西田 昭夫
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

課税は、原則として私法上の法律関係に即して行われるべきであるとされている。もっとも、私法上の法律関係に係る行為に税負担の錯誤があった場合、当該行為の錯誤無効を理由として課税関係を変更することができるかという問題がある。申告納税方式を採用する租税においては、納税者が法定申告期限の経過後に税負担の錯誤の主張をすることは認められないとする見解があり、この見解は多くの裁判例において採用されている。
 これに対し、最高裁平成30年9月25日第三小法廷判決(民集72巻4号317頁)は、「給与所得に係る源泉所得税の納税告知処分について、法定納期限が経過したという一事をもって、当該行為の錯誤無効を主張してその適否を争うことが許されないとする理由はないというべきである。」と判示した。
 同判決は、源泉所得税に係る事案であるものの、かかる判示を踏まえれば、法定申告期限の経過後に税負担の錯誤を主張することは認められないとする見解に対し、疑問が生じ得る。また、民法95条は、錯誤について規定しているところ、同条については、その効果が無効から取消しに変更されるなどの改正が平成29年に行われた。
 そこで、税負担に係る錯誤や誤解があった場合の課税関係についての学説および裁判例を整理・検討するとともに、錯誤に係る民法の改正を踏まえ、私法上の法律関係に係る行為に税負担の錯誤や誤解があった場合の所得課税について研究する。

2 研究の概要

(1)私法上の法律行為と所得について

租税法は、種々の経済活動ないし経済現象を課税の対象としており、それらの活動ないし現象は、第一次的には私法によって規律されているところ、租税法律主義の目的である法的安定性を確保するためには、課税は、原則として私法上の法律関係に即して行われるべきであるとされる。
 他方、人の担税力を増加させる経済的利得はすべて所得を構成するという包括的所得概念の考え方からすると、法律的に有効に権原を取得していないような不法利得についても、現実の管理支配が及んでいる場合、すなわち、その利得を自由に支配し処分できる状況にあるならば、所得として扱われることになると解される。そのため、私法上の法律関係に係る行為によって生じた経済的利得については、その原因たる法律行為に瑕疵があっても、経済的成果が現に生じている限り、所得として扱われることになると解される。

(2)納税者が納税申告等によって確定した税額等を変更する手続き(更正の請求)

イ 更正の請求(通則法23条)

(イ) 通則法23条に規定する更正の請求

通則法23条は、いわゆる権利救済制度の一環として、納税者から税務署長による減額更正という行政処分の発動を求める請求制度として、1項において、納税申告書を提出した者は、当該申告書に記載した課税標準等もしくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従っていなかったことまたは当該計算に誤りがあったことにより、納付すべき税額が過大であるなどの場合、原則として、法定申告期限から5年以内に限り、税務署長に対して更正をすべきことを請求することができる旨規定し(通常の更正の請求)、また、2項において、同項各号に定める事由が生じた場合原則としてその事由の生じた日の翌日から2月以内に、同条1項の規定による更正の請求をすることができる旨規定している(後発的事由に基づく更正の請求)。

(ロ) 更正の請求制度の趣旨

更正の請求は、税額等がその請求により自動的に変更されるのではなく、課税庁の更正処分をまってはじめて変更されることとなる。これは、税額等が納税者の特定の行為により自動的に変更される建前をとるとすれば、実質的に申告期限を延長したのと同様の結果を生ずることとなるが、税法が申告の準備に必要な期間を考慮して一定の申告期限を設け、その期限内に適正な期限内申告書を提出すべきことを義務づけ、納税者がその期限内に十分な検討をした後申告を行うことを期待する建前をとっている点を勘案すると、実質的な申告期限の延長措置をとることは適当ではないという考え方を基礎とし、仮に、納税者の行為による自動的な変更権を認めることとすると、悪質な納税者にあっては逋脱ないし滞納処分免脱のための手段として用いられるおそれがあるためとされる。

(ハ) 「通常の更正の請求」および「後発的事由に基づく更正の請求」の請求事由について

A 通常の更正の請求(通則法23条1項)

更正の請求ができるのは、納税申告書の提出により納付すべき税額等が過大であるだけでなく、それが「課税標準等若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつたこと又は当該計算に誤りがあつたこと」という場合に限られる。この制限は、所得計算の特例、免税等の措置で一定事項の申告等を適用条件としているものについてその申告がなかったため、納付すべき税額がその申告等があった場合に比して過大となっている場合において、更正の請求という形式でその過大となっている部分を減額することを排除する趣旨のものとされる。
 平成23年の通則法改正において、当初申告要件がある措置のうち、当該措置の目的・効果や課税の公平の観点から、事後的な適用を認めても問題がないものとして、@インセンティブ措置(例:設備投資に係る特別償却)、またはA利用するかしないかで、有利にも不利にもなる操作可能な措置(例:各種引当金)のいずれにも該当しない措置については、更正の請求が認められることとなった。上記Aの措置について更正の請求の適用が認められないのは、各種引当金のような「納税者が利用するかしないかで、有利にも不利にもなる措置」について更正の請求を認めることは、実質的に事後的な事情を踏まえて最も納税者有利とすることができる選択権を納税者自身に付与するものであり、課税の公平が確保できなくなるからとされる。そして、更正の請求の趣旨は、納税者が期限内申告書を提出することなどにより確定していた税額等について当該申告書の内容に誤りがあった場合にすることができるというものであると解され、更正の請求が実質的に申告期限を延長したものではないことからすると、確定申告等により一度確定した税額等を変更することとなる更正の請求が、法定申告期限後において税額等を変動させる事情が判明したからといって、いかなる事情であったとしても認められるとは解し難い。また、最高裁昭和62年11月10日判決が、所得計算の方法について納税者の選択が認められている場合において、その選択誤りを理由とする更正の請求を認めることについて「納税者の意思によつて税の確定が左右されることにもなりかねない」旨判断していることを踏まえると、事後的な事情を踏まえて納税者有利とすることができる選択権を納税者自身に付与するものと認められるような事由が法定申告期限後に生じた場合に更正の請求ができるとすることは、法定申告期限後においても納税者の意思によって税額等を自由に変更することができることとなり、申告期限を延長したものと何ら変わりはないのであるから、更正の請求がこのような場合にまで救済を図ったものとは解し難い。したがって、かかる事由が法定申告期限後に生じた場合、確定申告等の内容に誤りがあったとはいえず、更正の請求をすることが許されないこともあり得ると考えられる。

B 後発的事由に基づく更正の請求(通則法23条2項)

昭和43年7月の税制調査会答申において、後発的事由に基づく更正の請求の立法趣旨について、期限内に通常の更正の請求ができなかったことについて正当な事由があると認められる場合の納税者の立場を保護することであると説明されている。
 この点について、最高裁平成15年4月25日第二小法廷判決(訟月50巻7号2221頁)は、納税者が、亡父の相続に関して遺産分割協議に基づき相続税の申告をした後、他の相続人から遺産分割協議無効確認の訴えを提起され、同訴訟において、当該遺産分割協議が通謀虚偽表示により無効である旨の判決が確定したことから、通則法23条2項1号に規定する後発的事由に基づく更正の請求をしたところ、更正をすべき理由がない旨の処分を受けたため、当該処分の取消しを求めた事案であるところ、「上告人は、自らの主導の下に、通謀虚偽表示により本件遺産分割協議が成立した外形を作出し、これに基づいて本件申告を行った後、本件遺産分割協議の無効を確認する判決が確定したとして更正の請求をしたというのである。そうすると、上告人が、法23条1項所定の期間内に更正の請求をしなかったことにつきやむを得ない理由があるとはいえないから、同条2項1号により更正の請求をすることは許されないと解するのが相当である」と判示した。
 昭和43年7月の税制調査会答申や上記の判示を踏まえると、後発的事由に基づく更正の請求は、申告時には予想し得ないような納税者本人の責めに帰することのできない事情として、通則法23条2項に規定する請求事由があるときに、当該納税者の救済を図る趣旨と解される。

ロ 更正の請求の特例(所得税法152条)

所得税法施行令274条は、所得税法152条(更正の請求の特例)の政令で定める事実として、@所得金額(事業所得並びに事業から生じた不動産所得および山林所得を除く。)の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた無効の行為により生じた経済的成果が、その行為が無効であることに基因して失われたこと、またはA当該所得金額の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた取り消すことのできる行為が取り消されたことを掲げているところ、無効の場合には、経済的成果が失われたことが更正の請求の特例の対象となる事実とされるところ、取消しの場合には、経済的成果には触れられていない。
 この点について、同条の委任元である所得税法152条は、政令で定める事実が生じたことにより、通則法23条1項各号(通常の更正の請求)の事由が生じたときは、同項の規定による更正の請求をすることができる旨規定していることからすると、取り消すことのできる行為が取り消された場合、その事実の発生を基因として、通則法23条1項に規定する通常の更正の請求をすることができる事由が生じたときに限り、同項による通常の更正の請求ができることとなる。そして、通則法23条1項は、「課税標準等若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつたこと又は当該計算に誤りがあつたこと」を請求事由としているところ、課税標準等または税額等の計算に関する規定は、所得税法などの実体法に定められているものであるから、実体法に基づいて税額等を計算した結果、当初の申告に係る税額が過大である場合などでなければ、更正の請求は認められないこととなる。そして、上記(1)で述べたとおり、所得税法上、法律的に有効に権原を有していなくても経済的成果が現に生じているのであれば、当該経済的成果は所得を構成するのであるから、法律関係に係る行為が取り消されたとしても、原状回復されずに当該行為に係る経済的成果が失われていない場合当該経済的成果は所得を構成することとなり、結果的に課税標準等もしくは税額等の計算が所得税法の規定に従っていない、または計算誤りがあったとは認められず、通則法23条1項の事由が生じたとは認められないこととなる。
 したがって、取消しの場合、実際に経済的成果が失われていなければ、所得税法152条の委任を受けた所得税法施行令274条1項2号に掲げる事実が生じたとしても通則法23条1項(通常の更正の請求)の事由が生じたとはいえず更正の請求は認められないと解される。

(3)錯誤(民法95条)の概要

イ 民法改正について

平成29年の民法改正により民法95条の改正が行われた。改正前の民法95条は、錯誤の要件について「法律行為の要素」に錯誤があることが必要であると規定していたところ、判例は、この要件について、@表意者が錯誤がなければその意思表示をしなかったであろうと認められることが必要(主観的因果性)、A通常人であっても錯誤がなければその意思表示をしなかったであろうと認められることが必要(客観的重要性)、B表示の錯誤と動機の錯誤とを区別し、動機の錯誤については、上記@およびAの要件に加えて、その動機が意思表示の内容として表示されていることが必要と判断していた。このように、同条の文言と判例の考えは必ずしも一致しているとはいえないことから、改正において、@意思表示が錯誤に基づくものであること、A錯誤が法律行為の目的および取引上の社会通念に照らして重要なものであること、およびB動機の錯誤については、動機である事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていることとして、意思表示の効力を否定する要件を明確化した。また、改正前の民法95条は、錯誤による意思表示は無効としていたところ、民法の一般的理解では、@無効は誰でも主張することができ、また、A無効を主張することができる期間に制限はないとされる。判例は、錯誤を理由とする意思表示の無効は、誤解をしていた表意者のみが主張でき、相手方は主張できないとしており、通常の無効とは異なる扱いとなっており、また、詐欺があった場合は、意思表示の効力を否定することができるのは5年間とされているのに対し、錯誤があった場合に期間制限を設けないのは、バランスを欠いている。そのため、改正において、錯誤の効果を「無効」から「取消し」に改めた。
 以上のとおり、平成29年の民法95条の改正は、従前の判例の考えに沿うように錯誤の要件を明確化するとともに、錯誤の効果を無効から取消しに変更するものであって、改正により従前の判例解釈が変更されるものではないと解される。

ロ 税負担の錯誤について

判例上、私法上の法律関係に係る行為に錯誤があった場合、その錯誤が税負担に係るものであっても他の法律の錯誤と同様に無効(取消し)になり得ると解される。
 民法95条にいう「錯誤」とは、法律行為の当時、表意者が現実と一致しない認識のもとに意思を表示した場合のことを指し、錯誤論の対象となるためには、意思表示当時存在した事実と意思表示当時認識した事実との間に食い違いがあることが必要であるとする「同時存在の原則」という考え方がある。これを税負担に係る意思表示についてみると、@税負担は法律行為当時存在するものではなく、事後的に申告等により生じるものであるから、これを将来の事実に関する予測ないし期待と捉えて錯誤論で扱うべきでないとする見方ができる一方、Aこれを課税要件の具備と捉えることができる場合には、現在の事実ということもできると解される。そうすると、税負担に係る意思表示が将来課税されることはないだろうと予測ないし期待するような場合で、課税要件の具備という客観的な事実と税負担についての認識との食い違いの問題ではなく、意思表示後の問題であるようなものについては、錯誤の対象とはならないと解される。
 また、税負担の錯誤は、意思を決定する際の動機の段階における誤解であり、動機の錯誤である。動機の錯誤があるとして意思表示を取り消すには、動機である事情が法律行為の基礎とされていることが表示されている必要があることからすると、例えば、税負担の軽減を主目的とする取引の場合、これを表示するということは、納税者においては、その前提として課税上考えられるリスクを十分に検討するなど、当該取引に係る税負担について慎重な判断が求められるのであり、その判断においては、税理士などの税務の専門家の助言はもとより、その助言が信頼に足るものでなければならず、これらを欠いている場合重大な過失があると判断される場合があり得ると考えられる。

(4)私法上の法律行為に税負担の錯誤または誤解があった場合の課税上の取扱いについて

イ 錯誤無効(取消し)について

申告納税方式を採用する所得税において、納納税者が期限内申告書を提出して法定申告期限の経過後に私法上の法律関係に係る行為に税負担の錯誤があることが判明した場合、@当該行為の錯誤無効の主張が制限され、税額等の変更はできないとする考え方(錯誤主張制限説)と、A錯誤無効の主張が制限されず、税額等の変更はできるとする考え方(錯誤主張非制限説)がある。これらの各説について、最高裁平成30年判決(源泉所得税の納税告知処分について錯誤無効の主張の適否が争われた事案)の射程範囲、税負担に係る錯誤と他の類型の錯誤との所得税法上の取扱いの相違、および契約(法律行為)が錯誤無効(取消し)とされ実際に取引が巻き戻された場合の課税関係といった観点を踏まえて検討する。
 最高裁平成30年判決は、自動確定の源泉所得税に関する事案において、「給与所得に係る源泉所得税の納税告知処分について、法定納期限が経過したという一事をもって、当該行為の錯誤無効を主張してその適否を争うことが許されないとする理由はないというべきである」と判示した。かかる判示については、法定納期限の徒過により源泉所得税の税額が確定するのではなく、その期限の前後において、源泉所得税の確定という観点においては、何らの違いもないと考えられることからすると、支払行為の無効を法定納期限前に主張し得たのであれば、期限後にその主張が制限されるものではないとの理解が自然に導かれるとされる。これに対し、申告納税方式を採用する所得税においては、「納税者のする申告」または「税務署長の処分」により納税義務が確定することとなり(通則法15条および16条)、納税者は法定申告期限までに申告書を税務署長に提出する義務がある(通則法17条1項)。そのため、所得税額の確定という観点においては、法定申告期限の前後(確定申告書を提出している場合)で確定手続きがなされたか否かという大きな違いがある。したがって、最高裁平成30年判決の判示(納税告知処分について、法定納期限が経過したという一事をもって、錯誤無効の主張が許されないとする理由はない)は、あくまでも自動確定の源泉所得税にかかるものであり、少なくとも申告納税方式が採用されている所得税において税額の確定手続きが行われている場合にまでその射程が及ぶことはないと解される。
 そうすると、最高裁平成30年判決をもって直ちに錯誤主張制限説を採用できないということにはならないと思われる。
 しかしながら、無効な行為または取り消すことのできる行為に係る更正の請求について定めた所得税法施行令274条1号および2号が、文言上、税負担に係る錯誤という事実のみをもって形式的に他の類型の錯誤と異なる取扱いをすることができるとは解し難く、また、最高裁平成元年9月14日第一小法廷判決(家月41巻11号75頁)は、協議離婚に伴う財産分与契約をした分与者の税負担の錯誤に係る動機が意思表示の内容になるかが争われた事例であるところ、同判決は、私人間の法律行為について税負担の錯誤無効の余地がある旨判断しており、その判断は、私法上の法律行為に係る錯誤が税負担に関するものであっても、当該行為が錯誤無効であり経済的成果が失われていれば、当該経済的成果に対する課税はできないことを前提としていると解される。さらに、税負担に係る錯誤があるとして法律行為が無効とされた(または取り消された)場合、実際に取引が巻き戻されたときに課税関係を変更しないと、その後の課税関係に二重課税などの問題が生じかねないことからすると、税負担に係る錯誤があった場合の課税関係を検討するに当たっては、租税手続法上の制約がある場合を除いて、実際に取引を巻き戻したときの課税上の問題についても考慮することが望ましい。
 以上のことからすると、所得税法152条の委任を受けた所得税法施行令274条に規定する更正の請求の特例の場面においては、錯誤主張制限説には疑問があるといわざるを得ず、錯誤主張非制限説によるべきであろう。

ロ 合意解除について

通則法23条2項3号は、政令で定めるやむを得ない理由があるときは後発的事由に基づく更正の請求をすることができるとし、その委任を受けた通則法施行令6条1項2号において、納税申告等に係る課税標準等の計算の基礎となった事実に係る契約が、解除権の行使によって解除され、もしくはその契約の成立後生じた「やむを得ない事情」によって解除され、または取り消されたときとされている。そのため、例えば、納税者がある契約に係る事実関係に基づいて期限内申告書を提出し、法定申告期限の経過後に当該契約に伴って生ずる税負担についての誤解があるとして通常の更正の請求の期限内当該契約を合意解除して更正の請求をした場合、@その合意解除に「やむを得ない事情」が必要であるとする考え方(合意解除制限説)と、A必要でないとする考え方(合意解除非制限説)がある。
 「やむを得ない事情」とは、納税者の意思などの主観的な事情は含まれず、客観的な事情に限定されると解されるところ、後発的事由に基づく更正の請求に規定する合意解除にこのような「やむを得ない事情」を必要とする理由の一つとして、主観的な事情を考慮した場合に税負担回避を目的とする更正の請求の濫用のおそれがあるためとする見解がある。合意解除の締結は、当事者間で容易に操作し得る事柄であり、租税回避のために用いられる危険性が大きいとされるところ、合意解除によるこのような操作は、後発的事由に基づく更正の請求であっても通常の更正の請求であっても同じように行うことができるのであるから、後発的事由に基づく更正の請求の場合のみ「やむを得ない事情」を必要とすることにはならないと思われる。また、合意解除は、契約解除とも呼ばれ、新たな契約であるとされていることなどを踏まえると、法律行為(契約)の合意解除により実際に取引が巻き戻された場合の課税関係の問題が障害となることはないだろう。さらに、事後的な事情を踏まえて納税者有利とすることができる選択権を納税者自身に付与するものと認められるような事由が法定申告期限後に生じた場合に更正の請求ができるとすることは、法定申告期限後においても納税者の意思によって税額等を自由に変更することができることとなり、申告期限を延長したものと何ら変わりはないのであるから、更正の請求制度がこのような場合にまで救済を図ったものとは解し難く、確定申告等の内容に誤りがあったとはいえず、更正の請求をすることが許されないこともあり得ると考えられるところ、事後的な事情を踏まえて納税者が自己に有利となるように締結することができる合意解除について、何ら制限なく通常の更正の請求ができるとは解し難い。そして、通則法23条1項(通常の更正の請求)の適用に際し、合意解除に「やむを得ない事情」が必要であると判断した裁判例(東京高裁昭和61年7月3日判決(訟月33巻4号1023頁))があることも踏まえると、通常の更正の請求および後発的事由に基づく更正の請求のいずれの場合においても、課税標準等の計算の基礎となった事実に係る契約の合意解除に「やむを得ない事情」を必要とするべきであり(合意解除制限説)、合意解除に何ら制限なく通常の更正の請求ができると解すべきではない。

(5)私法上の法律関係に係る行為に税負担の錯誤または誤解がある旨の主張があった場合の所得課税についての考え方

納税者が、私法上の法律関係に係る行為(契約)により経済的利得を享受し、法定申告期限内に当該利得(事業所得並びに事業から生じた不動産所得および山林所得以外のもの)につき所得税の確定申告をした後、当該行為(契約)には税負担に係る錯誤または誤解があったとして錯誤取消しまたは合意解除による更正の請求をした場合の所得課税の考え方について、これまでの検討結果を踏まえ、順序立てて整理・考察すると次のようになる。

イ 利得が所得を構成するか否かの検討

平成29年民法改正により、錯誤の効果は、「無効」から「取消し」に変更されたところ、取消原因があっても取り消されるまでは有効であると考えるならば、納税者が私法上の法律関係に係る行為(契約)により経済的利得を享受している以上、当該行為(契約)に錯誤や誤解があったとしても、当該行為(契約)が取消しまたは合意解除されていない場合、@私法上の法律関係に即して行われるもの(法律的な把握)であるとともに、A当該行為により生じた経済的成果(経済的な把握)が帰属しているということになり、当該経済的利得は所得を構成することとなる。

ロ 錯誤取消しの成否についての検討

上記(3)の検討結果を踏まえると、例えば、税負担の軽減を主目的とする契約において、税負担に係る錯誤があるとして当該契約を取り消し得るのは、誰がどれだけの税負担をすることになるか(軽減できるか)ということを重視して、それを当該契約の基礎として当該契約の内容にするとともに、かつ、それが当該契約の目的および取引上の社会通念に照らして重要なものであり、さらに、表意者に重大な過失がないときに限られるのであり、このような場合は極めて限定的であると思われる。

ハ 更正の請求の適用の可否についての検討

(イ) 錯誤取消しの場合

上記(4)イで述べたとおり、更正の請求の特例(所得税法152条、所得税法施行令274条2号)の適用場面においては、所得税法上、税負担に係る錯誤という事実のみをもって形式的に他の類型の錯誤と異なる取扱いをすることができるとは解し難いことなどを踏まえると、税負担に係る錯誤取消しであっても、当該取消しの結果、「当該申告書に記載した課税標準等若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつたこと又は当該計算に誤りがあつたこと」(通則法23条1項1号)に該当すれば、当該取消しの事実が生じた日の翌日から2月以内に通則法23条1項の規定による更正の請求をすることができると解される(錯誤主張非制限説)。このように解することは、私法上の錯誤取消しによる効果と課税上の効果とが一致することとなり、実際に取引を巻き戻したときの課税上の問題が生じ難く、包括的所得概念が妥当する所得税法における所得の解釈とも整合的であり、望ましいものである。

(ロ) 合意解除の場合

上記(4)ロで述べたとおり、合意解除については、それが客観的にみて「やむを得ない事情」により行われた場合に限り、通常の更正の請求の対象となる合意解除と解すべきである(合意解除制限説)。ここにいう「やむを得ない事情」とは、納税者の意思などの主観的な事情は含まれず、客観的な事情に限定されると解される。そのため、例えば、税負担に関する知識の欠如あるいは誤解を理由として合意解除をしても、それは主観的な理由にすぎないため「やむを得ない事情」があったとは認められないと思われる。そして、このように解したとしても、合意解除が契約解除とも呼ばれ新たな契約であるとされていることなどを踏まえると、実際に取引が巻き戻された場合の課税関係の問題が障害となることはないと解される。

(ハ) 経済的成果の喪失についての検討

上記(イ)および(ロ)で述べたとおり、税負担に係る錯誤または誤解があった場合、採用する説や認定された事実によっては、更正の請求の対象とされる取消しまたは合意解除があったということになるが、そのことのみによって税額等が変更されることにはならない。なぜなら、更正の請求が認められるには、「課税標準等若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつたこと又は当該計算に誤りがあつたこと」(通則法23条1項1号)が必要であり、実体法に基づいて税額等を計算した結果、当初の申告に係る税額が過大である場合などでなければ、更正の請求は認められないからである。そして、所得税法上、法律的に有効に権原を有していなくても経済的成果が帰属している(経済的な把握)のであれば、当該経済的成果は所得を構成するのであるから、錯誤取消しまたは合意解除があったとしても、原状回復せずに経済的成果が現に生じている限り、これを所得として扱われる結果、税額等に何らの変動も生じないため、課税標準等もしくは税額等の計算が所得税法の規定に従っていない、または計算誤りがあったとは認められない。
 したがって、私法上の法律関係に係る行為に税負担の錯誤または誤解があり、更正の請求の対象となる錯誤取消しまたは合意解除があったと認められる場合、当該行為により生じた経済的成果が喪失しているか否かを検討し、経済的成果が喪失しているときに限り、更正の請求により税額等が変更されることになると解される。

(6)若干の問題点について

イ 通常の更正の請求の期限が延長されたことによる影響

平成23年税制改正により通常の更正の請求の期間が原則として法定申告期限から1年間とされていたものが5年間に延長された。
 合意解除による通常の更正の請求の場合、合意解除制限説と合意解除非制限説とでは、「やむを得ない事情」がないときに結論を異にするところ、通常の更正の請求の期間が5年間に延長されたことから、今まで以上に「やむを得ない事情」が問題とされる事例が増えることが想定され、通則法23条1項(通常の更正の請求)と2項(後発的事由に基づく更正の請求)との関係を含め、裁判例の集積が待たれる。

ロ 共通錯誤について

錯誤があったとしても表意者に重大な過失がある場合には、意思表示を取り消すことができないところ、税負担の軽減を主目的とする取引においては、重大な過失の観点などから錯誤が成立することは極めて限定的であると思われる。ただし、相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたときは、錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合でも意思表示の取消しをすることができるとされており、契約の当事者双方がある事項について共に誤解していたといういわゆる共通錯誤の問題がある。
 この点については、錯誤の意義が表意者の保護を図りつつ表意者に重大な過失があった場合には表意者の保護を抑制して相手方の保護を図ることにあることからすると、例えば、ある会社の支配株主である納税者と当該会社の双方が税負担について共通錯誤に陥っているような場合に、これを錯誤論により解決すべき問題であるかという観点から検討することが考えられる。

3 結論

本研究は、私法上の法律関係に係る行為に錯誤または誤解があったとして錯誤取消しや合意解除の主張があった場合の所得課税の考え方について裁判例や学説について分析し、考察したものである。そして、私法上の法律関係に係る行為に錯誤取消しや合意解除の主張があった場合の所得課税については、私法および税法においてそれぞれ複雑な思考過程を経ていることに加え、当該行為の原状回復にかかる手間や時間を考慮すると、納税者においては、なるべく税負担に係る錯誤や誤解が生じないようにすることが望まれるだろう。申告納税方式を採用する所得税においては、申告の準備に必要な一定の申告期限を設けて、課税の基礎となる事実を最もよく知悉している納税者がその期限内に十分な検討をした上で自主的に適正な申告を行うことを建前としているのであるから、納税者は、税負担の軽減を目的とする取引をするのであればその申告において錯誤や誤解が生じないよう慎重な判断が求められるだろう。他方、課税庁においては、税負担の錯誤であるという一事をもってその課税関係を判断するのではなく、事実関係を十分に確認したうえで適切な課税を行うことが求められるだろう。


目次

項目 ページ
はじめに 22
第1章 私法上の法律行為と所得について 24
第1節 所得の概念および意義 24
1 所得という概念 24
2 所得の意義 24
第2節 私法上の法律行為と租税法との関係 25
1 私法上の法律行為によって生じた経済的利得 25
2 私法上の法律行為に瑕疵がある場合 25
3 私法上の法律行為に係る所得を把握する考え方 26
第2章 納税者が納税申告等によって確定した税額等を変更する手続き(更正の請求) 28
第1節 更正の請求(通則法23条) 29
1 通則法23条に規定する更正の請求 29
2 更正の請求制度の沿革 30
3 更正の請求制度の趣旨 36
4 「通常の更正の請求」および「後発的事由に基づく更正の請求」の請求事由等について 37
第2節 更正の請求の特例(所得税法152条) 49
1 所得税法152条に規定する更正の請求の特例 49
2 更正の請求の特例制度の沿革 49
3 更正の請求の特例制度の趣旨 50
4 取り消すことのできる行為が取り消された場合(所得税法施行令274条2号)の経済的成果の喪失について 53
第3章 錯誤(民法95条)の概要 56
第1節 旧民法の錯誤について 56
1 錯誤の意義 56
2 錯誤の種類 56
3 錯誤無効の要件 57
4 錯誤無効の性質 57
第2節 民法改正について 58
1 要件の明確化 58
2 効果を「無効」から「取消し」に変更 58
3 小括 59
第3節 税負担の錯誤について 59
1 税負担の錯誤が無効(取消し)となり得るか否かの検討 59
2 同時存在の原則の検討 60
3 重大な過失の検討 61
第4章 私法上の法律行為に税負担の錯誤または誤解があった場合の課税上の取扱いについて 64
第1節 錯誤無効(取消し)について 64
1 学説および裁判例 64
2 各説の検討 68
第2節 合意解除について 78
1 学説および裁判例 78
2 各説の検討 80
第5章 私法上の法律関係に係る行為に税負担の錯誤または誤解がある旨の主張があった場合の所得課税についての考え方 86
第1節 利得が所得を構成するか否かの検討 86
第2節 錯誤取消しの成否についての検討 87
第3節 更正の請求の可否についての検討 89
1 錯誤取消しの場合 89
2 合意解除の場合 91
3 経済的成果の喪失についての検討 92
第6章 若干の問題点について  94
第1節 通常の更正の請求の期限が延長されたことによる影響 94
第2節 共通錯誤について 94
おわりに 97

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