を適用して評価することの妥当性について整理検討する。

2 研究の概要

(1)相続税法等における権利設定された土地に関する評価

イ 各個別通達の検討に先立ち、相続税法及び評価通達に定められている一般的な権利設定された土地の評価方法について概観すると、相続税法では、地上権及び永小作権(同法23条)並びに配偶者居住権等(同法23条の2)の評価方法が規定されており、それ以外の権利設定された土地の評価方法については、評価通達に定められている。この評価通達に定められている評価方法のうち、各個別通達を巡る争訟において問題となることの多い借地権及び貸宅地の評価方法については、大要、以下のとおり定められている。

(イ) 借地権(評価通達27)

借地権の評価は、原則、その借地権の目的となっている宅地の自用地としての価額に、当該価額に対する借地権の売買実例価額、精通者意見価格、地代の額等を基として評定した借地権の価額の割合がおおむね同一と認められる地域ごとに国税局長の定める割合を乗じて計算した金額によって評価する。

(ロ) 貸宅地(評価通達25(1))

貸宅地の評価は、原則、評価通達の各定めにより評価したその宅地の価額から評価通達27の定めにより評価したその借地権の価額を控除した金額によって評価する。

(2)使用貸借通達に関する一考察

イ 使用貸借に関する民法の規定

(イ) 平成29年改正前の民法における規定

使用貸借については、民法593条に規定されており、当事者の一方(借主)が、ある物を無償で使用収益した後にその物の返還を約する合意と、相手方(貸主)からその物の引き渡しを受けることによって成立する契約である。この使用貸借の主な法的性質としては、要物契約・片務契約・無償契約であることの3点が挙げられる。
 なお、無償契約である点について、物の使用収益に伴う金員の支払があったとしても、それが対象物の使用収益に対する対価の意味を持たない金員の支払である場合には、民法601条に規定する賃貸借には該当せず、同法593条に規定する使用貸借に該当するとされている(最高裁昭和41年10月27日第一小法廷判決・民集20巻8号1649頁)。

(ロ) 平成29年改正における改正点及び使用貸借通達に与える影響

平成29年の民法改正においては、使用貸借に関する規定も改正されており、主な改正点としては、要物契約から諾成契約への改正が挙げられる。
 この諾成契約化した点が、使用貸借通達にどのような影響を与えるのかということについて、使用貸借が要物契約とされていた平成29年改正前においても、諾成的使用貸借の成立を認めてよいと解されていたことや、また、改正の趣旨にもあるように、現代社会においては、従来の親族等の情義的な関係によるものだけではなく、経済的な取引の一環として行われることも多くなっていることを理由として諾成契約へ改正されたことからすると、使用貸借の諾成契約化は、従来からの親族等の情義的な関係による使用貸借に大きな影響を与えるものではないといえる。加えて、改正後においても片務契約・無償契約である点に変わりがないことも踏まえると、使用貸借の諾成契約化は、使用貸借通達に大きな影響を与えるものではないと考えられる。

ロ 使用貸借通達の制定経緯

使用貸借通達が制定される以前の昭和43年当時、土地上に借地権を設定するに当たり、その設定の対価として権利金を支払うといった借地権の取引慣行があると認められる地域にある土地の無償使用関係を、無償の地上権の設定として捉え、借主側に生じた利益(借地権相当額)に対し、原則、相続税法9条に規定する「みなし贈与」に該当するとして取り扱っていた。
 しかしながら、夫所有の土地を妻が無償で借り受け、その土地上に妻名義の共同住宅を建築したことについて、上記のとおり相続税法9条に規定する「みなし贈与」に当たるとしてなされた課税処分の取消訴訟において、大阪地裁昭和43年11月25日判決(行裁例集19巻12号1877頁。以下「大阪地裁昭和43年判決」という。)は、当該土地の借受けは使用貸借に基づくものと認定し、当該課税処分を取り消した。
 この判決を契機として、国税庁は、昭和48年に使用貸借通達を発遣し、個人間における建物等の所有を目的とした使用貸借に係る土地や借地権について、その使用貸借の開始があった時点及びその後相続等によりその土地等の所有権の移転があった時点における相続税等の課税上の取扱いを明らかにした。

ハ 使用貸借通達の概要

使用貸借通達は、要旨、使用貸借による土地の借受けや借地権の転借があった場合、当該使用貸借に係る使用権の価額は零として取り扱う旨(同通達1及び2)、また、使用貸借に係る土地又は借地権を相続又は贈与により取得した場合、相続税又は贈与税の課税価格に算入すべき価額は当該土地又は借地権が自用のものであるとした場合の価額とする旨(同通達3)などを定めている。

ニ 使用貸借通達を適用した土地評価を巡る主な争訟事例

(イ) 相続税等における使用貸借通達を適用した土地評価を巡る主な争訟事例としては、@使用貸借により借り受けた土地上にある建物を第三者に貸し付けていることが、当該土地の評価において減額要素となるか否か(札幌地裁平成26年5月13日判決・訟月61巻1号223頁ほか)、A土地収用法の取扱いや不動産競売手続の実態を根拠として使用借権に財産的価値が見いだせるか否か(福岡地裁平成17年3月31日判決・税資255号9986頁ほか)、B支払われている金員の性質や多寡等から使用貸借と認められるか否か(令和元年9月17日裁決・裁決事例集116集124頁ほか)といった点を争点とするものが挙げられ、いずれにおいても、使用貸借通達の合理性が認められている。

(ロ) これらの争訟事例では、大阪地裁昭和43年判決でも判示されている使用貸借に関する考え方(使用貸借は、無償の使用関係として交換経済の埒外にあるため借地権のような諸立法による社会的保護とは無関係であり、極めて劣弱な保護しか与えられていないこと)を踏まえ、使用貸借通達の合理性が認められている。また、土地の借受けにおいて金員の授受がある場合の土地使用関係(使用貸借か賃貸借か)の判断に当たっては、借主及び貸主の人的関係性や支払っている金員の額の多寡といった様々な事実関係基づいて、当該金員が当該土地の使用収益に対する対価と認められるか否かという点を踏まえて、その土地使用関係が判断されている。

ホ 使用貸借通達を適用することの妥当性の検証

使用貸借通達制定後において、土地使用関係について、課税庁が使用貸借ではなく無償の地上権設定であると主張して争ったものは見当たらない。
 そこで、大阪地裁昭和43年判決やその他の使用貸借に関する判例等における土地使用関係の判断基準を検証した上で、想定事例に基づく検討を行い、あらためて使用貸借通達を適用することの妥当性を考察する。

(イ) 大阪地裁昭和43年判決等における土地使用関係の判断基準

大阪地裁昭和43年判決は、親族間における土地使用が愛情等の特殊なきずなによって結ばれ、その基礎の上に成立したものであれば、使用貸借が最も適合すると述べているものの、最終的には、土地使用関係の判断はもっぱら事実認定の問題であるとした上で、当該事件における事実関係を踏まえ、使用貸借と判断している。この大阪地裁昭和43年判決やその他の使用貸借に関する判例等(最高裁昭和47年7月18日第三小法廷判決・判時678号37頁など)における土地使用関係の判断枠組みからすると、無償の地上権設定か否かの判断に当たっては、当事者間の人的関係性や土地を借り受けるに至った経緯等の様々な客観的な事実関係から当事者間の合理的意思解釈を行い、その結果、堅固な権利である地上権を設定することを意図したと認められる特段の事情の存否を判断する必要があると考える。

(ロ) 使用貸借通達を適用して評価することの妥当性の検証

使用貸借ではないかと考えられる場合であったとしても、その実態からすると、無償の地上権設定あるいは賃貸借に該当し、使用貸借通達を適用することの妥当性を欠くのではないか思われる事例が存することも考えられる。
 そこで、想定事例に基づく検討を行い、相続税等の土地評価において、使用貸借通達を適用することの妥当性について検証する。

A 役務提供を伴う無償での土地使用関係

別荘(土地及び建物)を所有する者が、明確に期限を定めずに当該土地の一部を無償で友人に使用させ、その友人は、無償で借り受けた土地上に建物を建てて居住し、当該別荘の管理をしている場合を事例として取り上げて、建物の所有を目的として土地を無償で借り受けた者が土地所有者に対し何らかの役務提供を行う場合を検討する。なお、検討の前提として、別荘の敷地内に友人が所有する建物は、一般の一戸建て住宅のような堅固な建物ではない建物(非堅固な建物)と想定する。
 本事例の場合、非堅固な建物を建てて居住しているところ、建物の耐用年数の面からみると、堅固な建物と比して、その借り受けた土地を使用する期間は短いもの推察され、また、土地を明け渡すことになった場合にも、堅固な建物より比較的容易に建物を取り壊して土地を明け渡すことが可能であると考えられることからすると、土地上の建物が堅固な建物であるか否かという点は、強力な用益物権である地上権を設定することを意図したと認められる特段の事情の存否を判断する際の要素の一つになり得るものと考えられる。
 また、使用貸借の特徴の一つとして無償性が挙げられるが、上記(2)イ(イ)のとおり、借主が貸主との合意に基づき金員の支払があったとしても、それが目的物の使用収益の対価としての意味を持つものでないときは使用貸借とされている。
 これらを踏まえて、本事例における土地使用関係についてみると、友人という特殊関係にある者との間の土地の貸借であり、当該土地上の建物が非堅固な建物という状況にある中で、@当該役務提供の内容が金銭的価値を見いだせないようなものである場合や、A当該役務提供の内容が明確に金銭的価値に換算できるようなものであったとしても、その金銭的価値が借用物件の固定資産税相当額程度といったように、使用収益に対する対価とは認められない場合には、使用貸借と判断される可能性が高いものと考えられる。また、当該役務提供の内容が明確に金銭的価値に換算できるようなものであり、かつ、当該役務提供の金銭的価値の程度が、使用収益に対する対価と認められる場合には、使用貸借ではなく、賃貸借関係にあると判断されるものと考える。

B 離婚に伴う財産分与による無償での土地使用関係

離婚に伴う財産分与として、夫が有する土地建物のうち、建物を妻の名義とし、その建物の敷地については妻が夫から無償で借り受ける場合を事例として取り上げて、離婚に伴う財産分与により土地を無償で使用する場合を検討する。なお、検討の前提として、財産分与により妻が取得した建物は、建築したばかりの一戸建て住宅(堅固な建物)である場合を想定する。
 本事例の場合、上記Aの場合と異なり、土地上の建物が堅固なものであることからすると、土地使用関係の判断において、建物の構造面だけからみると、非堅固な建物の場合と比べ、使用貸借よりも無償の地上権設定と認められる可能性が高いのではないかと考えられる(なお、建物の構造は、強固な権利である地上権を設定することを意図したと認められる特段の事情の判断において要素の1つになり得るものの、それのみをもって特段の事情の存否を判断することは困難だと考える。)。
 また、使用貸借による土地の借受けか否かを争点とした法人税の事件では、建物が堅固であること以外に、「将来において原告に対し本件土地の返還を求めたりする可能性は実際上ほとんどな」いことも、土地使用関係の判断要素の一つにしている。
 これらを踏まえて、本事例における土地使用関係についてみると、元夫婦という特殊関係にある者との間の土地の貸借であり、当該土地上の建物が堅固な建物であることのほかに、当該土地の返還を求められる可能性の有無や、建物だけを妻名義にするに至った経緯、当該建物の利用状況や、建物以外の財産分与の状況などといった様々な事実関係から合理的意思解釈を行い、その結果、地上権を設定することを意図したと認められる特段の事情の存在が認められれば、無償の地上権設定として判断されることになると考える。また、本事例において、地上権を設定することを意図したと認められる特段の事情の存在が認められなければ、使用貸借と判断される可能性が極めて高いものと考える。

ヘ 使用貸借通達に関する一考察のまとめ

以上のとおり、無償(あるいは低廉な金額)での土地の借受けといった点を捉えて使用貸借ではないかと考えられる場合であったとしても、その実態からすると、無償の地上権設定あるいは賃貸借関係に該当し、使用貸借通達を適用することの妥当性を欠くと思われる場合も想定されることからすれば、使用貸借通達に基づいた課税処理をすべきか否かを判断するに当たっては、当事者間の人的関係性や、借り受けている土地上の建物の構造、当該土地の返還の可能性の有無などといったような個々の事案における様々な事実関係を踏まえつつ、必要に応じて当事者間の合理的意思解釈を慎重に行い、各事案においていかなる土地使用関係が生じているのかを見極める必要があるものと考える。

(3)相当地代通達に関する一考察

イ 相当地代通達の制定経緯

法人税法では、昭和55年に、それまでの税務執行上の経験及び地価情勢等を踏まえて、現に行われている借地権の取引実態に対応するため、借地権課税に関し、権利金の認定課税の緩和(無償返還届出の制度を定めた法人税基本通達13−1−7の新設)及び親会社と子会社といった特殊関係者間で行われる借地権の設定、譲渡等に関する課税関係の弾力化が図られた。
 この昭和55年の法人税法における借地権課税に係る通達整備を受け、相続税等における借地権課税の取扱いを整理・調整するため、昭和60年に相当地代通達が制定された。

ロ 相当地代通達の概要

相当地代通達は、要旨、相当の地代を支払っている場合や、無償返還届出書が提出されている場合の借地権の価額を、零として取り扱う旨や(同通達3及び5)、相当の地代を収受している場合や、無償返還届出書が提出されている場合の貸宅地の評価は、当該土地の自用地としての価額の100分の80に相当する金額で評価する旨(同通達6及び8)などを定めている。

ハ 相当地代通達を適用した土地評価を巡る主な争訟事例

相続税等における使用貸借通達を適用した土地評価を巡る主な争訟事例としては、@相当地代通達5及び8の合理性やその適否を争点とするもの(東京地裁平成20年7月23日判決・裁判所ウェブサイト(以下「東京地裁平成20年判決」という。)ほか)、A相当地代通達3及び6の合理性やその適否を争点とするもの(平成22年2月15日裁決・裁決事例集79集523頁ほか)や、B直接、相当地代通達の合理性等を争点とするものではないが、同族会社との地上権設定契約は経済的合理性を欠くとして、相続税法64条《同族会社等の行為又は計算の否認等》1項を適用して地上権が存するとの納税者の主張を排斥した上で、相当地代通達の取扱いに準じて算出した金額により土地を評価した課税処分が争われたもの(大阪地裁平成12年5月12日判決・訟月47巻10号3106頁ほか)が挙げられ、いずれにおいても、相当地代通達の合理性が認められている。
 このうち、法人税の課税処理と密接に関係し、比較的最近も争いになっている、無償返還届出書が提出されている場合の評価(相当地代通達5及び8)について、以下検討する。

ニ 相続税等の土地評価における無償返還届出の位置付け

(イ) 無償返還届出の制度概要

無償返還届出とは、法人税基本通達13−1−7に定められている、法人税に係る課税上の制度であり、法人が借地権の設定等により他人に土地を使用させた場合において、通常収受すべき借地権利金を収受せず、かつ、相当の地代の額に満たない地代しか授受しないこととしたときであっても、その借地権の設定等に係る契約書において将来借地人がその土地を無償で返還することを明らかにするとともに、その旨連名の書面により遅滞なく所轄税務署長等に届け出たときは、借地権利金の認定課税は行われないこととしている(なお、同通達の定めが、効力要件としての手続規定か否かという点については、別途議論の余地があるものと考える。)。このように、無償返還届出は、土地所有者と借地人との間において将来無償で借地権を返還することを約したものであることから、その借地権について相続等があったときには、借地人にその借地権の価値が生じないこととして取り扱うことが当事者の取引の実態にかなうものであると考えられるため、無償返還届出書が提出されている借地権や貸宅地について相続や贈与があった場合の評価額は、相当地代通達に基づいて、借地権の価額は零(同通達5)、貸宅地の価額は自用地としての価額の100分の80(同通達8)に相当する金額によって評価することとしている。

(ロ) 無償返還届出の法的性質

A 無償返還届出とは、認定課税の回避という課税上の利益を享受するために行われものであり、実際に届出があった場合、当該届出に不備がなければ、認定課税の回避という課税上の利益を享受することになる。このような制度内容からすると、無償返還届出とは、単に、土地所有者と借地人との間の無償返還合意の存在を単に所轄税務署長等に通知するだけの意味しか持たないものということはできず、認定課税の回避という課税上の利益を享受するという課税上の効果を有するものといえ、この点からみれば、納付すべき税額を確定させる効果を有する納税申告のような、いわゆる「私人の公法行為」としての性質を有しているものと考えられる。

B ところで、無償返還届出は、法令ではなく通達に定められた制度であることからすると、「私人の公法行為」としての性質を含んでいると解する余地はないのではないかという疑問が生じ得るところではある。この点、通達に基づく届出等について、「私人の公法行為」該当性を論じたものは見当たらないが、金子宏名誉教授も述べられているように、「納税義務を免除・軽減し、あるいは手続要件を緩和する取扱が、租税行政庁によって一般的にしかも反復・継続的に行われ(行政先例)、それが法であるとの確信(法的確信)が納税者の間に一般的に定着した場合には、慣習法としての行政先例法の成立を認めるべきであり、租税行政庁もそれによって拘束されると解すべきである。」との考えに立てば、通達とはいえ、無償返還届出をした場合には認定課税を見合わせるという納税者に有利な取扱いを公表していることから、無償返還届出書が所轄税務署長等に提出された場合には、課税庁側に、認定課税を行わないことについて信義則上の拘束力が生じるといえる。この点からも、当該届出は、私人の公法行為としての性質を有しているものと考えられる。

C また、無償返還届出が私人の公法行為の性質を有していると考えられることからすると、典型的な私人の公法行為である納税申告と同様に、錯誤を理由として無償返還届出の効力が争われた場合、客観的に無償返還届出書における錯誤が明白かつ重大であって、当該無償返還届出を踏まえて算出された法人税の税額について、税法で定めた過誤是正の方法(更正の請求等)以外にその是正を許さないならば納税者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でなければ、当該無償返還届出に対する錯誤を理由とする無効を主張することは許されないのではないかとも考えられる。

(ハ) 相続税等の土地評価に及ぼす無償返還届出の効果

A 以上のような法的性質を有する無償返還届出書が所轄税務署長等に提出された場合、相続税等の土地評価において、具体的にどのような税務上の効果が及ぶことになるかということだが、東京地裁平成20年判決の判示内容を踏まえると、無償返還届出とは、認定課税の回避という課税上の利益を享受するための公法上の行為として行われ、現にこれを享受し得る効果を伴うものとして有効に成立している場合には、当該届出の前提となる当事者間の無償返還合意の私法上の効力に左右されることのない「税法上の効果」を生じるものといえる。また、この「税法上の効果」とは、土地所有者及び借地人自身が明らかにした、何ら経済的利益が移転していないという経済的実態を踏まえた課税処理を行うという効果であると考えられる(なお、経済的実態を踏まえた課税処理の具体的な範囲は、法人税基本通達13−1−7に基づく認定課税の回避という課税処理だけでなく、相当地代通達5及び8に基づいて評価するという課税処理も含むものと解される。)。

B つまり、無償返還届出とは、法令の規定に基づくものではないものの、「認定課税の回避という課税上の利益を享受するために課税庁に対して行われ、現にこれを享受し得る効果を伴うものである」から、上記(ロ)のとおり「私人の公法行為」としての性質を有し、その税法上の効果は、法人税の課税の場面だけでなく、相続税等の課税の場面にも及ぶものと考えられる。
このため、法人税における課税処理の状況を、相続税等の課税の場面における土地評価に反映させるという観点からみれば、無償返還届出書が提出されている場合の相続税等における土地評価は、何ら経済的利益が移転していないという経済的実態を踏まえて定められた相当地代通達5及び8のとおり評価すべきこととなる。

C ところで、相続税法22条では、相続税等の課税対象となる財産の価額につき、当該財産の取得のときにおける時価と規定されていることから、この点からの検討が必要となるところ、無償返還届出書が提出されている場合の土地評価が争われた事件(東京地裁令和5年1月26日判決・裁判所ウェブサイト)において、東京地方裁判所は、最高裁令和4年4月19日第三小法廷判決(民集76巻4号411頁)における相続税法22条の時価について判示した部分を引用した上で、評価通達と相当地代通達とを、相続財産の価額の評価の一般的な方法を定めたものとして同列に位置付けている。このような関係性からすると、相当地代通達も、これまでの判例等において判示された評価通達の位置付けと同様に、適正な時価を算定する方法として一般的な合理性を有するものであり、かつ、当該不動産の相続税等の課税価格がその評価方法に従って決定された場合には、上記課税価格は、相当地代通達の趣旨を踏まえ、明らかに経済的利益が移転しているという経済的実態が認められるといった特別の事情の存しない限り、相続税等の課税時点における当該不動産の客観的な交換価値としての適正な時価を上回るものではないと推認されるものと考える(東京高裁平成27年12月17日判決・判時2282号22頁参照)。

D したがって、無償返還届出書が提出されている場合の相続税等における土地評価は、明らかに経済的利益が移転しているという経済的実態が認められるといった特別の事情が存しない限り、原則、相当地代通達5及び8の定めのとおり評価すべきであると考える。

ホ 相当地代通達を適用して評価することの妥当性の検証

上記ニで述べたような無償返還届出の趣旨・効果を前提として、相続税等における土地評価に当たり、無償返還届出書の提出がない場合には同通達を適用する余地はないのか、また、無償返還届出書が提出されている場合でも同通達を適用しない場合があるのかということについて、想定事例に基づいて検証してみることとする。

(イ) 無償返還届出書を提出していないが、無償返還合意がある場合

相当地代通達5及び8は、その記載ぶりからすると、いずれも無償返還届出書が提出されている場合の借地権及び貸宅地の評価を定めたものであることからすると、無償返還届出書の提出がない場合には、相当地代通達によらず、評価通達に基づいて評価するとの考えも想定されるところである。
 しかしながら、相続税等の場合には、相続税法22条において、「財産の価額は、当該財産の取得の時における時価」と規定されていることなどからすると、無償返還届出書が提出されていない場合であっても、課税時点において、土地所有者と借地人との間で有効な無償返還合意が存在し、土地所有者から借地人に対し何ら経済的利益が移転していないという経済的実態が存する場合には、当該経済的実態が存する場合の評価を定めた相当地代通達5又は8の趣旨に基づいて、同様に評価するものと考える(大阪高裁平成18年1月24日判決・税資256号順号10277参照)。
 したがって、本事例の場合、無償返還合意の内容や、実際の土地や建物の利用状況などの周辺事情等をも踏まえつつ、真に経済的利益が移転しているか否かを慎重に検討した上で、明らかに土地所有者から借地人に対し何ら経済的利益が移転していないという経済的実態が認められる場合には、相当地代通達5及び8と同様に評価し、逆に当該経済的実態が認められない場合には、評価通達に基づいて評価するものと考える。

(ロ) 無償返還届出書の提出後、無償返還合意に変動があった場合

無償返還届出書が提出されている場合の土地評価は、相当地代通達5及び8の記載ぶりや、上記ニ(ハ)Bのとおり、無償返還届出は、相続税等の課税の場面においても、何ら経済的利益が移転していないという経済的実態を踏まえて課税処理を行うという税法上の効果を有することに加え、上記ニ(ハ)Cのとおり、相当地代通達は、評価通達と同様の性質を持つと考えられることからすると、無償返還届出書が提出されている場合の相続税等における土地評価は、明らかに経済的利益が移転しているという経済的実態が認められるといった特別の事情が存しない限り、相当地代通達5及び8の定めのとおり評価すべきであると考える。
 したがって、本事例の場合、無償返還届出書が提出されていることを前提に、原則、相当地代通達5及び8に基づいて評価することになるが、無償返還合意に変動が生じた理由やその内容、また、土地や建物の利用状況等といった周辺事情をも踏まえつつ、真に経済的利益が移転しているか否かを慎重に検討した上で、明らかに経済的利益が移転しているという経済的実態が認められるといった特別の事情がある場合には、評価通達に基づいて評価するものと考える。

へ 相当地代通達に関する一考察のまとめ

以上のとおり、相続税等の課税実務において、無償返還届出書が提出されている場合の土地評価は、原則、相当地代通達5及び8に基づいて評価することとなる。しかしながら、明らかに経済的利益が移転しているという経済的実態が認められるといった特別の事情が存する場合には、例外的に、評価通達に基づき評価額を算出することになると考えられる。このため、無償返還届出書が提出されている場合の土地評価が争いになった場合には、相当地代通達5及び8による評価を前提としつつも、無償返還届出の前提となった無償返還合意契約の内容や変動の有無、土地の利用状況等といった様々な事実関係を踏まえ、その適否について検討する必要があるものと考える。

3 最後に

使用貸借については、平成29年に民法の規定が改正されているものの、従前からの夫婦や親子間といった特殊な関係のある者間における典型的な使用貸借については、さほど大きな影響を与えるものとは思われない。しかし、使用貸借を取り巻く社会情勢も徐々にではあるが変化していることからすると、今後は、使用貸借を踏まえた各種の課税処理に当たり、使用貸借の基本的な性質を前提とした従前からの取扱いを維持しつつも、場合によっては、この社会情勢の変化を考慮に入れながら、適切な課税処理となるよう土地使用関係を慎重に検討していく必要があるのではないかと考える。
 また、無償返還届出書が提出されている場合の土地評価については、特別の事情がない限り相当地代通達5及び8の定めに基づいて評価することとなるが、相続税法22条との関係から、相当地代通達によらず、評価通達に基づいて評価せざるを得ない場面も生じるものと考えられる。この場合、法人税の課税処理と相続税等の課税処理とが齟齬をきたす可能性も否定できない。このため、無償返還届出書の提出がある場合の土地評価の取扱いをより安定的なものとするためには、その実現は非常に困難なものと思われるが、法的効力に基づいた課税処理となるよう、無償返還届出制度そのものを法制化することが望ましいものと考える。


目次

項目 ページ
はじめに 21
第1章 相続税法等における権利設定された土地に関する評価 23
第1節 相続税法における権利設定された土地に関する評価 23
1 地上権及び永小作権(相続税法23条) 23
2 配偶者居住権等(相続税法23条の2) 26
第2節 評価通達における権利設定された土地に関する評価 29
1 評価通達で具体的な評価方法を定めている趣旨 29
2 権利設定された土地に関する評価方法の概要 32
3 借地権及び貸宅地 33
4 小括 36
第2章 使用貸借通達に関する一考察 37
第1節 使用貸借に関する民法の規定 37
1 平成29年改正前の民法における使用貸借に関する規定 37
2 平成29年改正における改正点 39
3 平成29年改正が使用貸借通達に与える影響 41
第2節 使用貸借通達の制定経緯等 43
1 使用貸借通達の制定経緯 43
2 使用貸借通達の概要 49
第3節 使用貸借通達を適用した土地評価を巡る主な争訟事例 51
第4節 使用貸借通達を適用して評価することの妥当性の検証 64
1 大阪地裁昭和43年判決等における土地使用関係の判断基準 65
2 想定事例に基づく使用貸借通達を適用することの妥当性の検証 70
第5節 使用貸借通達に関する一考察のまとめ 79
第3章 相当地代通達に関する一考察 82
第1節 相当地代通達の制定経緯等 82
1 相当地代通達の制定経緯 82
2 相当地代通達の概要 83
第2節 相当地代通達を適用した土地評価を巡る主な争訟事例 85
第3節 相続税等の土地評価における無償返還届出の位置付け 96
1 無償返還届出の制度概要 96
2 無償返還届出の法的性質 102
3 相続税等の土地評価に及ぼす無償返還届出の効果 106
第4節 相当地代通達を適用して評価することの妥当性の検証 111
1 無償返還届出書を提出していないが、無償返還合意がある場合 112
2 無償返還届出書の提出後、無償返還合意に変動があった場合 114
第5節 相当地代通達に関する一考察のまとめ 117
おわりに 119

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